第28話 努力を尽くして結果を待つ
「やばい、マジでやばい」
「お前、彼女と勉強したんじゃないのか」
「それは……その……察しろ」
「あー……いや、すまん」
休み時間、俺はノートを開きながら夏樹と息抜きに談笑していた。
いや、談笑というには明らかに相手側……夏樹の顔に、笑顔がなさすぎるというところではあるが。
時は移ろい、早くも定期テスト最終日。
学祭の準備や夏音との勉強……様々な予定で右往左往していたら、あっという間にテスト本番を迎えてしまったのだ。
だが、焦りに焦っている夏樹はさておいて、俺は各教科で確かな手応えを感じていた。
夏音にしっかり勉強を教えたことでどの教科も基礎固めはできていたし、合間の時間に自分の学習──特に、応用問題──も進められていた。
そんな落ち着いた様子の俺を、動揺収まらぬと言った具合の夏樹が訝しげに見ている。
「で、そういうお前はどうなんだよ」
「俺か? 俺は……まあ、問題はなさそうだな」
「そうかよ……まあ、夏音の教師をやってもらってるんだ、それぐらいじゃなきゃ困るぜ」
「……何でそこは上からなのかね?」
「いいだろ? 別に。それより俺だよ、俺。ああ、マジでやばい……」
頭を抱える夏樹を尻目に、カバンに入れてきたチョコレートを一口頬張る。
甘みが口いっぱいに広がって、なんだか脳が冴えた気分だ。
頭を使うんですから糖分はすぐに取れるようにした方がいいですよ、なんて言って小春が持たせてくれたのだが……どうやら正解だったようだ。
いつものことながら、頭が上がらない。
「で、次は鬼門の数学だけど……夏樹はどうだ?」
「それ、聞くか? 正直やばいぜ、赤点で済めばいい方だ」
「いや、赤点より下ってないけどな」
「それぐらいできないってことだよ。今数学の先生への言い訳を考えてる」
「そんな暇あるなら公式の一つでも覚えたらどうだ?」
「お前なあ、公式ってのは覚えても使えないと意味ないんだぞ。ちったあ考えろ」
「なんで俺が怒られてるんだよ。使いたくても覚えてないと意味ない、の間違いだろ。覚えてないとそもそも話にならんぞ」
「そんなことわかってるんだって! でも覚えられないんだからしょうがないだろ!」
なぜか逆ギレまでされてしまった。もうダメだこいつは。
今年──正確には年が明けてからなので、来年だが──受験を控えている男とは思えん。
妹の努力を、少しは見習ってほしいものだ。
勉強会を再開してからというもの、夏音は本当にがんばっていた。
得意教科はもちろんのこと……苦手の数学でさえ、日に日に問題を解く速度も精度も精度も上がっていった。
途中からは、俺が教える必要はもうないのではないかと思うぐらいには。
もちろんまだまだ発展途上ではあるが、着実に成長を見せていた。
それに比べて兄ときたら。
彼女に現を抜かして勉強が手につかないなど、言語道断だ。
いや、もちろん彼女のことは大切にしてあげてほしいのだが、それで成績を落としてしまっては元も子もないだろう。
というか、彼女さん側はどうなんだろうか。
夏樹のせいで成績を落としてないかとか、夏樹が迷惑をかけてないかとか無性に心配になってきた。
今度菓子折りでも持って挨拶に行くべきか……。
まあそれはさておき、こいつがもし赤点取って追試になっても助けてやらんどこう。後で泣きついてきても知らん。
未だにぎゃーぎゃーと喚く夏樹を放っておいて、俺は最後の復習を進めることにした。
☆☆☆★★★☆☆☆
「終わったー!」
チャイムが鳴り、試験官の先生に解答用紙が回収されるや否や……ぐでーっと机に体を投げ出しながら夏樹は叫んでいた。
大きな声を出すのはどうかと思ったが、意外と言うべきか案の定と言うべきかクラス全体が既にそんな空気で、先生が教室を出る前にはもう既に喧騒で溢れかえっている。
「おつかれ、夏樹」
「おう。春也もおつかれ」
コン、と拳を突き合わせる。
この歳になってもこういうことをするのはなんだか気恥ずかしいが、中学の頃からの俺たちのルーティーンだ。
テストが終わると、必ずこうして互いを労うことにしていた。
「夏樹、この後暇か? 飯でも行こうぜ」
「あー……すまん。今日は部活の連中とバスケしてから帰るんだ。悪いな」
「オッケー、わかったよ。今日は大人しく帰るさ」
「おう、すまんな」
「なあに、いいってことよ」
そんな話をしていると、ガラガラとドアが開く音がして担任の先生が入ってきた。
「お前ら静かにしろー。ホームルームが終わるまでがテストだぞー」
なんて、遠足の終わりみたいなことを言い出したものの……教室の喧騒は収まる気配を見せない。
ガヤガヤと賑わう生徒たちを見てため息をつくと、担任は静かにすることを諦めたようにそのまま話し始めた。
「テストが終わったが、赤点取ったやつは追試があるからなー。学祭の準備が始まるからって、浮かれすぎないよーに。じゃあ」
手短にそれだけ伝えると、日直に挨拶をうながした。
