第6話 放課後、部活

 パンッ、と乾いた音が閉め切られた体育館に響く。

 この音を聞くために学校生活を送っている────と言っても、割と過言ではないと思う。

 それぐらいに、放課後のこの時間……バドミントン部として活動する時間が大好きだ。

 ラケットを振り抜き、シャトルを打つこの瞬間が、たまらなく好きだった。

 この瞬間だけは、嫌なことも、悩みも、全て忘れられる気がした。


 3年間──いや、俺が始めたのは中学からだからもう6年になる──真剣に打ち込んできたスポーツだ。

 それが、もう少しで一区切りだと思うととても寂しい。

 だからこそ、一球入魂。

 一試合も、一球も無駄にしない。

 そんな気持ちで試合形式の練習をしていた。

 

(時間的にそろそろ終わりか──)


 体育館の壁際に置かれているタイマーには、残り20秒と表示されていた。


 これで決める。

 その一心で、頭上に上がってきたシャトルを目掛けラケットを鋭く振り抜いた。


 パアンッ、と先程より一段高い音が鳴り、続いてカンッ、とシャトルが床に落ちる音がした。

 うまくスマッシュが決まった。今日は調子が良かった。


 そんな思考に重なるように、セットしていたタイマーがピーッと響いた。


「よし、今日はここまで! 片付けるぞー」


 部長として、全員に号令をかける。

 楽しいからこそ、時間というのはあっという間に過ぎ去ってしまう。

 この時間が、短ければもう1ヶ月も経たずに終わってしまうという事実がどうしようも悲しかった。

 

 そんなことを思いながら、顎から滴り落ちるほどの汗をタオルでぐいと拭った。



☆☆☆★★★☆☆☆



向中野むかいなかの。ちょっと相談がしたいことがあるんだが……後で時間もらえないか?」


 片付けも大体終わり、部員全員──俺も入れて18人──で、クールダウンの時間。

 怪我防止や翌日の筋肉痛軽減なども兼ねて、練習の最後には必ずストレッチを念入りに行っていた。

 そこで俺は隣でストレッチをしている同学年の女子──向中野むかいなかの四季しきに声を掛ける。

 もちろん他の部員に気づかれたくないので、かなり声を落として。


 しかし、向中野は顔こそこちらに向けたものの無反応だった。しかもすぐに視線を正面に戻してしまった。

 聞こえなかったのか……?


「向中野……あのさ」


 またも、顔だけがこちらを向く。

 彼女は元々感情が顔に出ないというか、何を考えているかが表情から読み取りづらいタイプ。

 向こうに聞こえているのか聞こえていないのかすら、その澄ました顔からは判断ができなかった。


「おい、向中野……」

「大丈夫ですぞ、佐倉殿。聞こえておりまする」


 3度声を掛け、ようやく返事が返ってきた。

 まるで猫を撫でているかのような甲高い声。彼女は、一度聞けば忘れられないような特徴的な声の持ち主である。

 まるで声優──最近はバラエティ番組などでも見かける機会が増えた──のように、聞いてる人間の耳を巧みに捉えるかの如く。

 彼女自身の抑揚のはっきりとした大仰な喋り方も手伝い、ひとたび会話をすれば彼女のことを忘れることはないだろう。


「……聞こえてるなら反応を見せてほしいんだがな」

「いえいえ。佐倉殿から相談を持ちかけられるなど滅多にないことゆえ……拙者、困惑してしまった次第でござる」

「そうか。……ところで今のブームは武士なのか?」

「ええ、先日見たドラマに影響されてしまいまして。しばらくは武士でござる」

「あっそ……」


 ────散々特殊な声質の話をしたが、実際は声よりもその中身の方が取り立てて目立つのが、この向中野四季である。

 ドラマ、小説、アニメ、漫画、映画……古今東西ジャンル問わずあらゆる創作物を摂取し、そしてその全てを吸収する────サブカル女子の真骨頂、とも言える女だ。

 このバド部に入部してすぐは謎に名古屋弁で喋っていた──四季自身は全く名古屋に関わりがないにもかかわらず──し、去年の春頃は「心臓移植がうんたら」とか抜かしていた。

