第27話 侃侃諤諤

「おっす、春也」

「おはよう、夏樹。昨日はありがとな」


 次の日の朝。

 少し早めに登校すると、教室の入り口で夏樹と出会した。

 ちょうど朝練が終わったばかりらしく、爽やかな制汗剤の匂いがツンと鼻をつく。


「おう、無事仲直りできたみたいでよかったぜ」

「おかげさまで。夏音から聞いたのか?」

「いんや? でも、あの態度見たら誰でもわかるぜ。歌でも歌い出しそうなくらい……ああ、いや、実際に歌ってたっけか……」

「そ、そんなにか……」


 昨日、夏樹の手引きで話ができた俺たちは、無事仲直りができた。

 たった数日だが、やはり夏音との間に壁ができていた間はとても寂しいものだった。

 談笑が落ち着き勉強を再開した後でも、ずっと笑顔だった夏音の表情から慮るに……きっと向こうも同じ気持ちだったのだろう。

 本当にそうだったら……それは、すごく嬉しいことだ。


「春也も嬉しそうだな」

「まあな。やっぱ、大切な友人と仲悪いままも嫌だろ?」

「大切な、ねえ」

「『妹』と呼ぶ方が正しいかもだけどな、俺にとっては」

「はいはい、『妹』ね」

「……なんだよ」

「別に? それよりほら、お前のこと待ってる奴がいるぞ」

「……え?」


 夏樹が顎で、くい、と差した方を見ると……立っていたのは望見だった。


「おはよー。佐倉くん。……あたし、ずっといたんだけどなー」

「ごめんごめん。……話し合い?」

「そ。今日、帰りのホームルームで班分けの時間取ってもらうことになってるから、今のうちに段取り決めちゃいたいなって」

「なるほどね。大丈夫だよ」

「ありがとー! じゃあ、早速なんだけどさ……」


 持ち寄った学祭運営の資料に目を通しながら、班についてや今後のスケジュールなどを相談する。

 朝の短い時間ではあるが、順調に物事は進んでいた。


 いよいよだ。もうすぐ、学祭の準備が始まる。

 一年で一番大きな行事、と言っても過言ではない。

 進級してから、学祭を楽しみに数ヶ月頑張ってきた……という生徒も多いし、事実俺もその一人だ。

 1ヶ月後に迫ったお祭りが、どうしようもなく楽しみだった。

 

