第45話 夏模様の猫
佐倉春也という人間を知ったのは、二年生の秋だった。
いや、正確に言えば二年の春から存在だけは認識していた。
男子とも女子ともそれなりに話す、上でも下でもないごく普通の生徒……そんな印象だった。
そんな『クラスの男子生徒の一人』から『佐倉春也』になったのは、のぞちゃん……中学からの親友、佐藤望見が発端だった。
『ごめん、教科係の仕事があるから結構遅くなるかも!』
かわいらしいうさぎのキャラクターが頭を下げているスタンプと共にそんなメッセージが送られてきたのはある放課後のことだった。
その日は私の部活が休みで、駅前のコーヒーショップに秋の新作フラペチーノを飲みに行くという約束をしていた。
先に教室を出て玄関で待っていたのだが、どうやらのぞちゃんは先生から仕事を任されてしまったようだった。
まあうちの学校の先生は割と突発的に仕事を振ってくることが多いし、しょうがないだろう。
了解、とだけ短文を送ると、私は教室の方へと戻った。
もちろんのぞちゃんの仕事を手伝うため。
任されたことの内容までは知らないが、結構、と修飾されているからにはそれなりの量があるのだろう。
一人で待っていても暇だし、親友の助けになれるのなら。
そう思い階段を登ろうとすると、ドタドタと慌てたような足音が聞こえてくる。
不思議に思って立ち止まると、相当急いでいるらしい足音の主の姿が見えた。
その女子生徒は前が見えないぐらいに焦っていたようで、私が視界の端に捉えた瞬間その子とぶつかってしまった。
「ごめんなさい、急いでて……ってあれ、真緒ちゃん?」
「こ、こちらこそ……あれ、のぞちゃん?」
足音の主は、我が親友の佐藤望見だった。
お互いにイタタ、なんて声を出しながら立ち上がる。
もちろん軽く触れた程度なので、私はどこも痛めていない。
のぞちゃんの方も足首を捻ったり、という様子はなさそうだった。
「随分早かったね、のぞちゃん。お仕事はもう終わったの?」
「ううん、佐倉くんが代わりにやってくれるって。私、結構焦ってたから気を遣ってくれたみたいで……」
「……佐倉くん?」
って、誰だっけ。
そういう続ける前に、のぞちゃんが少し驚いたような顔をして答えを返してくれた。
「同じクラスの男子だよ、バド部の。……覚えてないの?」
「え、あ、あー……そういえばいたっけ、そんな人」
「いるいる。その子がね、『佐藤さん、急いでるなら代わりにやっておこうか?』って」
「ふーん……」
特徴を聞いても、相変わらず顔は脳内に描画されてくれなかった。
あいつでもない、こいつでもない、色んな男子の顔を思い浮かべてみるが解答は一致しなさそうだった。
それにしても、のぞちゃんが急いでいたとはいえ突然仕事を全部代わってくれるなんて都合が良すぎないだろうか?
