第18話 他生の縁

「お、おじゃましまーっス……」

「はーい。夏音ちゃん……ですよね? 話はお兄ちゃんから伺ってます。ごゆっくりどうぞ」

「悪いな小春、急に人連れてきたりして」

「いえいえ。お兄ちゃんが女の子を連れ込むなんて初めてですが……ビックリはしましたけど、問題ないですよ」

「あのなあ、連れ込むって……」

「……ハル兄、ま、まさか本当にそういうつもりで……?」

「違うから。とりあえず夏音は上がってくれ」


 あの後……固まってしまった夏音をなんとか再起動し、うちで勉強することの了承を取り付けた。

 もちろん小春や千冬にも確認済みだ。

 普段は彼女たち──主に小春が秋華を連れてくる場合がほとんどだが──も友人を招く場合があるので、許可さえ得れば特段問題はないのである。


 それに、夏音と小春たちは同級生。

 もしかしたら、仲良くなれたりするかもしれない。

 そういったことを見越しての提案だった。


「荷物はソファーのとこにでも置いておいてくれ。落ち着いたら早速勉強を始めよう」

「はいっス!」


 元気のいい夏音の返事に頷きを返し、俺は自分の部屋にカバンを置きに行った。



☆☆☆★★★☆☆☆



「……で、ここの計算にこの公式を使うと……」

「……ふむむ? お! おー! なるほど! っス!」


 場所を俺の家に移してから1時間と少し、ようやく夏音のテスト勉強は最初の一歩を踏み出していた。

 先程出題した10問のうち、夏音が解けた! と言っていた1問──もっとも、計算はまるで違っていたが──の解説を、今しがた終えたところだった。


「解けた! 今度こそ合ってるっス! やったー!」

「よしよし、よく頑張ったな」

「あー……まだ1問なのにめっちゃ疲れたっス……」

「まあ、1時間ぐらい経ってるしな……。よし、ちょっと休憩するか」


 時刻はすでに18時を回っていた。

 今日学習するべき量を考えると、今ここで休憩を挟むとちょうどいいだろう。

 お菓子でも持ってくるか。確かこの間買ったお菓子がまだ残っていたような。

 そんなことを考えると、台所から聴き慣れた甘く優しい声が聞こえてきた。


「お兄ちゃん、夏音ちゃん、お勉強お疲れ様です。お菓子を作ってみたので、ご休憩にどうぞ」


 エプロン姿の小春が持ってきてくれたのは、皿いっぱいに盛られたマフィンだった。

 ほかほかと湯気を纏った出来立てのマフィンにはチョコチップが彩られており、漂ってくる甘い香りと合わさって絶妙に食欲を刺激してくる。


(確かに、小腹が空いてきた頃だったな……)


 思考に呼応するように、くう、とお腹が鳴る。

 本当にちょうどいいタイミングだったな。

 さて、それでは……。


「いただきま……」

「おいひいっふ、ほへ!」

「……夏音、飲み込んでから喋ろうな……」


 流石にはしたないのでそう注意すると、子どものように目をキラキラと輝かせたままの夏音がブンブンと首を縦に振った。


「……ぷはっ、これすごくおいしいっス!」

「うふふ、お気に召したようで何よりです」


 そう答える小春の声色は少し弾んでいた。

 元気の塊みたいな夏音にこうも真っ直ぐ褒められると、こういうリアクションになるんだな。

 それにしても……美味しい。

 夏音がこれだけ夢中になるのもわかるというか。


「……うん、美味しいよ。小春」

「ふふ、ありがとうございます」


 勉強の疲れが吹き飛ぶような美味しさだった。

 優しい甘さで、いくらでも食べられてしまう。


 もぐもぐといくつかを飲み込んだところで、そろそろ千冬が帰ってくる頃合いかなとふと気づいた。

 いかん、千冬の分を残しておかないと……。


 パッと目線をさらに落とすと、時既に遅く……最後のひとつを、夏音が手につかんだ瞬間だった。


「はふいい、はんふは?」


 もちろん、手に持つだけでなく口いっぱいに詰め込んだ状態で。


「あー、いや、そろそろ帰ってくる従妹のためにちょっと残しておこうかと思ったんだが……遅かったな」

「へ……あ……」


 空っぽになった皿を二度見すると、キラキラ輝いていた夏音の顔が一瞬で真っ青になった。


「あ、あの……ごめんなさ……」

「あーいや大丈夫! 気にするな!」

「多分千冬が帰ってくるのはまだかかるし、千冬にはまだマフィンのこと伝えてないから……」


 夏音を悲しませまいと慌てて二の句を継ごうとするが……ガチャ、とドアが開く音に遮られる。


 ……ドア?