今日の日直の子はたまたま周りの生徒とは騒いでおらず、先生の合図を見てすぐさま号令をかける。
礼をして向き直り、深呼吸。
最大の山場が、今終わった。
途方もない解放感に包まれながら、俺は椅子に腰掛ける。
先程から教室を満たしていた賑やかな声が、より一層大きくなる。
定期テストが終わり、学祭が目の前までやってきていた。
実際には、まだ通常授業がかなりの期間あるが……特段問題ではないだろう。
そんなことが気にならないぐらい、生徒たち──もちろん俺含め──は、学祭のことを心待ちにしている。
逸る心を押さえつけながら帰り支度を済ませると、何か連絡が来ていないかとスマホの画面を点ける。
見れば、2件の通知が来ていた。
1件は、望見からのものだった。
『ごめん、今日部活の集まりあるから早抜けするね! 学祭関係の話は週明けよろしく』
そんなメッセージとともに、最近流行っているらしいアニメのキャラクターがごめんなさいと頭を下げるスタンプが送られてきていた。
教室を見渡してみると、なるほど確かに望見の席にはもう誰もいなかった。
『了解、週明けよろしく!』
そんな短いメッセージと共に、俺もスタンプを押して返す。
夏音からプレゼントとしてもらった、可愛らしい犬のキャラクターのスタンプだ。
それで会話を終わらせた気でいたのだが……。
ピコン、とまた通知が来る。
望見からの返信だ。
『佐倉くん、そういうスタンプ使うんだ! かわいいね』
おっと、スタンプに反応されるとは思わなかった。
お気に入りのスタンプだしよく使っているが、スタンプ自体に言及されることはあまりない。
が、確かにこのスタンプはかわいい。愛くるしい、という表現が合うだろうか。
……夏音に似てるし、なんて言ったら本人は怒るかな。
『後輩にもらったんだ。かわいいよな、このスタンプ』
送信。さっき送ったスタンプとは別のものを一緒に送る。
さて、今のペースならすぐに返信が返ってきてしまいそうだ。
一旦望見とのトークルームを閉じて、その間にもう一件来ていた通知を確認する。
(差出人は……え?)
いや、定期的にやり取りはしている相手だし、連絡が来ることは特段珍しいことではない。
そう、珍しいことではないのだが……驚いているのは、その内容に、だった。
『お兄さん、放課後ヒマですか? ウチとデートしてほしいです』
そう、秋華から来たこのメッセージ。
秋華とは、それなりの頻度──大体、週に3、4度程だ──でメッセージを送り合っている。
そのほとんどが、他愛のない会話だ。
今日の弁当が美味しかっただとか、小春が真面目すぎるだとか、あの授業がつまらないだとか、そんな感じ。
個人的には、小春の学校での様子を知れるのは非常にありがたい。
学年が違うから、簡単には見に行けないし。
とまあ、普段のやり取りはこんな感じなのだが……。
(デート、か……)
こんなに真面目な文章でデートとやらに誘ってくるとは、今までにない事態だ。
しかし、文章だけだと揶揄われているのか本気なのかの判別がつけられない。
直に会って話している時ならば、すぐにわかるのだが。
何か企んでる? なんて聞くわけにもいかないし。
まあ、実際今日は暇だ。
つい先程夏樹にフラれたばかりだし、定期テスト当日故の短縮日程だからかなり時間が空いている。
しょうがない、少し付き合ってやるか。
それに────。
もしこの真面目な文章が本当だとしたら……おそらく、話したいことがあるから。
そして、それはきっとお母さん────紅葉さんのことだろう。
なんとなくだが、そんな気がした。
段々と人が捌けていった教室を出て、廊下を歩きながら秋華への返信を考える。
はてさて、どうしたものか……。
文字を打っては消し、打っては消しを繰り返すが、何ともいい文章がまとまらない。
ううむ。ガシガシと頭を掻いてみるが、あまり意味はなかった。
階段を降りて、下駄箱へと向かう。
未だ良い返しは思いついていない。
と言っても……あまり難しいことは考えず、いいぞ、とだけ返せばいいような気もするが……。
そんなことを考えながら玄関へと歩いていると、突然体の前方に、ドン、と衝撃を感じる。
スマホの画面と睨めっこしながら歩いていたせいか、どうやら何かにぶつかってしまったようだ。
衝撃の度合いからして、人に当たってしまったらしい。
咄嗟に頭を下げて謝罪をする。
「すみません、前見てなくて……」
「あ、いや、ウチこそ気づかなくて……ってあれ?」
「……ん?」
聞き覚えのある声に、下げていた頭を上げてぶつかった相手を見ると……。
「あ〜、お兄さんじゃん! 待ってたよー!」
目の前でブンブンと俺に向かって手を振っているギャルは、先程まで連絡を取ろうとしていた相手────尾花秋華、その人だった。
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