第20話 嘘と嘘

「お兄さん、これの2巻取ってー」

「……自分で取れよ」

「えー、めんどくさーい」

「あのなあ……」


 時刻は21時20分から少し過ぎたところ。

 俺は自室で、このうるさいギャル────尾花秋華と対峙していた。

 秋華は今、小春から借りたと言っていたゆったりとして可愛らしい寝間着姿でベッドに寝転がっている。俺のベッドに。

 俺の部屋なのに。秋華はベッドでだらけており、俺は使い古した勉強机に座っている。


「んで、話ってなんだよ」


 正直目の前のギャルの無防備なその一挙手一投足より、食事の前に口にしていた「話したいこと」の方が余程気になっていた。

 あと、俺の部屋に長居されたくないので話を聞いてさっさと隣の小春の部屋に押し込もうとも思ってはいる。

 そんな俺の内心を知ってか知らずか……秋華はニッコリと、揶揄いの色を含んだ笑顔をこちらに向けてきた。


「えー? そんなに聞きたい?」

「話があるって言ってきたのは秋華だろ」

「あはは、そうだねー」


 俺の布団で勝手に寛いでる目の前の女の子は、どうにも感情が読みにくい。

 相変わらず、真意の見えない笑顔が張り付いたままのように見える。


「……わかったよ、話そっか」


 読んでいたマンガ──俺が買って揃えたものだ──をパタンと閉じると……体を起こして正座になり、こちらに向き直った。

 先程まで張り付いていた笑顔は消えており、そこに感情は見えない。


「じゃあ、今からするね……。告白、ってやつ」


 聞こえてきた言葉は、耳を疑う言葉だった。


「こくは……くって、お前……」

「うん、そうだよ。告白」

「あのなあ、秋華……」


 俺の言葉を遮るように、ベッドから立ち上がり……。


「ウチ、本気でお兄さんのこと好きだよ」


 俺の目の前────髪の毛の先が俺の顔に触れてしまうぐらい近くまで、やってきた。


「ウチ……結構尽くすタイプだよ? どう?」


 秋華から漂う甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 眼前まで迫った彼女は、覗き込むようにして俺を見上げていた。

 俺は、ふう、と息を吐く。


「……秋華、そういう嘘はよくないぞ。前も言わなかったか?」

「へー、お兄さんって女の子の本気の告白を嘘って言っちゃうタイプなんだ」

「お前が言ってることが嘘か本当かぐらいはわかる。何年お前のこと見てると思ってるんだよ」

「へっ……あっ、へっ……ふーん、そ、そうなんだ」

「……なんでそこで焦るんだよ」


 告白、なんて大それた嘘つけるのになんでそこは焦るんだ。不思議だ。


「まー、これは嘘なんだけど。よくわかったね。結構がんばったんだけど?」

「さっきも言っただろ。お前が嘘ついてたらすぐわかる」

「へー、そっか。……そうなんだ」


 実際、秋華は嘘をつく時に癖がある。

 本人は無意識だろうし、教えてしまうと直されてしまって嘘を見抜けなくなる可能性があるから絶対に言うつもりはないが。


「えへへ……お兄さん、ウチのことそんなに見てくれてるんだ。嬉しいな」

「……まあな。なんだかんだ、小学生の頃から一緒だしな」

「……うん。じゃあ、これからウチが話す嘘みたいな本当の話も……信じてくれる?」

「……聞いてみないことには、なんとも」

「そうだよね。じゃあ、聞いてくれる? そんなには、長くならないから」

「……もちろん」


 ありがと、とはにかむ秋華の顔は、酷く辛そうな……不安そうな顔をしていた。

 こんな秋華の顔は、見たことがなかった。



☆☆☆★★★☆☆☆



「お前が言ってることが嘘か本当かぐらいはわかる。何年お前のこと見てると思ってるんだよ」


 そっか。そっか、そうなんだ。

 嬉しいな、顔が火照ってる。

 お兄さんは、そんなに私のことを見てくれていたんだ。

 

