第46話 フレー

 目の前に置かれた紙の束を、ゆっくりとめくる。

 ペラ、と紙と紙が擦れる音は、普段授業で聞く音とはまた違う質感を伴って耳まで届いた。


 表紙に当たる部分に『シンデレラ』と書かれたそれは、導入の部分だけでも俺の知るシンデレラとは少し違う内容だったと感じる。

 そもそもシンデレラと王子様の性別が逆になっているし、意地悪なはずの姉はシンデレラ──男だが──が舞踏会に行けるよう甲斐甲斐しく世話をしているし、魔女は魔法をかけるのではなくどこかから衣装を買ってきている。

 ……これ、どうやってストーリー動かすんだ?

 続きが非常に気になるところだが、今はじっくりとこれを読んでいる時間はない。

 『シンデレラ』をパタリと閉じて机に置くと、賑やかに談笑している生徒たちに向けてあのさ、と口を開く。

 が、会話に夢中になっている周りの生徒には届かなかったようで、返事を返してくれたのは一人だけだった。


「佐倉くん、『シンデレラ』どうだった?」

「まだ冒頭しか読めてないけど、結構面白そうだなとは思ったよ」

「そっかそっか。結構悩んじゃうよね〜」


 あはは、とウェーブのかかった漆黒の髪──濡羽色と言うんだったか──を揺らしながら微笑みかけてきたのは、同じクラスの佐々木ささきあおい

 彼女の手には、『エリュシオン』と書かれた分厚い冊子が握られている。

 ボロボロになっている表紙に加えて、至る所に付箋が貼られているそれは、昨日今日で作られたものでないことが容易に想像できた。


「とりあえず、佐々木が持ってきてくれた台本の中から選ぶ感じでいいかな?」

「そうだね。準備期間を考えると、この時間で配役まで決めちゃいたいんだけど……」


 どちらともなく二人で周囲を見渡してみる。

 が、やはり皆談笑に夢中になっており、こちらの視線には気付く気配すらなかった。


「ま、自由に話し合って、なんて言われた時点でこうなるかなとは思ってた」

「だよね〜。でも、そろそろちゃんと話し合わないとね」


 今は6時間目。

 通常の教科ではなくロングホームルームと表記されているこの時間は、間近に迫った学校祭の準備のために用意されたものだ。

 俺たちは、演劇組。

 他の組はすでにテーマや内容、分担まで決まって実際の準備に取り掛かっているようなのだが……。


(どうしたもんかねえ……)


 協調性という言葉が欠片もなさそうなこのメンバーは、役どころか未だ演劇の内容すら決まっていなかった。

 一応、演劇部所属だという佐々木が台本をいくつか見繕って持ってきてくれたので、その中から決めようという話までは進んだのだが……。

 俺と佐々木以外は、読んでいる気配すらなかった。

 ここまで来たら二人で決めてしまってもいいかもしれない、なんて言い出したくもなる。


「佐々木、それどうだった?」


 佐々木が手に持っている分厚い台本を指差して、尋ねた。


「これね〜。演劇で有名な学校のオリジナル作品らしいんだけど、内容がめっちゃ長くて……」

「ああ、それでそんなに分厚いのか」

「そもそも一章が長いのに、全部で三章あるんだよね。内容もかなり大仰だし」

「そうか……。削ったりもできなさそうなのか?」

「そこまでアレンジを加えるのは、私じゃ無理かな〜……。これ作った学校でも毎年三章のうち一章を順番に披露してるらしいし」

「なるほど、それじゃあ厳しいか。『エリュシオン』はなし、と……」


 手元のノートにバツマークを書き入れる。

 佐々木はかなりの数の台本を持ってきてくれたのだが、内容が適していなかったり時間的に長い・短いものなども多数あり……結局、ホームルーム50分間のうち30分を消費した今も候補として残っているのは3つだけとなってしまった。


「残ってるのはこれだけか……」


 3つの台本を机に並べる。

 それぞれ『シンデレラ』『ヴァンパイア』『おじゃま虫』と書かれている。

 この中から一つを選ばなければならないのだが……。

 ううむ、と腕を組む。

 冒頭を読んだ印象はどれも非常に魅力的ではあったのだが、それだけに絞り込めなかった。

 どうしたものか、と顎に手をやると、突然元気な声が耳に飛び込んできて思わず振り向いた。


「春也、決まった? どれにすんの?」


 顔を覗かせたのは、真緒だった。

 今の今まで友人と談笑していたくせに、どうして軽い調子でそんなことが言えるんだろうか……。

 呆れた態度を伝えるように、俺は大袈裟にため息をついた。


「お前なあ……話し合いにはちゃんと参加してほしいんだが」

「ごめんごめん。でも、春也と葵だけで十分かなって」

「そんなわけないだろ。絶賛難航中だし、あと20分で配役や裏方の分担まで決めなきゃいけないんだから」

「あはは、それはヤバいね」

「あはは、じゃねえよ……」

「そうだよ真緒、なんとかしてよ〜」


 半ば泣きつくように佐々木が真緒に抱きついた。

 二人だけでの話し合いは限界を迎えつつあったので、かなりありがたい助け舟だろう。

 ……この調子で他の生徒も話し合いに参加して欲しいところではあるが。


「台本、読んでもいい?」

「ああ、もちろん」


 3冊の台本をパラパラとめくる。

 その表情はいつになく真剣で、先程までの少しふざけたような色はどこにもなかった。

 2、3分ほどして最後の1冊をパタリと閉じてから、真緒はもう一度口を開いた。


「……うん、決まった」

「決まった、って……」

「私的にはこれ、かな」


 そう言うと、『シンデレラ』と書かれた台本をひょい、と持ち上げた。


「『シンデレラ』か。ちなみに、理由は?」

「他二つはオリジナルのお話だったけどこれは童話のシンデレラが元だったから、お客さんも理解しやすいのかなって。パロディとかネタに振ったとこはあるけど、要所は締まってて話としても面白いと思う」

「お、おう……」

「あとは、メンバー的にも演じやすいかなって。大道具もそこまで用意しなくてすみそうだしね。だから私的には『シンデレラ』かなって。二人はどう?」


 平然と言葉を続けた真緒に俺は何も返せず、思わず隣に立つ佐々木の顔を見る。

 佐々木もどうやら俺と同じだったようで、お互いに唖然とした顔のまま目が合う。

 多分、このあと続ける言葉も一緒だろう。


「……真緒」

「……真緒ちゃん」

「ん、どったん春也、葵も。顔怖いけど」

「「最初からそれを言えーっ!」」

「ご、ごめんなさいっ!?」


 綺麗にシンクロした俺と佐々木の声に、真緒はまるで親に怒られた子どものように身を縮めた。

 俺たちの大きな声のおかげで談笑していた周りもようやく状況に気付いてくれたようで、残り15分で配役までしっかりと決めることができたのは……また別の話だ。


 学校祭まで残りわずか。

 高校生活最後の青春が、始まる。



 

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