 しまった。ということは……。


「ただいま、春也兄さん、小春」


 玄関から顔を出したのは、やはり雪村千冬だった。



☆☆☆★★★☆☆☆



「千冬ちゃんは6組なんでスね! ボクは4組っス!」

「私は6組です。そうなんですね……。4組でしたら、福地先生のクラスですか?」

「そうっスそうっス! 福地先生、知ってるんスか?」

「はい、バドミントン部の顧問の先生なので……」

「なるほどっス! 福地先生、いい先生っスよね」

「ええ、とても」


 千冬と夏音の会話は、俺や小春が入らなくても十分過ぎるぐらいに弾んでいるようだった。

 夏音はともかくとして、千冬はかなり人見知りするタイプだから少し不安だったが……。

 この分だと大丈夫そうだ。


 ちなみにもう一つ俺が心配していた千冬の分のマフィンだが、小春がちゃんと千冬の分を先に分けておいてくれたので問題はなかった。

 ……もっとも、夏音は千冬の分にすらも手を出そうとしているが。


 訂正。手を出そうとしている、じゃなくて、出した。


 まあ食べる前に千冬に一声かけていたから、大丈夫か……

 さっきあれだけ食べたのになと思いつつ、妹の手作りのお菓子をそれだけ気に入ってくれたのであれば兄冥利に尽きるというか。


「二人が仲良くなっててよかったよ」

「そうですね、千冬ちゃんが初対面の子とあんなに仲良く話してるなんて……」


 俺と小春はお菓子の片付けをしながら、そんな二人を見守っている。


「そうだな……。あんなに楽しそうな千冬、久々に見た」

「……このまま二人が友達になれたら、嬉しいですね」

「ああ。でも、それは小春もかな」

「えっ?」

「小春も、夏音と仲良くなってくれると嬉しいかな。夏音は俺の大事な……」


 あれ。大事な……なんと言うのが正解だろうか。

 先輩後輩、という関係かと言うとちょっと違う気もするし、親友の妹と言うのも他人行儀すぎるな。

 実の妹の前で、『妹』と呼称するのも違うし……なんと表現したものか。


「大事な……なんです? まさか……」

「ああ、いやいや。大事な後輩だよ」


 違和感はあるが、やはりこう呼称するのがいいだろうか。

 まあ間違っている訳ではないし。


「そうですか……。まあ、お兄ちゃんがそう言うならそういうことにしておきます」

「あはは……。ところで洗い終わった皿って……」

「あ、小春が拭きますのでそのまま置いておいてください」

「オッケー。ありがとな」

「いえいえ。


 キッチンからリビングに戻ったところで、あることに気がついた。

 あれ、待てよ……。

 ふと時計を見ると……。


「夏音、時間大丈夫か?」


 気づけば19時半を回っていた。

 休憩し始めたのは18時過ぎだったが、小春のおやつを食べていたり千冬が帰ってきたりで伸び伸びになってしまった。

 19時には解散して家まで送っていこうと思っていたのだが……。

 すっかり遅くなってしまった。


「しまった、全然時計見てなかったっス……! どうしましょう……!?」

「とりあえず、親御さんに連絡してきな。もし泊まりになっても、うちは大丈夫だから」

「と、と、泊まり…………!? は、はいっス…………」


 カバンからスマホを取り出すと、夏音はパタパタと玄関の方に駆け出していった。

 もし泊まりとなったら、電話越しでも親御さんにご挨拶はさせてもらった方がいいな……。


「小春、うちに布団って何個余ってたっけ」

「千冬ちゃんの分以外にもうひとつありますから、夏音ちゃんが泊まりになっても大丈夫ですよ」

「だよな。ありがとう」


 念の為の確認だったが、布団の数も問題ない。

 夏音が一人泊まっても問題ないだろう。


 ふう、と安堵のため息をついた途端、ピリリとスマホの着信音が鳴る。

 自分のスマホではなかった。はて、と辺りを見回すと……小春のスマホのようだった。


「もしもし……あ、アキ? うん……うん……」


 話し相手は秋華のようだった。

 うん、うん、と相槌を打つ声が聞こえる。

 しかし……。


「えっ……ごめんね、今日は……。えっ、もう…………って」


 小春の焦る声が聞こえてくる。

 詳しい会話の内容までは聞き取れないが、秋華と何かあったのだろうか。


 どうかしたのか、と声をかけようとしたその瞬間。

 ピンポーン、とチャイムの音が鳴る。


 チャイム? この時間に、何故?


 玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは────。




「あ、やっほー! お兄さんじゃん! 元気?」




 つい先程まで、小春と話していた……尾花秋華、その人だった。

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