第24話 一難去らずにまた一難
月曜日の朝。
教室に向かう俺の足取りは、間違いなく入学してから一番重かった。
休み明けだから、という理由では決してない。
原因は土曜日のこと。
手紙のことを発端にして夏音に迷惑をかけたあの出来事が、心に重くのしかかっていた。
どうにかして夏音に一言謝りたい。
メッセージを送ってはみたのだが、既読もつかなかった。
もちろん電話にも応答はない。
(どうしたもんかな……)
夏樹に聞いてみようかと思いつつ、俺は教室のドアを開ける。
「お、来たな。春也」
「……おはよう」
待ち構えるようにドアの前に立っていたのは……もちろん、夏樹だ。
神妙な顔つきからは、いつもの軽薄さや快活さは微塵も感じられない。
これは長い話になりそうだ。
そんな雰囲気を感じ取り、先に自分の席にカバンを置いてから俺は夏樹に声をかけた。
「夏樹、ちょっと話したいことがあるんだけど」
「奇遇だな、俺も春也に聞きたいことがあったんだ。ちょっと移動しようぜ」
俺は無言で頷き、夏樹についていくように教室を出た。
俺たち3年生の教室がある2階から、1階へと移動する。
1階には学生食堂と、そこに隣接する形で小さなカフェスペースのようなものがある。
といっても、自販機のそばにテーブルが並んでいるだけなのだが。
昼休みや放課後は弁当を持ってきている生徒や購買、コンビニなどで昼を済ませる生徒でそれなりに混み合うが……朝のこの時間から利用する人は少ない。
それに、朝のホームルームまであと20分ほどはある。
この状況なら、ゆっくり話ができるだろう。
「……ほい」
自販機で二つ飲み物を購入した夏樹は、ぽい、と片方を俺に投げて渡す。
缶のカフェオレだった。
ブラックのコーヒーが飲めない俺のためにわざわざカフェオレを買ってくれるあたり、さすが親友というべきか。
缶のプルタブを引くと、ペキ、と音がして蓋が開く。
「……お前さ」
自分の分のブラックコーヒーを一口飲んでから、夏樹は口を開いた。
その先はわかってる。夏音のことだ。
やはり家でも元気がなかったのだろう。
あるいは、俺に何かされたと夏樹に伝えただろうか。
「……夏音のこと、フったのか」
「……へ?」
……え? なんでそこでそういう話になるんだ。
フる? 俺が夏音を?
夏音を泣かせただとか、迷惑をかけたとかで強く怒られる……なんなら、殴られるもんだと思ってたのに。
なんだ、「それならしょうがないな」みたいな顔は。
「フったって……え?」
「え、違うのか?」
「違うだろ。俺と夏音はそういうんじゃないし」
「お前……いや、そうだな。お前はそういうやつだった。忘れてくれ」
はあ、と大きくため息をつく夏樹。
なんだなんだ、どうしてそうなる。
「え、じゃあなんで夏音は泣きながら帰ってきたんだよ。お前にフラれる以外でそうなる可能性が思い浮かばん」
「お前の頭の中はどうなってるんだよ。それなんだが……」
掻い摘んで、俺は事情を説明した。
ちょっとした悩み事のせいで俺が勉強に集中できず、夏音を心配させてしまったこと。
そして、夏音がその原因が自分にあると思い込んだこと。
それに対して、俺が何も声をかけてあげられなかったこと。
もちろん、手紙のことは伏せて。
「……なるほどな。まあ、お前も悪いな」
「……だよな。自分でも、そう思う」
「お前も、って言っただろ。夏音も悪くねえわけじゃないさ」
「……でも」
「そう思うなら直接謝ってやれ。その方がいい」
「取れないんだよ、連絡。電話もメッセージも届かない」
「そこは俺から言っとくから。連絡取らねえのはあいつにとっても心苦しいだろうしな」
「……ありがとう。助かる」
絞り出すように夏樹に伝えると、俺は手元のカフェオレをぐい、と飲み干した。
