第25話 痛恨

『佐倉、今日の放課後空いてる? 16時に、前行った喫茶店に来て』


 向中野から、いつになく真面目なメッセージが来ていたことに気づいたのは4時間目の授業が終わった直後だった。


『了解』


 短文で返し、スマホを閉じる。

 向中野と約束をした覚えは特にないが……何の用件だろうか。

 気になりつつも、心当たりは全くなかった。


 考えても仕方ないか。

 俺はスマホをカバンにしまい、弁当の蓋を開けた。

 今日も栄養バランスのよさそうな、綺麗なお弁当だった。



☆☆☆★★★☆☆☆



「今年は喫茶取れるかなー、去年は抽選では逃したもんね」

「そうだな、夏樹のやつ相当悔しがってたし」

「あはは、海野そういうの好きそうだもんね」


 放課後、約束の時間まであと1時間というところ。

 俺は学校祭実行委員として、望見と学祭について改めて確認をしていた。


 まあ、確認というよりかは去年の振り返り──もとい、思い出話をしているだけなのだが。


「佐倉くんは1年の時ってどっちだった?」

「俺は喫茶だったな。6組だったから」

「へー。うちは2組だったけど、パビだったんだよね。今年こそは喫茶やりたいなー」

「みんなやりたがるけど、喫茶なんて大変なだけだぞ」

「あー、もしかしてマウント取ってる? 大変かどうかなんてやってみないとわかんないんだから」

「いや、そういうつもりじゃないよ……。まあでも、やりたいやつが多いのもわかる。制約は多いけど、オリジナルメニューとか考えられるしな」

「そうそう。そういうのやっぱ憧れるじゃん?」

「まあな」


 実際、振り返ってみれば楽しいことも多かった。

 忙しい中にもクラスの絆というか、みんなでやり遂げた、という達成感が確かに存在していた。

 それはそれとして、もうやりたくないと思うぐらいには大変だったけど。


「ところで、佐倉くんはどれにするの?」


 どれ、というのはクラス内の係の話。

 出店、歌合戦、そして演劇。

 この中から一つを選んで担当する、というのが毎年の恒例だ。

 大体一組に12、3人程度といったところだが、毎年歌合戦に人気が集中するため実際には均等ではない。


「んー……俺は演劇かな」

「へー。役者?」

「いや、裏方」

「そうなんだ、もったいないね」

「もったいない?」

「佐倉くん、結構喋れるし顔いいじゃん。うちの1年が結構褒めてたよ」

「なんだそれ……。なんで1年生が俺のこと知ってんだよ」


 褒められるのは嬉しいが、どちらかというと不思議な気持ちの方が強い。

 なんでわざわざ俺を褒めたのかとか、褒めた相手はどこで俺を知ったのかとか。


「ていうか、望見って何部?」

「あたし? 写真部」

「写真部……写真部かあ」

「何、意外?」

「いや、写真部の1年に俺のこと知ってるようなやついたっけかなと思って。名前、何?」

「えー、秘密。今度本人に直接聞いてみな」

「直接って……俺が会う機会があるってことか?」

「そこも秘密!」


 何の情報ももらえなかった、残念。

 誰かもわからない相手に褒められるのは嬉しいが、なんとなく怖さもある。

 なんでなのかな。


「とりあえず、今日はお開きにしよっか。佐倉くんも予定とかあるしょ?」

「そうだな。じゃ、また明日」

「またねー。これから忙しくなるから、よろしく」

「おう」


 時刻は15時30分を少し過ぎたところ。

 今から向かえば、向中野との待ち合わせには余裕を持って着けるだろう。

 教室を出ていく望見にひらひらと手を振ると、俺は帰り支度をした。



☆☆☆★★★☆☆☆



「おっ、早かったね。佐倉」


 待ち合わせをした喫茶店に入ると、制服姿の向中野が既に席についていた。

 いつもと違って、今日はメガネを外している。


「すまん、待たせたか」

「ううん、待ってないよ。テスト勉強してたし」

「そうか」


 俺の返答を聞く前に、向中野は机に広げていた教科書やノートを閉じてカバンにしまった。


「……さて、本日の用件だが。わかるかな、佐倉」

「いや、すまないが全く心当たりがない」

「だろうね。まあ、座りなよ」

「ああ」


 軽く返事をすると、俺は向中野の対面の席に腰掛けた。

 それから間も無く、店員さんがオーダーを取りに来たので「カフェオレを」と伝える。


 無言。

 店員さんがカフェオレを運んでくるまでの間、向中野は一言も発しなかった。

 ただ何も言わずに、窓の外を眺めていた。

 朝に雨が上がり、太陽の光が照らす空には、まだ黒い雲が残っている。


 俺が運ばれてきたカフェオレに口をつけたのを見て、向中野はようやく口を開いた。


「……さて、佐倉。今日の本題に入ろうか」

「いつになく真面目なトーンだな。……そんなに重い話か」

「まあ、そうだね。これからする話は、忠告……いや、お説教かな」

「……説教?」


 向中野から出てきた言葉は、意外といえば意外だった。

 1年の春から同じ部活だが、こいつにこんなことを言われた記憶は、部活内の話でもそれ以外でも全くなかった。

 そもそも、向中野は俺が見ている限り他人には必要以上に干渉しない人間のように思える。

 そんな向中野が、お説教なんて。

 これから、何を言われるのだろう。

 背筋に少し、悪寒が走った。


「そ。だって、佐倉────私の話、何にも聞いてくれてないじゃん」


 それは、これまで聞いてきた向中野の声とは比べものにならないぐらい、低くて、冷たい声だった。

 どくん、と心臓が大きく鼓動をする。背筋が凍る。


「……それって」

「手紙のことだよ。自分でも、わかってるんじゃない?」


 そう言い放つと、向中野はコーヒーを少し口に含んだ。

 

