第19話 春夏秋冬、四季折々
「おいっすー! こはるん、元気ー?」
玄関のドアを開けるなり、家中に響きそうな声で挨拶をしてきたのは……。
「……アキ? 今日は厳しいって話、さっきしたと思うんだけど……」
「えー? でも来たくなっちゃったんだからしょーがないじゃん?」
「……はあ、まったくもう……」
小春の幼馴染こと、尾花秋華だった。
にゃははー、と笑う彼女を見て、思わずため息が漏れる。
「追い返すのも忍びないし、とりあえず上がってくれ……」
「はーい! お邪魔しまーす!」
ぽいぽいとローファーを脱ぎ捨てると、秋華は遠慮する様子もなくリビングのソファに腰掛けた。
「ハル兄、パパからの許可が出たっス! なので申し訳ないんですけど泊め……あれ、どなたっスか……?」
と、そこに家族との通話が落ち着いたであろう夏音が戻ってきて。
「は、春也兄さんごめんなさい……。私が時間を気にせずに喋り倒しちゃったせいで夏音さんが……、って、あの……そちらの方は……?」
夏音に付き添って席を立っていた千冬も戻ってきて。
「いやー、いつ来てもここのソファーはふっかふかだねえ」
突然やってきた秋華が座っていて。
「アキ……あのね……」
秋華の行動に頭を抱える小春が玄関からよろよろと歩いてきて。
佐倉小春。
海野夏音。
尾花秋華。
雪村千冬。
俺の4人の『妹』が、一堂に会していた。
なぜか、俺の家で。
「なんでこうなったかなあ……」
☆☆☆★★★☆☆☆
「……はい、では失礼します。……ふう」
「ハル兄、ありがとっス。割とかかってましたけど……パパ、怒ってました?」
つい先程まで、俺は海野さんのご両親と電話越しに挨拶していた。
娘さんを一晩お預かりする──しかも、元からそういった予定を立てていた訳ではなく突発的に──のだから、一言謝罪なりなんなり入れないといけないだろう。
そういうわけで、夏音にそのまま取り次いでもらったのだ。
「ああ、いや。
「あー、ママっスか……。ママ、話長いんで……」
「……そうだな」
洋さん、とは夏音や夏樹のお父さんだ。
大工さんを営んでいるという洋さんは、夏樹たち曰く絵に描いたような頑固親父で……俺も先程、たった一言だけだが文字通り釘を刺されてしまった。
ちなみに、言われた言葉は「娘に手を出したらわかってるな?」。
古い任侠映画の登場人物のような見た目と声をした職人に、ドスの効いた声でそう言われると……一般男子高校生としては、蚊の鳴くような声で「出さないっス……」と答えるのが精一杯だった。
こういったことは初めてではないとはいえ、未だに慣れない。
陽子さん……海野家のお母さんは洋さんとは真逆で、ほんわかしてるというか、すごく楽観的な方だ。
今日も、「夏音ちゃんのことよろしくねえ」とか、「お父さんはああ言ってるけど、私的には春也くんが相手なら全然オーケーだから! きっと夏樹もいいって言うだろうし安心して!」とか、「婿入りでも嫁に出すでもどっちでもいいわよ! 春也くん的にはどっちがいいかしら?」とか、よくわからないことを並べてきた。
どういうことだ。何がオーケーなんだ。
「まあ、許可はいただけたから。気にせず泊まってってくれ」
「はい、ありがとうっス」
夏音周りのことはとりあえず解決だ。
だが、懸念点はまだたくさんある。
まず、というか問題のほとんどは……。
「アイスうまっ!」
俺が冷凍庫の奥にしまっておいた──先週発売したばかりの冷凍ミカン味のアイスをモリモリ食べているギャルを見ながら、どうしたものかと考える。
「あー美味しかった……」
「あのなあ、秋華……」
「あ、ねえねえ。お兄さん」
こちらの呆れた様子などどこ吹く風か、満足そうな顔をした秋華はちょいちょいとこちらに向かって手招きする。
「……なんだ」
「……あとでさ、ちょっと話したいことあるから……その……」
お兄さんの部屋に行くね。その声は、俺にしか届かないぐらい小さな声で……耳元で囁かれた。
そんなはずないだろうに、そういうことを想像してドキリとしてしまった自分を、俺は全力で殴り飛ばしたくなった。
「……わかった。あとでな」
「ありがと」
そう言ってはにかむ彼女の顔には、いつものへらへらとした笑顔は少しも残っていなかった。
秋華、と問いかけようとした俺の声は、ソファーから立ち上がった小春のよいしょ、という独り言でかき消されてしまった。
「さて、色々問題はありそうですが……そろそろご飯にしましょうか。お兄ちゃん、千冬、盛り付けのお手伝いをお願いしてもいいですか?」
「うん、もちろん」
「ああ、任せとけ」
気づけば時計は20時より少し先を指していた。
お菓子を食べたとはいえ、運動部の性か──つい先日引退はしたが──すでにかなり腹が空いていた。
茶碗3杯分ぐらいなら米が食える自信はある。
先程まで大量のマフィンを貪っていた夏音と、今しがたアイスを食べ終えたばかりの秋華はどうか知らないが。
「夏音と秋華はどうする? すぐ食べれるか?」
「ウチはそんなに多くなくていいかなー」