 もちろん、目の前に控えた定期試験の存在も忘れてはいない。

 今年最初に定期テスト。

 最高学年の俺たちにとって、高いハードルではない。

 しかし、その分ここでつまづいているようでは受験が心配になってしまうような試験だ。

 気を抜くわけにはいかない。


 だが、この試験さえ乗り越えてしまえば学祭があり……それが終われば夏休みだ。

 立ちはだかる壁としては、ちょうどいいだろう。


 それに、今は夏音と一緒に勉強もしている。

 一人じゃない。それだけで、すごく頑張れる気がした。


 テスト、学校祭、夏休み。

 高校生活最後の夏は、すぐそこまで来ている。



☆☆☆★★★☆☆☆



「それでは、これから学祭の班決めをします! 人数調整は後からするので、やりたいのに手挙げてくださいね〜」


 望見の声で、クラスメイトたちの視線が教室の前側────俺たちへと集中する。

 学祭に向けての準備……その第一歩となる、班決めだ。

 去年は歌合戦に人数が集中してしまい、かなり話し合いに時間がかかっていたが……今年はどうなるだろうか。


「じゃあ、まずは出店! やりたい人手挙げて〜」


 パッ、パッ、と何人かの手が挙がる。

 すかさず、俺は手を挙げた生徒の名前をチョークで黒板に記す。

 カツ、カツ、と無機質な音が響く。


 手を挙げた生徒は、13人。

 この枠は15人必要だから……2人足りない。

 人数は後ほど調整するとして、とりあえず名前を黒板に書き留めていく。

 俺が書き終えたのを見て、望見は「手を下ろしていいよー」とクラスに告げる。


「じゃあ、次は歌合戦!」


 先程よりも勢いよく、生徒たちの手が挙がる。

 その数は、1、2、3、……17、18人。

 ここの枠も15人だから、3人オーバーだ。

 話し合いをして移ってもらうことになるのだが……これがなかなか大変だ。

 話し合って納得してもらうのは非常に難しい。どうしても強引になりかねないし、どうしたものか。

 手を挙げた生徒を書き終えると、目で望見に合図を送る。


「最後は演劇! どう?」


 まばらに手が上がる。

 10人の枠だが、7人しか挙がっていない。

 手早く、名前を書き写していく。


 ここまで合計で38人、俺たち二人を除くと手を挙げていない生徒はいなかった。

 と、なると……話し合いの時間が始まる、というわけだ。


「はーい、そしたら歌合戦が3人オーバーしてるので……他に移ってもらえる人、いませんかー?」


 一人の男子が「じゃあ、俺出店行くよ」と申し出てくれたが……その他に移ってくれそうな人はいなかった。

 歌合戦はまだ2人オーバー。この人数では、少しバランスが悪い。


 もう少し、移ってくれるといいのだが……。

 歌合戦に手を挙げた面々を見渡してみる。

 ……が、ほとんど全員に目を逸らされてしまう。

 当然だ、みんな移動したくないのだろう。

 最後の学祭だし、俺たちとしても他の生徒たちにはやりたいことをやってもらいたいのだが……。

 ふと、見渡すと一人の生徒と目が合った。

 2秒、3秒。目を合わせてみるが……逸らす様子がない。

 それどころか、声をかけてと言っているかのごとく、くるくると前髪をいじっている。


 一度、目線を逸らして他の生徒を見てみる。

 もちろん、目が合う生徒はいない。

 ぐるりと見回してから、もう一度その生徒の顔を見てみる。

 先程と寸分違わぬかくどで、視線がぶつかった。


 なんだか負けた気がする。

 はあ、と息を吐いてから、その生徒……花折真緒に声をかける。


「……花折、どうだ?」


 俺が口を開くと、待ってましたと言わんばかりに微笑む。


「どうしようかなー。ちなみに、実行委員のお二人はどうするんですか?」

「……空いてるところにそれぞれ入るよ」

「ふーん……。佐倉は? どっちにするの?」


 クラスの視線が集まって、刺さる。

 そもそも花折に話題を振ったのは俺だし、甘んじて受け入れるしかないのだが。


「……演劇かな」

「なるほどね〜」


 ふんふん、と頷いて、そして。


「じゃあ私、演劇に移ろうかな」


 ざわざわ、と声が聞こえてくる。

 当然だろう、と少し頭を抱える。

 そもそもクラスでは中心に近い──意地の悪い言い方をすれば、カーストの上位にいる──花折が自分から移動を申し出たことだけでも驚きなのだ。

 加えて、その理由が教壇に立っている冴えない男──自分で言うのも悔しいが──にあるようにも取れるやりとりがあったのだから、尚更だろう。


 しかし、当の本人はどこ吹く風という表情で言葉を続ける。


あおいも一緒にどう?」

「え? ああ、うん、いいけど……」

「じゃあ、決まりだね。これで人数ぴったり?」

