第26話 雨降って絆固まる
『そんなわけで明日の放課後だ。1階で勉強してるとよ』
「わかった。助かるよ、ありがとな」
『おう、気にすんな。……ま、ちゃんと仲直りしてくれよ? あれから夏音の元気がなさすぎて、見てて辛いからさ』
「う……その……すまん」
『謝るのは失敗してからにしろ。いや、失敗はすんなよ。頼むから』
「わかったよ」
『そんなわけで、頑張れよ』
「おう」
短く返事をすると、電話はもう切れていた。
夜、俺は夏樹と通話をしていた。
理由はもちろん、夏音へ謝罪する機会を作ってもらうためだ。
夏樹と相談した結果、明日の放課後にカフェスペースへ行くことになったのだが……。
予定を聞く前に、俺が会いたいという旨を伝えたところ……それとなく断られたらしい。
だから、放課後勉強しているところにアポなしで会いに行くことになった。
夏音には申し訳ないが……どうしても、直接会って謝りたいのだ。
それが俺のエゴでしかない、というのは自分でもわかっている。
そのために、こうして夏樹の協力を仰いだ。
あとは。
(誠心誠意、謝るだけだな)
スマホを充電器に挿し、ふう、と一息つく。
これ以上、4人には心配も迷惑もかけたくない。
明日からは、元通りに。
そんな決意をして、俺は布団に潜り込んだ。
☆☆☆★★★☆☆☆
放課後、15時32分。
夏樹に伝えられた時間から2分後。
1階のカフェスペースに足を運ぶと……いた。
一番奥の席に、一人で腰掛けている夏音の姿が、そこにあった。
教科書や問題集に向かう表情は物憂げで、どこか辛そうな顔だった。
「……夏音」
目の前の暗い顔の少女が、ハッとした表情になって顔を上げる。
そして、俺と目が合った。
「……ハル兄、なんで」
夏音の目を見つめたまま、俺は夏音の向かいの席に腰掛けた。
口を開こうとした寸前に夏音には目を逸らされてしまったが、構わずに俺は言葉を発する。
「夏音に、謝りたくて。すまん、勉強の邪魔をして」
「それは大丈夫っスけど……なんで、ハル兄が謝るんスか。悪いのは、ボクです」
「違うよ。夏音は悪くない」
「謝らないで。ボクが悪いんです」
「違う」
「違わないです。だから……」
もう一度、夏音と目が合う。
その目には、悲痛な色が見えた。
「だから、もうボクに構わないでください」
「……夏音」
「もう、いいですから。勉強も一人でやります」
「夏音!」
つい、大きな声が出てしまった。
ビク、と夏音の小さな肩が震える。
「……すまん、熱くなった。でも、ちょっと俺の話を聞いてほしい」
「だから、あれは」
「そう、あれは」
夏音の反論を遮るように、俺は口を開く。
「俺が集中できてなかった、それだけだよ。夏音が悪いところなんか全くない」
「……でも」
「……実はな」
ふう、と息を吐く。
「……恥ずかしい話なんだけどさ。俺……ラブレターもらったんだよ」
「え……ら、ラブっ!? それって」
「そう、ラブレター。かわいいやつ。それでびっくりしてさ、あの時集中できてなかったんだ。ごめんな」
俺は、本当のことを少しだけ明かすことに決めた。
もちろん、包み隠さず話すのは恥ずかしいから……少しの嘘を交えて。
もし手紙の主が夏音だったら何らかの反応があるかもしれないが……その時はその時だ。
それよりも、夏音に非がないことをどうしても伝えたかった。
「え、じゃあ、ハル兄、それ、あの、え、受け、あの」
「……いや、そんなに焦るなよ。ちゃんと聞いてくれ」
「は、はい」
「よく見たらもらったラブレター、クラスのやつのいたずらでさ。結局すっげえ恥かいたんだよ」
「そ、そうだったんスね……よかった……」
「よかった……?」
「あ! いえ、何でもないっス!」
「そ、そうか……。まあ、それだけだったんだよ。俺が勝手に舞い上がって、勝手に悩んで、勝手に心配かけただけなんだ。だから、夏音のせいじゃない。そこは本当に気にしなくていいんだよ」
嘘をついてしまったことは少し苦しい。
だが、それで少しでも夏音を救えるのなら。
「……そうだったんスね。ごめんなさい、勝手に勘違いして、ひどいことまで言って」
深々と頭を下げる夏音。
だが、その表情に先程までの憂鬱さや悲壮さは感じられなかった。
「ひどいことなんて言われた覚えがないな」
「ハル兄が覚えてなくたって、ボクが忘れられないんでス。土曜から、ずっと反省してたんスから」
「……そっか。ありがとな、そんなに気遣ってくれて」
「そんなの、当たり前じゃないっスか」
「嫌われてたらどうしようかと思ってたよ」
「そんなわけないっス! だってボク、ハル兄のこと」
「俺のこと?」
俺が聞き返すと、しまった、という表情をして夏音は口を押さえた。
みるみるうちに顔が耳まで赤くなっていく。
「は、ひや、何でもないっス」
「え、お、おう、そうか」
すごく気になる。
俺が、何なのだろう。
兄みたい、とか思ってもらえてたらすごく嬉しいけど……流石にそこまでじゃないか。
頼りになる先輩、とかだったらいいな。なんて。
「そ、それよりっス」
ゴホン、と大袈裟に咳払いをする夏音……だが、焦りが抜けていないのか、それとも咳払いに慣れていないのか、思いっきり咳き込んでしまっていた。
