第44話 夏色

 放課後。俺は空き教室で、一人の女子生徒と対峙していた。

 少女は金色の髪を揺らしながら、至って真面目な顔のまま口を開いた。


「教室でそういうコトするのって、お兄さん的にはどう? 興奮する?」


 目の前の少女────尾花おばな秋華しゅうかは、ルビーの瞳で真っ直ぐこちらを見つめている。

 少しだけ頬を染めて、スカートの裾を持ち上げながら秋華はそう呟いた。

 状況が状況だけに、並の男子なら勘違いしてしまってもおかしくはないだろう。

 もっとも俺は秋華の性格はよく知っているつもりだし、これがからかいの色を含んだ冗談だというのもわかっている。

 それに、俺と秋華がお互いに抱いている感情は家族愛に近しい親愛だ。

 間違ってもそういうことにはならないだろう。


「……秋華」

「ん? どしたの?」

「そういうコトが何を指すのかは知らないが、今日の本題はそれじゃないだろ?」

「えへへ。ちなみにお兄さん的には『そういうコト』って聞いて何を想像しちゃうのカナー?」

「……ノーコメントだ」

「えっ、なになに!? 今の間!」


 しまった、回答の仕方を間違えたようだ。

 面白いものを見つけましたとでも言うように、キラキラとした顔でこちらに向かって身を乗り出してきた。


「怒んないから何考えたかウチに言ってみ? ん?」

「……そういうのはいいから。わざわざ放課後空き教室に呼び出してきた理由を教えてくれ」


 わざと突き放すような言い方で俺は話題の転換を促す。

 こうでもしなければ秋華は俺をからかい続けるだろう。それはあまり好ましいものではない。


 それに……これは本人には決して言えないが、空き教室に可愛い女子と二人きり、というこんな状況で冗談でもああいった発言を続けられるとこちらの理性的に危ない────なんて事情もある。

