第54話 夏嵐

「……よし。ここまで! 佐倉くん、だいぶ上達したね」

「ねー。春也、結構頑張ってたしね」

「本当か? ありがとう、なんとかなりそうかな」

「なんとかなるどころか、演劇部勧誘したいぐらいだよ。今からでもどう?」

「……やめとくよ」

「そっかー、残念」


 放課後。

 いつもの通り──と言っても、俺と佐々木だけではなく今日は真緒も一緒だ──空き教室での練習を終えた俺たち3人は、連れ立って廊下を歩いていた。


 佐々木や真緒が褒めてくれた通り、手前味噌ではあるがかなり上達してきたと思う。

 毎日練習を見てくれた佐々木や、読み合わせに付き合ってくれた真緒には本当に感謝の念しかない。

 佐々木は演劇部の活動もあるのに放課後ずっと付きっきりで指導してくれたし、真緒に至っては携帯で通話を繋ぎながら夜遅くまで台本の暗記を一緒にやってくれた。

 だから、こうして褒めてもらえるぐらい上達できたのは俺が頑張ったからというよりも二人のおかげなのだ。


 全部終わったら、二人にはしっかりお礼をしないとな。

 何か考えておかないと。また向中野あたりに相談しておくか……。

 生徒会に顔を出した時に相談してもいいが、生徒会メンバーにはこの手の話題に明るそうな奴はいないし。


 そういえば、ここしばらくは生徒会にも顔を出せていない。

 演劇関連の追加の申請書を出しつつ、また武市の入れてくれる紅茶を飲みに行くとしよう。

 それに────。


(茜さんとも、また話してみたいしな)


 忙しさも相まって、秋華や夏音とは連絡も取れていない。

 夏音とは短い時間だが学祭を一緒に回る約束をしているから、そこで会えるのだが……。

 秋華にも、あとで聞いてみるとするか。


 談笑する佐々木と真緒の明るい声をBGMに思考の海に浸かっていると、いつの間にか俺たち3年6組の教室の前にたどり着いていた。


「演者組はだいぶいい感じになってきてるし、今日は残りの時間大道具の準備を手伝おっか」


 佐々木の言葉に、俺は無言で頷いた。

 先日、大道具担当の男子たち──元は演者志望だったが、主役は嫌だということで俺と交代することになった奴らだ──と話をしたのだが、大道具制作の進捗はあまり芳しくないらしい。

 シンデレラという題材を扱う以上、大道具はかなりの数必要になるし……舞踏会のシーンでお城の内装も何もないのは非常に寂しいだろう。

 俺たちが手伝うことで制作が進むのであれば、喜んで協力するつもりだ。

 それに、元々俺は大道具がやりたくて演劇を考えていたわけだしな。


 ガラ、と教室のドアを開けると、俺たちに気づいた男子たちが声をかけてきた。


「助けてくれ春也! 全然終わらん!」

「このままじゃ味気ないシンデレラができちまう!」

「わ、わかったから抱きつくなって……」


 思わず後ろを振り返る。

 佐々木は腰に手を当ててやれやれ、と呆れた顔をしているし、真緒は……何だ?

 口の端を曲げて、なんだか不満そうに見える表情だ。

 ああ、男子たちの仕事が進んでいないのが不満なのか。

 きっとそうだろう。


 男子二人をあしらいながら教室の後ろに置かれた大道具を見ると、立木が2本あるだけで他のものは明らかに製作中……いや、製作を今始めました、といった様子だ。

 これは確かに泣きつきたくもなるだろう。


「……とりあえず手伝うから、一旦離れてくれ」

「本当か!? さすが春也、助かるぜ!」

「ありがとう! 恩に着るよ!」

「お、おう」


 そう言うと二人はようやく俺から離れてくれた。

 やれやれ……。大きく息を吐いてから、乱れた制服を整える。

 背景の絵、他の大道具、何から手をつけていけばいいか……。


 まずは完成品をチェックかな。

 出来上がっている立木を見る。

 ……が、これは……。


「おい、この立木ヤバくないか?」

「え? どこが?」

「いや、色とかはいいんだけどさ……」


 問題があったのは、板の足元の部分。

 土台に板を差し込むようにして作られているのだが、土台に部分が非常に不安定だった。

 俺が近づくだけでもギイ、と音が鳴ってフラついていたし、これでは公演中いつ倒れてもおかしくない。

 それに、木の部分である板は非常に大きく重さもある。

 もし目の前に役者がいるときに倒れでもしたら、大惨事だ。演劇どころではなくなってしまう。


「根元。グラつきすぎだろ、これ」

「うわ、本当だ。すぐ直すよ」

「おう、頼むぜ」


 ガサゴソとビニール袋を漁る。

 大道具製作用の細かい材料はその袋に入れて全員共用にしてある。

 のだが……。


「あれ? おかしいな……」

「……どうした?」

「いや、針金とかで補修しようとしたら切れちゃったみたいだ。ちょっと一走り買ってくるよ」

「そうか、悪いな。他の作業は俺たちでやっておくよ、何からやればいい?」

「おっ、助かるぜ。お城の背景、塗っておいてくれ。絵の具はもう用意してあるから」

「了解」


 そう短く指示を出すと、カバンから財布を取り出して教室を走り去ってしまった。

 とりあえず、立木問題はあいつが戻ってくれば解決かな。一安心。


「ってわけだから、背景の色塗りをやるぞ。聞いてたよな」

「オッケー。任せといて」

「うん、早いとこ終わらせちゃお」


 脇に置かれていたペンキの缶を持ち上げ、床に広げられている大きな模造紙を見る。

 見れば、色が塗られている部分は全体の3割にも満たない。

 これは時間がかかりそうだ。

 もう一人教室の残っていた男子の顔を見ると、申し訳なさそうに視線を逸らされた。


「よし、やるぞ」


 パン、と手を叩いて全員に合図を出す。

 みんなが首肯するのを見てから、俺は作業を始めた。

 それぞれ持ち場について、刷毛を手に持った。

 俺は教室の前側で、真緒は立木の前か……。

 ぶつかったりしたら危ない気もするが、まあ大丈夫だろう。

 改めて、俺たちは色を塗り始めた。


 もくもくと作業する俺たち男子二人に比べ、女子たちは小さな声で談笑しながら楽しそうに進めていた。

 とは言えど進捗の差は歴然で、佐々木と真緒の方はあまり進んでいなかった。

 会話の内容はあまり聞き取れないものの、賑やかそうな雰囲気はわかる。

 しかし、ポソポソと話していた二人──というよりは、佐々木に何か言われたであろう真緒──の声が一段大きくなる。


「ち、違、そんなんじゃないって……」


 一体何を言われたのか、いやいや、と佐々木を手で制しながら後ずさる真緒。

 いい加減仕事に集中してほしいものだが……って、いや待て。

 その位置から後ずさったら……!


「真緒、危ない!」

「えっ?」


 一瞬。注意するのが、一瞬遅かった。

 ドン、と真緒の背中が立木にぶつかってしまった。

 その瞬間、俺はなりふり構わず真緒の方に駆け出していた。

 あれだけ大きな立木が真緒に向かって倒れ始めたのが視界に映る。


(間に合ってくれ────!)


 走って、近づいて、手を伸ばして、そして────。

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