もしや何か裏があるのではないか。
「……のぞちゃん、そいつに変なこと言われなかった?」
「変なこと? ううん、なんにも」
「本当に? 見返りに連絡先聞かれたり、デートに誘われたりしてない?」
「あはは、そんなことするような人じゃないと思うけど」
「そうとは限らないよ? 男子なんてみんな下心あるやつしかいないし。佐倉? だっけ? そいつもなんかよからぬことを考えて、のぞちゃんに近づいてきたのかもだし」
「えー、そんな風には見えなかったけど……」
「とにかく、なんかされたらすぐに私に言ってね。ボコボコにしてやるから」
「あ、あはは……。心配してくれてありがとね、真緒ちゃん」
「いいってことよ。親友に近づく悪い虫は追っ払ってやるし!」
「……クラスメイトを虫扱いは流石にかわいそうじゃないカナー……」
優しい望見は佐倉とかいう男子のことを気遣っていたが、私としてはやはり何かあるのではないかと心配でしょうがなかった。
だから、フラペチーノを飲んでる間もずっと男子がいかに危険かの話をしていたし、帰り道は何かあったらすぐに連絡するように何度も念押しした。
次の日、教室に入るなり私は佐倉という男子を探した。
男バスのキャプテンである海野と楽しそうに談笑していた彼は、海野に負けず劣らず爽やかイケメンといった印象だった。
直接話しかけこそしなかったものの姿を目に焼き付けた私は、彼がのぞちゃんに何かちょっかいを出さないかしばらくの間こっそり監視していた。
幸いにも佐倉とやらからのアクションは何もなかったようで、のぞちゃんと話すときもいつの間にか話題に上らなくなった。
その後もクラスで毎日顔を合わせているはずなのだが、関わりがないとどうやら忘れてしまうらしく……佐倉という男子の存在はすっかり私の頭から抜け落ち、教室にいる男子の一人でしかなくなった。
三年生になっても直に話す機会はなく、これからも会話をする機会は訪れないまま卒業するのだろう。そう考えていた。
そんな中、今年の初夏────『佐倉春也』と、二度目の出会いを果たした。
☆☆☆★★★☆☆☆
「ねえねえ、真緒は好きな人いるの?」
いつものやつがまた始まった。
6月中旬。
大会前日、前乗りしていた宿泊先のホテルでの一幕だった。
陽陵高校女子バスケ部。
誰もが認める強豪……とまではいかないものの、市内では敵なし。
今年も危なげなく地区大会を突破し。一つ先の大会へと駒を進めていた。
今日は移動日で、明日がいよいよ初日。
もう私たちの試合まで12時間を切った──結果次第では、3年生にとっては最後の試合になる──という、大事な夜のはずなのだが……。
目の前にいる花が咲いたような同級生の顔を見て、私は少しため息をついた。
「今はそんなこと考えてる余裕ないかな。そっちはどうなの?」
「あ、真緒先輩それ聞いちゃうんですね〜?」
「あれ、真緒には言ってなかったっけ? 実はね〜……」
その子は私の質問を聞き、にへ、と笑顔を作る。
そこに、ゴシップ好きの後輩も乗っかってるとくれば……。
あ、これはミスったな。
この子は一度話し始めるととにかく長い。
リアクション的に、彼氏ができたかできそうかといったところか。
できたばかりなのであれば、一度話し始めれば3時間は止まらないだろう。
そんなことをすれば、明日の大会に響く。
そして、この噂話大好きな後輩が乗っかってるということは……恐らく私以外のバスケ部はみんな知ってるんだろうな。
つまり、私個人に向けた爆裂ノロケトークが始まってしまう。
これでは話を聞く素振りをして明日のことだけを考える、という手が使えそうもない。
困った。非常に困った。
まだ作戦会議とかも何も進めてないのに……。
「……でね、隣の学校の子なんだけどとってもイケメンで、すっごい優しいんだよね〜」
ああ、ぼーっとしてる間に暴走列車が走り出してしまっていた。
どうにかして列車を止めなければならない。 文字通り、脱線してでも。
「あ、あはは……そうなんだね。それはそうと、なっちはどうなの?」
「ふ、ふぇ!? ボクっスか!?」
なんとか話の主導権を握ろうと、端の方で布団に顔を埋めている後輩──海野夏音に話題を振る。
夏音──バスケ部員はみんな『なっち』というあだ名で呼んでいる──は男子バスケ部のキャプテンの妹で、兄譲りのかなりの実力者。
一年ながらすでにレギュラー入りを果たしており、今回の遠征にもこうして同行している。