「え? あ、ああ……そうだな。これで望見と俺が出店と演劇に入ればちょうどだ」

「おっけー。じゃあ、班決め終わりかな」

「ああ……佐々木も大丈夫か?」

「う、うん。大丈夫」


 葵、と呼ばれた子──確かフルネームは佐々木ささきあおいだったはずだが、どうやら合っていたようだ──も、困惑を隠せない様子ではあるものの、納得はしているようだ。

 カツ、カツ、という音を聞きながら、移ると言ってくれたクラスメイトたちの名前を書き直す。


 書き終えると、改めて人数を数える。

 問題ないことを確認して、小声で望見に「人数、オッケーだ」と耳打ちする。

 望見は無言でコク、と頷き、最後のまとめを始めた。


「移動してくれた皆さん、ありがとうございます。最後に、移動したい方はもういらっしゃいませんか?」


 念の為の最終確認だ。

 ここで移動を申し出なかった場合は、どんな事情があれ班の変更はできない。

 といっても、実際にはクラスのなんでもできるやつが二つ以上を手伝っていたり、彼氏が彼女の班に混ざりに行ったりということはあるのだが。


 今一度教室を見渡してみるが、手を挙げそうな生徒は誰もいなかった。

 俺と望見は顔を合わせて頷く。


「では、以上で班決めを終わります。各班、テスト明けまでに提出してもらう書類があるので誰か受け取りに来てください」


 言い終えると、望見は深々と礼をした。

 それに倣うように、俺も頭を下げる。

 パチパチと拍手の音が聞こえ始めて、しばらくしてから俺たちは頭を上げた。

 気恥ずかしさを感じながら席に戻ると、なんだか急に疲れを感じた。


 俺たちが席に着いてから、先生が何かを話していたが……正直、全く耳に入っていなかった。

 周りの様子を見るに、大事な連絡はしていないようだった。

 まあ、何かあったら聞いてそうなやつに聞けばいいか。

 そう思ったのだが……賑やかな教室に、話を聞いていそうな人間はいなかった。

 皆、浮かれている。


 担任は一通り話し終えると、気を引き締めるかのように強めの語気で日直に挨拶を促した。

 声をかけられた生徒の挨拶から一拍遅れて、全員が立ち上がって礼をする。


 顔を上げ、先生が教室から出た途端……先程の数倍教室が賑やかになる。

 夏樹と話そうにも、隣にいる親友の声すら聞こえないんじゃないかというぐらいだった。

 早めに教室を出た方がいいかもしれない。

 教科書をカバンにしまいながら、ふと視線を感じて顔を上げる。

 そこには、二人の少女が立っていた。


「佐倉くん、さっきはありがとね」


 帰り支度を済ませたところで、二人のうちの片方────望見に声をかけられる。


「ああ、いや、俺は何もしてないよ」

「そうだよのぞちゃん、私が勝手に移動しただけなんだから」

「それもそっかー。でも、佐倉くんが真緒に声をかけてくれたのはホントだし。ありがとね」

「おう。こちらこそ、進行とか、任せちゃってごめんな」

「そこはほら、分担したから」


 そだね、と軽く返事をしてから、「あたし資料渡してくるねー!」とだけ言って立ち去ってしまった。

 ここにいるのは、俺と少女のもう片方────花折真緒の、二人。


「……花折は」


 なんとなく、口を開く。

 ここで聞かなければ、二度と答えを知ることはできない。なぜだか、そんな気がしたから。


「なんで俺に声をかけさせたんだ?」

「声をかけさせた、って何さ? 佐倉が声かけてきたんじゃん、みんなの前で。しかも、名指しで」

「……あれだけ声かけてほしいアピールしておいて何言ってんだか」

「へー、気づいてたんだ」

「気づいてなきゃ名指しで声なんかかけないよ」

「あはは、それもそっか」


 ケラケラと楽しそうに笑うと、ひらりと俺に背を向ける。

 そして、顔だけを俺に向けて。


「なんでだと思う?」


 そんな質問を、俺にしてきた。


「……わかんないから聞いてるんだけどな」

「だよねー。じゃあ、秘密ってことで」


 いたずらっぽく笑うと、じゃあね、とひらひら手を振って自分の席に戻ってしまった。


「……なんなんだ、アイツは」


 花折の真意は、全く掴めない。

 だが、読めないながらも……花折の行動のおかげで、班決めをスムーズに終わらせることができた。

 何はともあれ、感謝しなければならない。


(……どっかでお礼するか)


 ────これから忙しくなるから、よろしく。

 望見に言われた言葉が、脳裏に浮かぶ。

 その言葉を思い出して、俺は背筋が伸びる感覚を覚える。


 学祭まで1ヶ月。絶対に後悔しないように、努力することを……誰にともなく、誓った。

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