「ボ、ボクはお腹空いたっス……」
夏音の言葉が本当であることは、本人よりも本人のお腹の方が雄弁に語っていた。耳まで真っ赤にした夏音……のお腹から、ぐぅ、という音が何度か聞こえる。
この代謝の良さ……そして、おそらく普段からあれだけ食べているであろうにこの華奢な体格のままなのは、流石現役運動部というべきか。
「うふふ。千冬ちゃん、夏音ちゃんの分から盛ってあげて」
「うん。夏音さんのは大盛りにしておきますね」
「ふ、二人ともぉ……」
「あっはは! なっちー、かわいいねえ〜」
楽しそうな4人の様子を見て、俺も釣られて笑顔になる。
同じ学校の同じ学年4人。仲良くなれるかも、とは思っていたが……想像以上にみんな打ち解けている様子だった。
特に、人見知りな千冬が夏音や秋華とこんなに仲睦まじく話している光景を見ると────
ちなみに今日の献立は鶏の唐揚げ。
カラリと揚がった黄金の衣と、そこから漂う香ばしい香りがなんとも食欲をそそる。
それは4人も同じようで、夏音が立っている辺りからまたくう、と音が鳴り、談笑が聞こえてきた。
本当に楽しそうだ。
だが……4人で話している光景は、やがて俺に……今考えるべきでは絶対にないであろう思考を呼び起こさせた。
4人の中に、おそらく手紙の主がいる。
この中の、誰が。
『妹』でいたくない、と。俺に伝えようとしたのは。
誰なんだろう。
そんな──この場にそぐわない──思考が、ぐるぐると脳内に渦巻いていた。
考えたってわかるものじゃない。
そんなことはわかってる。わかっているつもりだ。
────だけど。
「はい、春也兄さんの分です」
「あ、ああ。ありがと」
千冬の一声が聞こえ、俺はズブズブと沈みかけていた思考の沼から這い上がった。
今は食事だな。手紙のことは、食べ終わって後片付けをしながらでも考えられる。
時を、時を待つ。それだけだ。
その思考自体がそもそも間違っているということに、この時の俺は気づく由もなかった。
☆☆☆★★★☆☆☆
「あー。美味しかったっス……。小春ちゃん、ハル兄、ごちそうさまっス」
「ふふ、お粗末様でした」
「なっち、たくさん食べてたよね〜。なんならお兄さんより食べてない?」
「そうですね。夏音さん、ご飯4杯はペロリと行っちゃいましたもんね」
「そ、それはあんまり言わないでほしいっス……」
俺たちは小春謹製の唐揚げに舌鼓を打った。
揚げたての唐揚げは衣がサクサクしていて、噛むと肉汁がジュワリと溢れる最高の一品だった。
マフィンの時同様口いっぱいに唐揚げと白米を詰め込みながらほいひいと連呼していた夏音のみならず、千冬や秋華も揃ってとても美味しいと目を輝かせていた。
我が妹ながら、素晴らしい料理の才能だ。
そういう進路を選んでみてもいいんじゃないかな、と思うのは親バカならぬ兄バカだろうか。
「美味しかったですか? お兄ちゃん」
そんな俺の思考を知ってか知らずか、ぴょこ、と台所から顔を出して俺に尋ねてくる小春。
「ああ、もちろん。美味しかったよ」
「ふふ、よかったです」
笑顔を見せる小春。しかし、その表情はすぐに翳りを見せた。
「お兄ちゃん、食べてる間ずっと浮かない顔してましたから」
「え、そうだったか……?」
「はい、ずっと。美味しくないのかと思って不安になっちゃいました」
「そっか、心配かけてごめんな。ちょっと考え事してただけで、ご飯はとても美味しかったよ。前とまた材料変えたりした?」
ぱあ、と小春の顔が明るくなる。
「うふふ、流石お兄ちゃんですね。正解です。衣に使ってる粉をちょっと高いものにしてみました」
「やっぱりそっか。前より美味しくなってたから、もしかしたらと思って」
「お気に召していたら小春は嬉しいです」
「とてもおいしかったよ。いつもありがとな、ごちそうさま」
さて、と自分の席にある食器を片付ける。
「俺は風呂の準備をしてくるよ。台所の片付けは任せてもいいか?」
「もちろんです。小春に任せてください」
ふんす、と力こぶを作ってみせる小春。細身の小春がやると、とても微笑ましい。
「秋華たちもこき使っていいぞ。みんなでやった方が早いだろうし」
「確かにそうですね。みなさん、お手伝いをお願いしてもいいですか?」
小春が3人に問いかけると、食後の余韻に浸っていた各々がのろのろと立ち上がる。
「もちろん手伝うよ。任せて」
「お、お腹がくるし……。もちろんお手伝いはするっスけど、ちょっとだけ待ってほしいっス……」
「おやすみー」
おいコラ。夏音はともかく秋華は何言ってるんだ。
台所の方から恐ろしいオーラを感じながら、俺は風呂場へと歩き出した。
風呂場にいても聞こえる4人の声は、聞いていて心地よかった。
束の間の日常のようでいて、非日常。
4人が一堂に会するのは、今日が初めてのことだった。
この楽しい時間を、たった一日で終わらせるのは────なんだかとても、もったいない気がした。
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