「夏音、大丈夫か?」
「ゲッホ、ゴホ……ごべ、ごめんなさいっ……ス……」
「ちょっと待って、水買ってくるよ」
「あ、ありが……とうっス……」
急いで自販機へと向かう。
背中側からゴホゴホという音が聞こえてきて若干心配になるが、とりあえず水を購入する。
うちの学校の自販機では、水は100円だ。
ワンコインで買えるのは、何枚も硬貨を投入しなくて済むので時間がない今は非常にありがたかった。
ガコン、と音を立てて落ちてきた水を手に取ると、夏音がいる席へ戻る。
「夏音、大丈夫……か……」
声をかけようとした瞬間に、咳き込む夏音の背をさすっている何者かがいることに気がついた。
「あれ、佐倉? 何してんの?」
「花折?」
その人物とは、俺のクラスメイトにして夏音が所属する女子バスケ部の主将──花折真緒だった。
「花折こそ何してんだよ」
「や、その辺で勉強してたんだけどさ。なんか、気づいたらめっちゃ咳してる子がいたから大丈夫かなって覗きにきたんだよね。そしたら、なっちだったから」
「なるほどな……」
「で、佐倉は? またなっちと勉強してたの?」
「まあ、そんなとこ……。それより夏音、水買ってきたから飲め」
キャップを開けてから、夏音にペットボトルの水を手渡す。
無言でコクリ、と頷いてから、クピクピと水を飲み始める。
「……ぷはっ、ハル兄、ありがとっス……」
「もう大丈夫か? 悪かったな、変なこと言って」
「大丈夫っス、ボクが勝手にむせただけなので……」
えへへ、と恥ずかしそうに頬を掻く夏音の表情は、もういつも通りの柔らかくて元気な顔に戻っていた。
はあ、と安堵のため息が出る。
「夏音が元気になってよかったよ。本当ごめんな」
「改めてありがとうっス、ハル兄」
「あー……その、ごめん……私、お邪魔かな……?」
そういえばいた花折が、バツが悪そうにこちらに尋ねてくる。
「そんなことないっスよ! 折角ですし、真緒先輩も一緒に勉強していきませんか?」
「いや、いいよいいよ! 私ちょうど帰るとこだったし、なっちももう大丈夫そうだから……じゃあ、この辺で!」
そう言うと、止める間もなく花折は走り去っていってしまった。
何なんだ、あいつ。
「あはは、行っちゃったっスね」
「……先週を思い出すな。騒がしいやつ」
「真緒先輩、元気っスよね。そういえば、ハル兄って真緒先輩とクラス一緒なんスよね? 仲良いんスか?」
「ん? ああ、いや、そうでもないよ。正直先週挨拶したのが初めての会話、ぐらいで」
「へー、そうなんスねー……」
あいつ、とか言ってるけど本当に俺はあいつのことを何も知らない。
名前や、部活でさえも先週話した時にようやく思い出したという程度であるし……誰と仲がいいだとか、クラスでの様子だとかの情報は持ってすらいない。
これを機に、少し話してみてもいいかもしれないな。
今度夏樹に聞いてみるか。
さて、そんなことより今日の本題、と言うべきか。どうしても、伝えたいことがある。
その前に、カバンから飲み物を取り出して……ぐい、と一口だけ飲む。
ペットボトルを傾けた俺に倣うように、夏音も水を口に含んだ。
潤った喉からは、先週と違って……何でも、口に出せそうだ。
「そうだ、夏音に一つお願いしたいことがあるんだが」
「奇遇っスね、ボクもハル兄にお願いしたいことがあったんスけど」
お互いに顔を見合わせる。
夏音のきょとんとした表情が、なんだか愛おしくて、つい笑みが溢れた。
そんな俺を見て、夏音もクシャっとした笑顔を見せる。
「じゃあ、せーので言いませんか?」
「……そうだな、いいぞ。じゃあ、行くぞ……」
一拍置いてから、俺たちは目を合わせて。
真面目な表情に戻って。
「「せーの……」」
「もう一度、勉強を見てほしいっス!」
「もう一度、勉強を教えさせてくれ!」
言い終わってから、もう一度俺たちは目を合わせて……笑った。
それはもう、声が響くぐらいには。
笑って、笑って、笑った。
夏音の目尻の端が、キラリと光った。
俺の目にも、きっと同じものが滲んでいるだろう。
ひとしきり笑ってから、また俺は夏音を見つめた。
夏音もまた、俺を見つめている。
「改めて、よろしくっス。ハル兄」
「こちらこそ、よろしく。今度はちゃんとやるよ」
「えへへ、お願いします、ボクもちゃんと、頑張りますから」
「頼んだぞ。前は1問解くのにすごい時間かかってたからな」
「あー、ひどいっス! ハル兄がいなくてもちゃんとできるってとこ、見せてやるっス!」
「はいはい、楽しみにしてるよ」
「もー、信じてないっスね!?」
ぽこぽこと俺の胸を叩いてくる──もちろん、かなり弱い力で──夏音を見て、あはは、ともう一度笑う。
今度はもう、間違えない。
頬を膨らませながら、楽しさと嬉しさを滲ませる夏音の表情を見て、心の底からそう思った。
窓の外を見ると、いつの間にか分厚い雲は全てどこかへ行き……抜けるような青空が、広がっていた。
夏は、近い。そう感じさせるような、空だった。
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