「────じゃあ、聞いてくれる? そんなには、長くならないから」


 でも、ここから話すことは聞いてて嬉しい話じゃない。

 火照った顔を冷ますように、お腹の底から空気を吐き出す。


「あのね……まずはお兄さんに謝りたいんだ。今日突然来ちゃったこと。もちろん、小春にも」

「ああ、確かに突然だったな。……その様子だと、なんかあったのか?」

「……あは、わかる?」

「顔見てたらな」


 あちゃ。ウチ、そんな顔してたんだ。

 ピシャリと顔を叩きたい気持ちになった。

 そんなことしたら、動揺してるのがバレバレだからしないけど。

 いけない、だんだん恥ずかしくなってきた。

 内心の焦りを誤魔化すように、本題を切り出した。


「実はね……。家出、してきた」


 口にした。してしまった。

 できることなら、他人に話して一緒に背負わせてしまうようなことはしたくなかった。

 でも、お兄さんの……春也くんの、優しさについ甘えたくなってしまった。

 彼なら……なんとかしてくれるかも。なんて、思っちゃうのはどうしてなのだろう。


「……そっか。家族と何かあったのか?」

「うん。お母さんと、喧嘩」


 ウチにお父さんがいないことは、お兄さんも小春も知っている。

 物心ついた時には、お母さんだけだった。

 小学校の図工の授業で「お父さんの絵を描いてみましょう」と言われ、先生に「お父さんってなんですか?」と聞いた時の先生の表情は今でも忘れられない。


 ずっと、お母さんとウチの2人暮らし。

 だったのに。


「あのね、お母さんさ……。再婚、するんだって」

「再婚? 紅葉もみじさんが?」

「うん。そう」


 紅葉もみじ、というのはウチの母親の名前だ。

 ウチが小春にお世話になっているということで、何度か佐倉家に母親を連れ立って遊びに来たことがある。


「……いい話だと思うんだけどさ。なんか……嫌になって」


 自分でも、この気持ちに整理がついてない。

 嫌、なのだろうか。

 名前のつけられない、ぐちゃぐちゃとした感情。

 もやもやするというか。

 自分の気持ちなのに、理解することすら敵わないのが本当に悔しい。


「お母さんがずっと1人でがんばってたのは知ってたからさ、幸せにはなってほしいんだ。でも、なんか、怖くて……。いや、違くて、怖いわけじゃ、あれ、あ、れ……ウチ……」


 視界が歪む。

 頬に温かい何かが触れる。

 ポタ、と床に水の落ちる音がする。

 一滴。二滴。ポタ、ポタ。

 あれ、ウチ、まさか。


「あれ、ごめんね……わ、たし、なんで……」


 泣いてる。わたし、泣いてる。

 気づいた時には、もう止まらなかった。

 嗚咽が喉から漏れる。

 ダメだ。お兄さんにこんなところを見せるつもりじゃなかったのに。

 なんとか止めようとする。止まらない。

 涙は、堰を切ったように次々と溢れてきた。

 止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、


「大丈夫だ。今は……泣いていい」


 あ……。

 お兄さんに抱きしめられた。

 暖かくて。優しくて。


 好きだ。わたし、この人のことが好きだ。

 そう確かに感じながら、お兄さんの胸に顔を埋め、ひたすらに泣いた。


 嘘は得意だと思ってた。

 誰にもバレたことなかったし。

 そもそも、バレて困るような嘘はつかない主義だし。

 小春ですらも、わたしの嘘は見破れなかった。


 だから、私の人生は嘘でできている。

 そうまで思っていたのに。


 お兄さんには、簡単にバレた。

 見てればわかる、なんてことも言われた。


(もしかして、小春も知ってたのかな)