 こんなことを考えてしまっているのが秋華にバレれば、それはもう鬼の首でも取ったかのようにからかわれること間違いなしだが。


「もー、お兄さんったら。せっかちな男の子は嫌われちゃうよ?」

「秋華はそんなことで俺を嫌いになるのか?」

「なっ……お兄さん、ホントそーゆーとこだよ」

「何がだよ」

「べっつにー?」


 不機嫌そうに漏らすと、くるりと回って俺から少し離れた。

 先程までの態勢のままだと近すぎて秋華のいい匂いを鼻に感じられてしまうぐらいだったので、正直ありがたい。

 これも、本人には言えないな。


「ま、せっかちなお兄さんのために本題に入っちゃおっか。と言っても、お兄さんなら多分わかってるよね?」


 首肯。

 秋華はギャルのような見た目をしているため適当そうに見えるが、その実かなりしっかりしている。

 わざわざ俺を呼び出してくるということは何かしらの相談や聞いてほしい話がある時だ。

 それに、先日俺の家で秋華と話した内容────シングルマザーだった秋華のお母さん、紅葉さんの再婚話。

 その話を聞いた時に、心配と不安からお母さんと喧嘩してしまったなんて話を聞いたのも記憶に新しい。

 俺はその時は大したことは言えなかったが、秋華は俺との話の間に答えを見つけてくれたようだった。

 何度かお会いしたことがあるのだが紅葉さんもすごく優しい人し、きっと無事解決できたのだろう。

 今日はその報告かな、と思っている。


「……紅葉さんのことだろ?」

「……さすがお兄さん、よくわかってるね」

「まあな。秋華のことはよく知ってるつもりだ」

「……お、お兄さん、ホントそーゆーとこ!」


 耳まで赤くなった秋華にぺち、と肩を叩かれる。

 流石にキザな発言すぎただろうか。心の中で少し反省する。


「……あのね、お母さんとちゃんと仲直りできたよ」

「そうか、よかったな」


 えへへ、と笑う秋華は楽しそうだったし、何より安心しきった表情だった。

 秋華にとって紅葉さんはたった一人の家族。

 喧嘩したままだったら、あまりにも寂しいだろう。

 俺だったら、きっと耐えきれないな。


「それでね、新しいお義父さんにも会ってきたの」

「……そっか、再婚はちゃんとすることになったんだな」

「うん、すっごくいい人だった! お母さんが選んだ人だけあるなー、って」


 そう言うと、秋華は少し遠い目で窓の向こうに広がる青空を見つめた。

 今日は風が強く、空に浮かぶ大きな雲が川を流れる落ち葉のように視界の端へと消えていく。


「よかったな、お義父さんがいい人そうで」

「うん! これから一緒に家族として過ごすんだなって思ったら、なんだかワクワクしてきちゃった」


 秋華はそう言って無邪気に笑いながら、机に腰掛けていた姿勢からぴょん、と立ち上がった。

 あどけない笑顔は年相応────いや、むしろもっと幼い表情に見えた。

 それでいい。


 秋華は小さい頃からお父さんがいなかった。

 俺や小春が出会った頃には、紅葉さんしかいなかったと記憶している。

 幼少期の俺が「しゅうかちゃんのおとうさんはどこですか?」なんて聞いて、紅葉さんを困らせてしまったのも懐かしい記憶の一つだ。

 ……申し訳ないことをしてしまったとは思っているが。

 そんな秋華が、お義父さんにこれからたくさん甘えられるのだと思うと……とても嬉しいと言うべきか感慨深いと言うべきか、えも言われぬ感情を抱いてしまう。

 

 よかったな、秋華。

 気づけば俺はその気持ちが溢れ出てしまったかのように、目の前の少女の頭を撫でていた。


「ひゃっ、お、お兄さん……?」

「あ、す、すまん! つい……ごめんな、嫌だったよな」


 慌てて伸ばしていた手をパッと引っ込める。

 いくら家族のような関係とはいえ、これはやりすぎだったかもしれない。

 俺に触られてしまうなんて、あまり好ましいことではないだろう。

 だから、秋華から返ってきた言葉は想定外の物だった。


「ううん、嫌じゃないよ。だから……もっとして?」


 瞳を潤ませながら、上目遣いでこちらを見つめてくる秋華。

 金髪ギャルの美少女が、普段と違う態度で撫で撫でを懇願してくる構図。

 いくらなんでも破壊力が高すぎる絵だった。


「……いいのか?」

「いいよ、ウチは。……それにしても、お兄さんが自分からウチに触ってくるなんて、珍しいこともあるんだねっ」

「……やっぱりやめた」

「えー? 遠慮しなくていいのにー」


 このこのー、なんて言う秋華に肘で小突かれる。

 いつもの秋華の笑顔だ。見ていると、こちらまで笑顔になるような……そんな表情。

 コロコロと表情が変わる秋華が、とても愛おしい。

 ……これも本人には言えないな。内緒話ばかりだ。


「あ、そうだ。もう一個伝えときたかったんだけどさ」

「ん、なんだ?」

「お義父さんさ、お子さんがいるんだって。女の子」


 これはまた意外な情報が出てきた。

 こんな大事なことをなんでもないように言うのは……もうすでに受け入れられているからなのか、それともまだ整理ができていないのか。


「へえ……じゃあ。義理の姉妹ができるのか」

「うん、そうらしいよ。向こうのほうが年上だから、お姉ちゃんなんだって」

「そうなのか。お義姉さんにももう会ったのか?」

「ううん。生徒会に入ってるっぽくて、結構忙しいんだって」

「生徒会? ってことは歳はそんなに離れていないんだな」

「うん、多分ね。……仲良くできるかなー、不安になってきちゃった」

「秋華なら大丈夫だろ、自信持てって」

「……うん、ありがと」


 不安そうに俯いた秋華の頭を、もう一度撫でる。

 手のひらが触れた瞬間、驚いたように秋華が顔を上げたがすぐにくしゃりと破顔した。


 今はただ、目の前にいる少女の不安を和らげてあげたかった。

 秋華が幸せになれますように。そう願ってやまなかった。

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