第30話 接近は最大の攻撃
「あ、お兄さん着いたよ」
「おう。……人多いし、少し待つか」
「そだねー」
俺たちを乗せてショッピングモールへ向かっていた路線バスは、定刻から4分ほど遅れて無事目的地へと到着した。
定期テスト直前から本番にかけて、割と長いこと雨続きだったが……今日は、これまでの数日の天気は嘘でしたと言わんばかりに青空が広がり、太陽が燦々と輝いている。
雲一つない青空、という言葉は今日の天気を表すためにある……なんて言っても過言ではない。
「晴れてよかったね、お兄さん」
「そうだな、昨日まで結構雨強かったし」
「ね。今日はデートし放題だね?」
「……し放題ではないけどな」
「えー?」
「ほら、降りるぞ」
俺は秋華の言葉を遮るように降車を促す。
実際乗ってる人は俺たち以外全員降りてしまったし、俺たちが降りないとバスも動けないだろう。ここ終点だし。
ポケットから取り出したICカードをカードリーダーに翳し、俺たちはバスを降りた。
……全然関係ないが、残高がかなり減ってたしどこかでチャージしておこう。
バスを降りると、爽やかな風が吹き抜ける。
頬を撫でる風は、いつの間にやらすっかり夏の色を孕んでいた。
「……いつの間にかだいぶあったかくなってるな」
「そだねー、そろそろ夏服に衣替えかなー」
うちの高校は、明確に衣替えの時期を設定していない。
校則に明記はされていないし、該当しそうな項目を見ても「季節や状況に応じた服装をすること」としか書いていない。
だから、寒がりな奴は夏でも冬服を着ていたりするし、逆もまた然りだ。
まあ、と言っても。
(秋華の場合はあんま関係ない気もするけどな……)
秋華が身につけているのはまだ冬服……もとい正式な服装ではあるが、前は大きく開けられている。
中に来ているワイシャツも薄手のものだし、オシャレのためか普段からブレザーのジャケットの袖も捲っている。
現状でもかなり涼しげなので、夏服にわざわざ替えなくてもいい気はする。
……というかこの格好、生徒指導の先生とかに怒られたりしないんだろうか。
などと考えながら、目線を秋華が着ている制服から秋華本人の顔があるあたりまで上げる。
が、目が合った瞬間に秋華の唇の端が釣り上がる。
「何さ、えっちなこと期待しちゃった?」
「……別に」
「え! 何、今の間!」
「何でもないって」
「えー、ほんとー? ウチが夏服って言ってからずっと胸見てたじゃん」
「え!? いや、そういうわけじゃ」
「またまたー。気付いてんだからね、そういうの」
いや、本当に違うのですが。
と言っても、実はあなたの制服を見ていました……なんて言えるわけもなく。
「……別に見てないよ」
なんて、ダサい言い訳しかできなかった。
「ほんとー? まあ……」
言葉の途中から、悪戯っぽい笑顔が消えて……。
「お兄さんになら、この中も見られてもいいんだけどなー?」
ぴら、とワイシャツをめくろうとする。
「お、おい、秋華……!」
「……なーんて」
元の笑顔に戻ると、秋華はくるりとその場で一回転して。
「びっくりした?」
なんて聞いてくる。
「……別に?」
「あー、強がってる?」
「強がってない、いつも通りだ」
「嘘つかなくていいのにー」
「秋華じゃないんだから、嘘なんてつかないって」
「あ、今の減点ですー。秋華ちゃんは機嫌が悪くなりましたー」
「ご、ごめんって……」
慌てて謝るが、そっぽを向かれてしまった。
流石に、今のは失言だった。
「ふーんだ」
「悪かったって。失言だった」
「ふーんだ。口では何とでも言えるもーん」
う、これはどうやら本格的に機嫌を損ねてしまったらしい。
「ごめん、お詫びと言っては何だけど……秋華のしたいことに付き合うよ。何でも」