隣に置いてあるゴミ箱に入れると、カラン、と高い音が鳴る。
「……怒らないんだな、俺のこと。夏音のこと傷つけたのに」
「まあな。夏音は大事な妹だけど、それと同じぐらいお前も大事な親友だ。お前だけを責めたりはしねえよ」
それに、と夏樹はコーヒーを飲み干してから話を続ける。
「お前だけが悪いわけじゃないだろ、話聞く感じ」
「……俺が自分に有利な嘘ついてる可能性もあるだろ」
「お前がこういう時嘘つくどころか、むしろ相手のこと立てるようなやつだってのはよく知ってる。何年の付き合いだと思ってるんだよ」
「……そっか」
その言葉が、ありがたかったし、同時に辛かった。
「それにさ。俺はお前の親友だし、夏音の兄貴だけど……今回の件に関して言えば部外者なんだよ」
「……そんなこと」
「あるって。だから、これはお前らの問題。話をする機会は作ってやれるけど、それまでだ。俺から言えることはなんもねえよ」
だから仲直りするも喧嘩別れするもお前らの自由だぜ、なんてカラカラと笑いながら、夏樹は自販機でもう一本飲み物を買った。
「もう一本やるよ、元気出せ」
「え、ああ……ありがとう」
カフェオレ同様、ぽい、と夏樹が放り投げた缶を、落とさないように受け取る。
パッケージを見ると、メロンソーダと書いてあった。
「お前、炭酸を投げてよこすなよ……」
「ま、細かいことは気にすんな。そろそろ戻るぞ」
気づけば朝の時間もあと2分ほどしかない。
メロンソーダは戻ってから飲むか。
駆け足で移動する夏樹について行きながら、土曜のことを振り返る。
夏音に謝らないと。そう、強く思った。
☆☆☆★★★☆☆☆
「あ、佐倉くんおはよ!」
「お、おはよう……」
教室に戻った俺を出迎えたのは、同じクラスの女子だった。
特に仲がいいというわけではないのだが、何故声をかけてきたのだろうか。
「ええと、
同じクラスの、
少し茶色がかった髪を、二つ縛りにしている。
ぱっちりとした目は、アクアブルー。
かわいい、という形容詞がよく似合う少女だ。
どこかの文化部所属だということは覚えているが、接点はあまりない。
「何か、じゃないよ! 佐倉くん、学校祭の実行委員だよね?」
「え? ああ……そういえば……」
そうだった、俺は学祭の実行委員だった。
ここまで活動もまったくなかったし、望見と話をする機会もあまりなかったのですっかり忘れていた。
うちの学校は4月の段階でクラスでの役職を全員に割り振る。
授業ごとの係──例えば夏樹は体育係だ──だったり、掲示物の係だったり、クラス委員だったり……というのを、40人全員がそれぞれ担う。
俺は、今話している望見とともに学校祭の実行委員に手を挙げたのだった。
そういえば先週のホームルームで月曜から話し合いが始まるとかどうとか言ってたな、というのをたった今思い出した。
「やっぱ忘れてたんだ……。とりあえず、朝のホームルームで学祭の話し合いが始まることをクラスに連絡しなきゃなんだけど……」
続け様に望見が口を開こうとした時、ちょうどチャイムが鳴ってしまった。
そして、普段は3、4分は遅れてくる担任が時間ぴったりに来て、「ほれ、全員席につけー」などと口にしている。珍しいこともあるもんだ。
「あー……とりあえずあたしの方から連絡するね。ホームルーム終わったらあたしのとこ来て、それじゃ!」
「お、おう」
それだけ言うと、望見は自分の席に戻ってしまった。
担任の先生は、いつもの通りボソボソと本日の予定などを話している。
一通り話終えると、出席簿でトン、と机を叩く。これもいつも通りだ。
「じゃあ、最後に連絡あるやついるか?」
「──はい!」
元気よく望見が手を挙げる。
「お、じゃあ佐藤」
望見は椅子を引いて立ち上がると、ゆっくりと教室を見渡してから口を開いた。