また、実力だけではなく見た目もかなり可愛くて、その人懐っこい感じから男子バスケ部では人気が高いようだ。
……まあ、兄貴の方がニラみ利かせてるせいで手出そうとする奴はいないけど。
ともあれ、そんな子の恋愛事情はなんとなく気になってしまうものである。
話を逸らすためだけではなく、純粋に好奇心もあったため、なっちに話題を振ってみたが……。
(あ、そういえば──)
「……なっちこないださ、うちのクラスの男子と一緒に勉強してたよね。あれ、どういうことかな〜?」
そうだ。聞かなきゃいけないこと、あったじゃん。
いやー、忘れるところだった。
「えーっ!? なっち、そうなの!?」
後輩ちゃんが大袈裟なリアクションを見せる。
よし、話題の中心は完全になっちだ。
ごめんねなっち。先輩は明日のこと考えたいんだ。
かわいい後輩を囮に使うのは本当に心が痛むのだが、佐倉の話を聞いたら私は寝てしまおう。
うちのクラスの目立たない男子と一緒に勉強してた、ってのは本当だし、すごく気になってもいる。聞けるならば聞いておきたい話だし。
「そ、それは、その……。はい、一緒に勉強……してた……っス」
「うんうん、それで!? その人のこと好きなの!?」
後輩はずい、と身を乗り出してなっちに迫っている。
あまり浮いた話が流れてこないなっちの話だ、相当気になるのだろう。
「あ…………う…………」
恥ずかしさが頂点に達してしまったのか、耳まで────どころか、程よく日焼けしたなっちの綺麗な肌の見えている範囲が全て真っ赤になってしまっている。
声も出せない、と言うようにワタワタと手を動かしているが……これはもはや回答してしまっているようなものだろう。
「で、どうなの? 好きなの?」
ふんす、と鼻息を荒くして質問攻めを続けている。
なっちがしおしおと身を小さくしてしまったのと対照的に、後輩ちゃんはぐいぐいとさらに迫っていた。
この積極的な姿勢を試合でも見せてくれればな、なんてのは流石に悪口かな。
私は誰にも見えないように肩をすくめた。
「は、はい……好き、っス」
おずおずとなっちが絞り出すように答えると、周りがワッと色めき立った。
きゃあきゃあと言葉にならない声を出しており、まさしく姦しいと言ったところか。
「いつから? 三年の人とどうやって知り合ったの? どんな人? もう付き合ってるの?」
大学受験の面接でもそこまではいっぺんに聞かないだろう、というぐらい根掘り葉掘りする質問。
プシュウ、と煙でも吐きそうななっちの様子が見ていられなくなり──まあ、原因を作ったのは私だが──少しだけ口を挟むことにした。
「こら、それ以上はなっちがかわいそうでしょ。その辺にしてやんな」
「えー? 真緒先輩は気にならないんですか〜?」
ぶー、と不満そうに口を尖らせる後輩を無視して、今度は私の方から話を振ってあげる。
こうでもしないとこいつは止まらなさそうだし。
「佐倉ってどんな感じなの? 私、同じクラスだけど話したことないからあんま知らなくてさ」
「え、えっと……や、優しくて気が利いて、カッコよくて、素敵で、あ、えっと、カッコよくて……」
「あー、うん……もう大丈夫……」
先程よりもさらに顔を赤くして話すなっちの姿だけでも、私はもうお腹いっぱいだった。もはや胸焼けしそうだ。
周りの黄色い声がさらに一段高くなる。鳥の鳴き声でも聞いているかのようだった。
それにしても……。
「そんなに好きなんだ、佐倉のこと」
「は、はい…………」
俯きながらも、しっかり「はい」と答えた。
これだけの様子を見れば、本当に佐倉のことが好きなのだろう。
それははっきりと伝わってきた。
「ふーん……」
そういえば、私は佐倉春也のことを何も知らない。
あいつがどんな奴なのか、どんな性格なのか、どんな人間関係なのか。
(────そうだ)
せっかく同じクラスなのだ、少しぐらい探りを入れてみるのもいいだろう。
のぞちゃんに話を聞いてから、気になっていた──もちろん、男女関係の意味ではなく──し。
もしなっちのことを泣かせるような奴なら、とっちめてやる。
結局何もなかったとはいえのぞちゃんの件もあるし。
同級生がダメなら後輩に、なんて悪いことを考える輩かもしれないからね。
しっかり監視してやらねば。
もう寝るよー、なんて、なっちに助け舟を出すフリをして私はそう目論んだ。
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