「え、ほんとに!? 何でもしてくれるの?」
「……常識の範囲内なら」
「そ、そんなに変なことはしないし!」
「まあ、お手柔らかに……」
うーん、と腕を組んで考え込む秋華。
その表情は、かなり真剣に見える。
「……秋華、別に1個だけとは言ってないからな。たくさんあるなら付き合えるだけ付き合うし……」
「えっ、ほんと!?」
きゅぴーん、と擬音が聞こえてそうなぐらい目を輝かせる秋華。
そんなにやりたいことがあるなら言ってくれればいいのに。
今日はテスト終わりだし、明日は何もない土曜日だから泊まりとかじゃなければいくらでも付き合ってあげられる。
そう思って、何個でも、と伝えたのだ。
「じゃあね……ここ、行きたいな」
そう言って秋華が差し出してきたスマホの画面を見る。
そこには、このショッピングモールに新しくできたらしいパンケーキのお店が表示されていた。
「ああ、いいぞ。でも、クレープじゃなくていいのか?」
「うん、クレープはまた今度でいいかなって」
「そっか、じゃあ次来た時はそっちも行こうな」
「へ……あー、もう、お兄さんそういうとこだよほんと」
なぜだかまた秋華に怒られてしまった。
顔が真っ赤だが、そんなに怒られるようなことを言っただろうか。
「と、とりあえず行こ? フードコートの方だから、あっちだね」
「そうだな、じゃあ行くか」
「あ、そうだ」
歩き出して数歩、秋華は何かを思い出したように立ち止まった。
「何でもお願い聞いてくれるんだよね?」
「……常識の範囲内なら」
「じゃあさ」
ニコ、と楽しそうな笑顔になり……。
「手、繋ご?」
なんて、右手を差し出してきた。
「……まあ、それぐらいなら」
「あ、もちろん恋人繋ぎね?」
「じゃあ無理」
「なんで!?」
「だって恋人じゃないし」
「あー、また機嫌悪くなりそー」
「……しょうがないな、ほら」
あまり秋華の機嫌を損ねるのはこちらの本意ではない。
それに、先に何でもすると言ったのは俺の方だ。
渋々ではあるものの、左手を差し出し返す。
「えへへ、ありがと」
差し出した左手が、きゅ、と握られる。
何だかあったかくて、むず痒くて、気恥ずかしかった。
「……ほら、さっさと行くぞ。こんなとこ、学校の奴らに見られたら誤解されるしな」
「誤解って? お兄さんはどう誤解されると思ってるのかなー?」
「お前な……」
「言ってくれないとわかんないなー」
そう言う秋華の顔は、絶対わかっている奴の表情だった。
ニコニコと、普段よりも幾分か楽しそうな笑顔で俺の返答を待っている。
「……付き合ってるって、思われるだろ」
「……お兄さんは、ウチと付き合ってるって思われたら……嫌?」
繋いだ手に込める力を少しだけ強くして、上目遣いで聞いてくる秋華。
その顔は、どこか寂しそうにも見えて。
「……嫌では、ないけど」
そう言うしか、なかった。
と言っても、もちろんこれは嘘ではない。
ただ、俺と噂されることで秋華に迷惑がかかってしまうのではないかという懸念が大きかった。
「えへへ、そっかそっか」
なんて、今日で一番の笑顔を見せる秋華にとってしてみれば、瑣末な問題なのかもしれないが。
……でも。
(こんな表情されたら、勘違いしてしまいそうだ)
なんて、そんなはずもないのに。
俺にとって秋華は『妹』だし、秋華もきっと親愛を持って接してくれている……と思う。
もし影で嫌われていたりしたら本当に立ち直れなくなるけど。
「あ、着いたよ」
内心でそんな葛藤をしていると、気づけば目的のパンケーキのお店にたどり着いていた。
パステルカラーで彩られた可愛らしい外装で、店先にはメニューを載せた看板が出ている。
「へえ、すごくオシャレだな」
「でしょ?