「……差出人探しをしても、誰も幸せにならないんじゃないか。私は確かに伝えたはずだよ」

「……そうだな、確かに聞いたよ」

「でも、佐倉は……手紙に囚われた。それで、大切な人を傷つけてしまった。そうでしょ?」

「……何でそれを」


 夏音を傷つけてしまったことは、夏樹を除けば当事者である俺と夏音しか知らないはず。

 いくら夏樹の口が軽いとはいえ、夏音が関わっているこんな内容の話はおそらく誰にもしていないだろう。

 なのに、どうして向中野がそれを知ってるんだ。


「……やっぱりそうだったんだ」

「やっぱり、って」

「昼休みね、佐倉の教室の前を通ったんだけど。その時に見えた佐倉の顔見たら、そうかなって」

「……俺は今、向中野が怖くなったわ」

「こら、珍しく真面目な話してるんだから茶化さない」


 コン、とおでこを小突かれる。

 はい、調子に乗りました。すみません。

 コホン、と大仰に咳払いをしてから、向中野は話を続けた。


「傷つけちゃったのは、『妹』の子?」

「……ああ、そうだ」

「だよね。何が起きたのか、軽く聞いてもいい?」

「もちろんだよ。そうだな……」


 今朝、夏樹に話した内容を向中野にも伝えた。

 向中野は手紙のことを知っているから、もちろん手紙がなくなってしまったことも含めて。

 夏音を傷つけてしまったこと。まだ、謝れていないこと。

 それを、全て。


「なるほどねー……」


 ふーむ、と大きくため息を吐いて、向中野は胸の前で腕を組んだ。


「早いとこ謝ったほうがいいのは間違いないね」

「だよな。その辺は、そいつの兄貴にもお願いするつもりだ」

「そうしな。……仲直りは、時間が経てば経つほど難しいからね」


 そう言った向中野は、すごく遠い目をしていた。

 昔を懐かしむような……悔やむような、そんな目を。


「……向中野?」

「ああ、ごめんごめん」


 俺の声で向中野は我に帰ったようで、もう一度俺に目を合わせてくる。


「まあ、そこは佐倉次第だよ。仲直りするのも、このまま疎遠になるのもね」

「……そうだな」

「それより、一個気になったのが……」


 そこで一度向中野は言葉を切り、コーヒーを再度口に含む。

 少しぬるくなったそれを飲み下すと、ふう、と一息ついた。


「……手紙の方だね。なくなったってのは、本当なんだよね?」

「ああ。どこかに持ち出したりはしてないし、どこを探しても見つからなかったよ」

「入れた場所を勘違いしたとかもなく?」

「そんなわけないだろ……」

「一応の確認だよ、ごめんって」


 あはは、とひらひら手を振る向中野。


「でも、そうなると持ち出した人物が気になるところだね。4人の中の誰か、なのかな」

「まあ、そうだろうな。……やっぱり、手紙を書いた人物が持ち去ったのかな」

「何とも言えないねー。誰が書いたかもまだわかってないわけだし」

「……そうだな」


 俺の返答に頷いてから、向中野はコーヒーのおかわりを注文した。

 以前も思ったが、そんなに飲んで夜に目が冴えたりしないのだろうか。


 届いたコーヒーを一口飲んでから、向中野は話を再開した。


「でも、やっぱりそこにこだわりすぎちゃダメだよ。今回みたいなことがまた起きるよ、絶対」

「……そうだよな。俺もそう思ったよ」

「ならよし。今手元にないのであれば、最初から届かなかったことにして……ってのは流石に無理か」

「そりゃそうだろ」

「だよねー。あ、でもね」


 そう言うと向中野はテーブルから少し身を乗り出し、俺との距離を近づける。

 そして、先程より一段声を落として────。


「────そう遠くないうちに、『妹』たちからアクションがあると思うよ」


 それだけ告げてひらりと元の体勢に戻ると、勘だけどねー、と笑った。

 なんで、という二の句は、継がなかった。


「まあ、話したかったことはこんな感じかな。メインはお説教って言ったけどさ、自分で反省は済んでるでしょ?」

「……まあ、そうだけど。わかるもんか」

「わかるよ。だって友達じゃん」

「……そっか」


 向中野の暖かい言葉は、今の俺には温度が高くて、火傷してしまいそうだった。


「さ、今日はこの辺にしとこっか。あんまり佐倉を連れ回しても可哀想だし」


 そう言ってからメガネをかけ直して、向中野は立ち上がった。


「これ飲んだら行くよ。会計は俺がしとくから、先出ててくれ」

「お、奢りなのら? しきちゃんうれしー!」

「お前、次はどういうキャラなんだよ……」


 先程までの真面目な様子はすでに綺麗さっぱり消え失せて、いつもの──いや、このキャラと話すのは初めてだが──向中野だった。

 こいつのキャラ変は、時期もキャラも何かもよくわからない。

 変なやつだな、思ったのはもちろん今日が初めてではない。


 だが、その『変なやつ』の言葉のおかげで、俺はもう一度歩き出せそうだった。


 痛恨極まりない失敗。それを取り返す。

 改めて4人と、真っ直ぐ向き合わないと。

 そのためにも────。


(まずは、夏音に謝らないと)


 決意を新たに。

 俺はカップに残ったカフェオレを飲み干した。

 砂糖を足していないのに、なんだか甘く感じられた。

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