 涙が乾く頃には、そんなことを考えていた。

 嗚呼、暖かい。

 この腕の中に、胸にずっと包まれていたかった。


 もう少し嘘が得意だったら、そんなこともできたのだろうか。

 泣き止んだ様子の私を見て、お兄さんは腕を離してしまった。


 寂しいけど。

 もう大丈夫。今は話をしよう。


「ごめんね、お兄さん……。ありがと」

「大丈夫か? 無理はするなよ。好きなだけ泣いていいからな」

「……じゃあ、もうちょっとだけ抱きしめて」


 下手な嘘だ。

 なんてね、と言おうとして、わたしは目を見開いた。

 お兄さんは、何も言わずにもう一度抱きしめてくれた。

 どうして? なんで? 今のは嘘のつもりだったのに。

 いつも嘘をつく時の声色のつもりで口にしたのに。

 なんで、本心だってわかったんだろう。


「え、お兄さん!? 今のは嘘で……」

「そんなことないだろ。見てりゃわかるって」

「え、え、いや……」

「……無理はするな。今は好きなだけ泣いて、好きなだけ甘えてくれ。お前の『兄』として、何かしてあげたいんだよ」


 嬉しかったのに。はい、減点。こういうところ。

 『兄』じゃダメなんだよね。

 だって、兄妹じゃその先になれないじゃんか。

 なんて、それを伝えてもどうにもならないんだろうな。

 この言葉だけは、ぐっと飲み込む。

 絶対にバレないように。


「……ありがと」

「……もう、大丈夫か?」

「……うん。本当にありがと」


 ずず、と鼻をすすると、お兄さんがティッシュを渡してくれた。

 ちーん、と鼻を噛んで、お部屋にあったゴミ箱に捨てる。

 ……ゴミ箱の中身が気になる、なんて言ったら変態と言われてしまうだろうか。

 少し、笑顔になった。


「ごめんね、変なとこで泣いちゃって。続き、話すから」


 ふう、と息をつく。


「再婚の話を聞いてね、わたし、お母さんにやめてほしいって言っちゃったんだ」

「……そうか」

「でも、言ってからすごい後悔して。お母さんの幸せを私が邪魔する権利なんてないのに。でも、お母さん本当にやめようとしちゃって。それで、大喧嘩」


 要約すると、なんだか笑えてくる。

 私が再婚を止めるならさておき、今は積極的にしてほしいと口にしているのだから。


「お母さんはやっぱ再婚やめるって言って、わたしはやっぱやめないでって。普通、逆だよね」

「……そうかもな」

「そうだよ。それで、最終的にはわたしが勝手に飛び出してきたの。再婚にわたしが邪魔なら捨てるでも何すればいいでしょ、なんて酷いことまで言ってさ」


 呆れた話だ。

 お母さんがわたしのことを想って再婚をやめようとまでしてくれたのに。

 わたしのことが邪魔だなんて、そんなことがあるわけがない。


「だから、その……。なんて謝ったらいいか、わかんなくて」


 お兄さんは、目を閉じて静かに聞いてくれていた。時々相槌は打ってくれていたけど。

 腕を組んで、少し唸ると……そうだな、と口を開いた。


「もう出てるだろ、答え」

「え?」

「秋華は自分のどこがダメだったとか、全部わかってるだろ。だったらそれを謝ればいいんじゃないかな」

「そ、それはそうかもだけど……」

「大丈夫だ。優しい秋華のお母さんなんだから、きっと許してくれる。そもそも、秋華は悪意があって邪魔しようとしたわけじゃないだろ?」

「……そうだけど」

「ならちゃんとわかってくれるさ。再婚、結局反対じゃないんだろ?」

「うん、お母さんが選んだ人なら間違いないし。それに……お母さんには、ちゃんと幸せになってほしいから」

「……そっか。なら、それをちゃんと伝えればいいよ。ダメだったら、また話聞くさ」

「……うん、ありがと」


 ポン、と背中を叩かれる。

 ああ、この優しさが。心地良い。


 お兄さんの言う通りだ。

 結局答えは私の中にあった。

 お兄さんが、見つけてくれた。


「とりあえず、今日は遅いし泊まってけ。今の話は、小春には?」

「……まだしてない」

「それも後でちゃんと話してやってくれ。俺から話すよりは、秋華から話す方がいいだろ」

「……うん、そだね」


 ごろん、とベッドに寝転がる。

 お兄さんのおかげで、たくさん泣いちゃった。

 そして、心配してたこともいつのまにか氷解してしまっていた。


 ああ、わたしは本当にこの人が好きだ。


 力が抜ける。

 安心した。

 この人だ。


 わたしは、お兄さんが好きだ。

 それは、口が裂けても言えないけど。


 安堵や安心。

 ふつふつと湧いてきた暖かい感情を抱きしめながら、だんだんとやってきた微睡に身を任せることにした。


 暖かいのは、布団だけじゃなかった。

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