「SNSとか?」
「そそ」
「ふーん、よくわかんないな」
「ま、いいから入ろ?」
「ああ、そうだな」
秋華に押される形で入店すると、店の奥の二人がけの席に案内された。
テーブルには真っ白なクロスが掛けられており、水の入ったコップが置かれているだけでとてもオシャレに見えた。
「ねね、お兄さん」
「ん、どうした?」
「ウチ、頼みたいメニューがあるんだけど……」
「おう、どれどれ……」
秋華がおずおずと指差した先にある商品を見てみる。
「おい、秋華?」
『カップルメニュー』と大きく書かれたそれは、ハート型のパンケーキが2枚とドリンク──もちろん。一つのコップにストローが二つ──という、どう考えてもお付き合いしている男女二人が頼むようなメニューだった。
「ごめんね、どうしてもこれ食べたくて! ダメ……かな?」
「……今日だけだぞ」
「ほんと? いいの?」
秋華の問いかけに、無言で頷く。
実際、断る理由もない。カップルメニューだからと言って特別何かが変わるわけでもなさそうだし、ストローは後で2本目をもらえばいいだろう。
「ありがと。……今日のお兄さん、すっごい優しいね」
「そうか? いつも通りだと思うけどな」
「まあ、いつも優しいけどさ」
「……そうか」
優しい、と言われると何だか気恥ずかしい。
俺は、自分で自分を優しいだなんて思ったことはない。
もっと善意で行動できる人間はいるし、本当に優しければ秋華の機嫌を損ねたりはしないだろう。
心の中ではそんな反論を並び立ててみるけれど、口には出さずに奥底に仕舞い込んだ。
それを、グラスに残った水と共に流し込む。
「お待たせしました、カップルメニューです! 冷めないうちにどうぞ」
そうこうしているうちに、注文したパンケーキのセットが運ばれてきた。
……正直、カップルメニュー、なんて大きな声で言うのは勘弁してほしかった。周りの視線が刺さる。
俺たちが頼んだのは、パンケーキが2枚──片方にはキャラメルソースがかかっており、もう片方にはクランベリーのソースがかけられている──のセットだ。
ストローが2本刺されたカップには、アイスのカフェオレが注がれている。
パンケーキが届くや否や、秋華はスマホを取り出してパシャリと写真を1枚撮る。
「えへへ、SNSに上げちゃおっと」
「
「……お兄さんだって花の男子高校生なんだから、少しは気にしなよ」
「よくわかんないんだよな、そういうの」
「そうなんだ……。今度教えてあげるね」
「おう、助かる」
「とりあえず、食べよっか?」
秋華に促され、俺はナイフとフォークを手に取る。
二つあるパンケーキのうち、俺はキャラメルソースがかかった方を食べることにした。
端の方を少し切り分けて、口に運ぶ。
「ん……うまい」
「でしょ? ウチの方もすごくおいしい」
「そうなのか。そっちは……クランベリーソースだっけ」
「そうだよ。……気になる?」
「……まあ」
気にならない、というと嘘になる。
俺は割と甘いものも食べる方だし、普段あまり口にする機会のないクランベリーソースともなると、どうしても気になってしまう。
秋華が気にしなければ、端っこの方を切ってもらって一口もらおうか……なんて思ってたのだが。
「はい、あーん」
「あー……え?」
「ちょっとお兄さん、急に口閉じないでよ。刺しちゃうとこだったじゃん」
「いや……え?」
「え? 食べたくないの?」
俺がおかしなことを言っている、と言わんばかりに大きく首を傾げる秋華。
いや、突然あーんをしてこようとすることの方がおかしいと思いますが。
「まあ、せっかくだから……ね? はい、あーん」
「あー……ん」
「どう? おいし?」
「……美味しい」
嘘だ。羞恥心とか、いろんな感情に邪魔されて味なんか全くわからなかった。
「ね、おいしいよね! そっちも一口ちょーだい」
「ほら、口開けろ」
「えー? ちゃんとあーんって言ってくれなとやだなー」
「……あーん」
「えへへ。あーん」
はむ、と俺が差し出したフォークを頬張る。
ハムスターみたいでちょっと可愛いな、なんて思ったことは、本人には内緒にしておこう。
「えへ、おいし」
「ならよかったよ」
それにしても、ここのパンケーキは美味しい。
パンケーキを外で食べたことなんかほとんどない俺でも、とても美味しいと感じられるぐらいには美味しかった。
今度小春や千冬を誘ってみてもいいかもな、なんて真剣に思うぐらいには。
ここに連れてきてくれた秋華には、あとでちゃんとお礼を伝えないと……。
などと考えていると、すぐ隣の席から……聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
「あれ……佐倉くん? と……秋華ちゃん?」
「望見……?」
そこに現れたのは、俺のクラスメイトにして、秋華の部活の先輩でもある佐藤望見だった。
────どうして俺というやつはいつも間が悪いのだろう。
望見の後ろで怪訝そうな顔をしている花折の顔を見ながら、そう強く思った。
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