「学校祭実行委員から連絡です。今日からいよいよ学校祭の話し合いが始まります!」
望見がそう言うと、クラスがおお、と色めき立つ。
やはり学校祭は一大行事、楽しみにしている生徒も非常に多い。
かく言う俺もその一人だ。じゃなければ、学校祭実行委員なんかに手は挙げないし。
わいわいと騒ぎ始めたクラスメイトたちの歓声を遮るように、先ほどよりも声を張りながら望見は話を続ける。
「詳しくは今日の放課後のホームルームでまたお伝えします。それまでに何か質問がある人は、あたしかそっちの佐倉くんまでお願いします。以上です」
チラ、と俺に目線をやってから、話し終えた望見は椅子を引いて席についた。
「他に連絡あるやつは? ……いないな、よし。ホームルームはここまで。今日も一日頑張りましょう」
気怠げに言い放つと、担任は教室を出た。
途端、クラスは先程の喧騒を取り戻す。
お前何やる? 今年は賞取るぞ! そんな言葉が教室を飛び交う。
(……楽しみだな)
取り急ぎ1時間目の古典の準備をして、俺は席を立つ。
行き先はもちろん望見の席。
「望見、さっきはごめんな。ありがとう」
「んーん、大丈夫! 気にしないで」
「ごめんごめん、すっかり忘れてて」
「いいっていいって。あ、これ学祭の資料ね。他の子になんか聞かれたりするかもしれないし、さっくりでいいから目通しといてー」
「おう、ありがとう」
望見から「学校祭運営資料」と書かれた小さなパンフレットを受け取る。
パラパラとめくると、運営のルールや出し物についてなどが事細かに記されていた。
裏表紙を見ると、「作成 第87代生徒会」と書かれている。
「とりあえずテスト明けた週には喫茶かパビか決めなきゃだし、クラスのスローガンも考えなきゃだからスケジュールだけ頭入れといてね。全部決まったらいろいろ書類出しに生徒会行かなきゃだから、その日は予定空けといてね」
「おう」
学校祭でやることは、大きく分けて2つ。
出店と、歌合戦だ。
これは全学年共通。
3年生になると、それに加えて3つ目──演劇が加わる。
出店とは、喫茶かパビ──パビリオンのことで、即ち食品を扱わない企画だ──のどちらかを選ぶ。
各クラスから希望を取り、3学年18クラスを喫茶6クラス、パビ12クラスに分けるのだが……大体喫茶の方が人気なので、抽選になる。
決めたところで抽選ではな、と思わなくもないが……まずはクラスの希望を取って生徒会に提出しなければならない。
歌合戦は、学校祭の初日──厳密には0日目だが、それは今は省いて──に生徒たちで行う催しだ。
クラスごとに、3〜7分程度でダンスや歌などのステージ発表を行う。
学年が上がるごとにステージにも気合が入り、3年生ともなればかなり壮観だ。
どちらにせよ、決定したものは指定の書式で生徒会に提出に行かなければならない。
期限も長いものではないし、急いだほうがいいだろう。
早く決めた方が準備もしやすいしな。
それにしても。
(生徒会か……)
そういえば、向中野の彼氏さんって今の会長なんだよな。
あまり覚えてはいないが、がっちりとしていて非常に礼儀正しく、生徒会長然とした人だった記憶がある。
書類を出しに行くときに、会えたりするだろうか。
あの向中野の彼氏というからには、すごい人なのは間違いないと思うが。
「んじゃそんな感じでよろしくー」
「おう、ありがとな」
望見にひらひらと手を振り、自分の席につく。
資料をカバンにしまうと、一つ息を吐いて窓の外を見上げる。
土曜日の夜から降り続けていた雨はいつの間にか止んでおり、雲の切れ間から太陽が顔を覗かせていた。
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