第47話 きらり

「なるほど、昨年はそういった出店が多かったんですね……」


 向かいの席に座る黒髪の美少女は、そう言って納得したように深く頷くと手元のメモ帳にカリカリと文字を書き入れた。

 そんな様子を見ながら、俺はコップに注がれたサイダーを一口含んだ。

 この季節にちょうどいい、すっきりとした爽快感が喉を抜ける。


「まあ、去年多かったってことは今年はウケない可能性が高いってことでもあるからな。参考程度で頼む」

「あ……そうですよね、ありがとうございます」


 少女は深々と礼をする。高い位置で結ばれたポニーテールがぴょこんと揺れた。

 こんな身になるかどうかすらわからない、俺なんかのアドバイスでも律儀に聞いてくれる。

 それが、目の前の少女────我が従妹、雪村ゆきむら千冬ちふゆのたくさんあるいいところの一つだと思う。

 本人は自己肯定感がかなり低く、長所を褒めても謙遜を通り越して全力否定を始めてしまうから、どう伝えたものかはとても悩んでしまうが。


「お忙しい中ありがとうございます、春也兄さん。私のクラス、全然意見がまとまらなかったので……」


 あらかた俺の言葉はメモに書き写したようで、改めて深く腰を折って礼の言葉を述べる千冬。

 ただ、丁寧すぎてまるで入試の面接みたいになっているが。


「気にすんなって。家族なんだから、困ったらいつでも頼ってくれ」

「は、はい……! ありがとうございます」


 雪のような素肌がじわじわと赤くなる。

 あ、いえ、これは! なんて短い言葉が聞こえてくるが、少し部屋が暑かっただろうか。

 俺は千冬に気を遣わせないように、「暑いな」なんて言いながら窓を開けた。

 

「それにしても、千冬も学祭実行委員だったなんてな。ちょっと意外だった」

「そ、そうですよね……私なんかにこんな大役、やっぱり合わないですよね」


 しゅん、と肩を落とす千冬。


「違う違う。千冬から自分でそう言って辞退するだろうな、って。千冬ならもちろんできると思ってるよ」

「いえ、そんな……私なんかが」

「千冬、部長命令」

「あっ、は、はい!」


 ぴん、と千冬の背筋が伸びる。

 部長命令、というのは先日俺が千冬に下した指令。

 それは、「自分を否定するような発言をしない」という内容だ。


 ちなみになぜ部長命令なのかと言えば理由は簡単で、千冬と俺は同じバドミントン部に所属しており、その部活の部長が俺だったというだけだ。

 もっとも、俺は夏を迎える前に引退してしまったからもう部長ではないのだが。


「その……私も断ったのですが、クラスメイトの女の子に『千冬ちゃんしか任せられないの』と泣きつくように懇願されまして……。絶対にそんなことはないのですが」

「いや……そんなことあるんじゃないかな……多分」


 なんとなくその時の様子を想像してみるが、そこまで泣きつくというのであれば余程他の生徒が頼りないか、余程千冬が傑出しているかのどちらかだろう。


 ただ、我が陽陵高校は腐っても進学校。

 そこまで頼りない生徒が多いとは思えないので、千冬が傑出しているだけなのだろう。

 先日中間テストの結果を報告してもらったが、学年2位だったしな。

 ちなみに、1位は小春だ。俺の妹たちはなんて優秀なのだろうか。


「まあ、大変だと思うけど頑張ってみなよ。学祭の準備ってかなり楽しいし」

「……はいっ。 春也兄さんも今年は実行委員なんですよね。ご自分から立候補されたのですか?」

「ああ。俺は去年すごい楽しかったから、今年は運営に近いところでやってみたいかなって」

「なるほど……」

「それに、今年で最後だからな。やらずに後悔するより、やって損した方が良いと思ってるし」

「最後…………」


 最後、という俺の言葉に、一瞬千冬は悲しげな表情を浮かべた。


「そうですよね、春也兄さんは3年生なんですもんね」

「まあな。後悔のないよう、全力で楽しむさ」

「……そうですね、それが一番ですね」


 尚も千冬の顔には悲しそうな色があった。

 千冬は本当に優しい。俺に気を遣ってくれているのだろう。


「……学祭さ、時間あったら一緒に回らないか?」

「えっ、それって、あの」

「お互い実行委員だからどうなるかわからないけど、シフトの空き時間とか合ったらさ。嫌だったり予定あったりしたら申し訳ないけど」

「えっ、いえ、嫌だとかは何も! 春也兄さんはいいんですか……?」

「ああ。今のところそんな予定もないし、本当にシフト次第にはなるけどな」

「そうですか……。わかりました、何が何でもシフトを空けるので、春也兄さんのシフトがわかったらすぐに教えてください」

「お、おう……?」


 いつの間にか千冬の表情はいつもの──いや、いつもよりも自信ややる気に満ち溢れているか──表情になっていた。

 何はともあれ、元気を取り戻してくれたのはありがたいことだ。


「あ、気づいたらこんな時間ですね……」

「ん、本当だ」


 千冬の声を聞いて時計に目をやると、時刻は15時46分を指していた。

 学祭の準備が始まっているとはいえ、まだこの期間は部活動も普通に行われている。

 もう少し日程が近づくと部活も休みになり、授業も短縮になるのだが……それはまだ先の話だ。 


 向かいに座っていた千冬が立ち上がる。

 ガタ、と椅子を引く音が誰もいない教室に響いた。


「今日はお時間いただきありがとうございました。また何かあったらご相談させていただきますね」

「おう、なんでも聞いてくれ……と言っても、わかる範囲でしか答えられないけどな」

「……春也兄さんにわからないことなんてあるんですか?」


 きょとん、とした顔で首を傾げる千冬。

 何を言っているんですか? とでも言いたげな表情には、からかいや冗談の色はなくて本気でそう思っているのだと感じられた。


「買い被りすぎだよ。それより、早く行った方がいいんじゃないか?」

「あっ、そうですね。では、お先に失礼します」


 放課後の空き教室。

 最後まで丁寧な所作で教室を後にする千冬を見送ってから、大きく伸びをした。

 あまり建設的なことを言えた自信はないが、千冬にとって何か得るものがあったなら幸いだ。


 俺にとっては最後の学祭だけど、『妹』たちにとっては初めての学祭。

 お互いに悔いの残らないよう、全力で楽しみたい。


 先程開け放った窓から顔を出すと、大きな鳥が一羽、空を駆けていった。

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