 しかし、俺が何故こいつに声を掛けたのかというと……。


「それで佐倉殿、相談というのは?」

「ああ、それなんだが────」


 クールダウンの動作は止めないまま、もう一段声を落として向中野に囁くように伝える。


「────恋愛相談、乗ってくれないか?」


☆☆☆★★★☆☆☆


「────今月末はいよいよ高体連です。3年生にとっては最後の大会、全員悔いのないように頑張ってください」


 顧問の福地ふくち先生の言葉に、3年生────俺や向中野を含め、4人がはい、と大きな声で返事をした。

 最後の大会。そう意識した途端、自然と背筋が伸びた。

 それから、と福地先生が付け加える。


「1、2年生は出る人と出ない人に分かれます。出る人にとっては、1年間で一番大きな大会ですから、3年生に負けないぐらい……むしろ、3年生とぶつかっても倒してやるという気概で挑んでください」


 はい、と引き締まった声が聞こえる。


「出ない人たちは、応援やサポートという形で出場する人たちを助けてあげてください。これも立派な部活動です。いいですか?」


 まばらな声で、はい、と聞こえてきた。

 出ない子たちは1年生────特に小、中で経験がない子がほとんどだ、未だ『運動部』というものに慣れておらず、大きな声を出し慣れてない子たちも散見された。

 そういうわけで、まだ返事も揃ってはいなかった。


「それでは、本日の練習は以上です。みなさん、おつかれさまでした」


 おつかれさまでした、と全員の声が揃う。

 今日の練習は試合形式の練習が多かったとはいえ、なかなかハードだった。

 帰ったらゆっくり風呂に浸かりながら体を休めるとしよう。


 一息ついて首を回すと、こちらを見る向中野と視線が合った。

 口をパクパクとさせて、何かを伝えようとしているが……。


『お』『つ』『か』『れ』……おつかれって、いやそれは声に出して言えよ。

 少し呆れた表情をした俺を見て、彼女はニカッと笑顔を向けてきた。

 あいつ、表情筋死んでると思ったけどあんなふうに笑えるんだな。

 少しだけドキリとしてしまい、悔しさを覚えた。


 先程頼んだ恋愛相談は、驚くほどあっさりと受け入れてもらえた。

 むしろ、何も聞かれなさすぎて逆に質問してしまったぐらいだ。

 てっきり、あいつの性格的に「佐倉ご主人様、わたくしに恋愛相談でございますか? 3年間、恋愛の『れ』の字もなかった佐倉様が、わたくしめに?」などと、いつもの高い声を3オクターブぐらい高くしながらからかわれるものだと思っていたのだが……。

 あ、いやメイドを気取ってたのは冬の話だったか。今は武士だったな。よくわからん。

 まあ、「あとでめっせえじをよろしくお頼み申すでござる!」と鼻息荒く言われたので、メッセージを送れば何かしらの追求はされると思うが。

 

 とりあえず、聞ける相手ができて助かった。

 何しろ向中野は、俺が親しく話せるヤツのうち、唯一恋人がいる人間だ。

 どうやら同じクラスに在籍している生徒会長と付き合っているらしい。

 1年の夏に付き合い始め、今でも円満だというのだからすごい話だ。

 しかも、彼女のラブレターをきっかけに付き合い始めたというのだから、これほど最適な相談相手はいないだろう。

 俺は胸を撫で下ろしながら、タオルやラケットなどの部活道具をカバンにしまう。


 5分もすると片付けもひと段落し、部員全員が帰り支度を始めていた。

 体育倉庫から戻ってきた後輩たちにありがとな、と一声掛け、汗に濡れた服を着替えるために更衣室に行く。


(────今日もハードだったな)


 いつもは温厚で優しい福地先生だが、大会前の時期になるとかなりのスパルタになる。

 とはいえ怒鳴り散らすような指導ではなく、いつもの優しい声のまま練習内容だけがハードになる。

 そのため、生徒からの評価は悪くない。

 ……人によっては、かえって不気味だという意見もあるが。


 彼は、生徒をよく見てくれている。

 一人一人に合った丁寧かつ的確に教えてくれるため、指導者としても評判が高い。

 ちなみに、普段は数学の先生だ。

 うちのクラスの教科担任ではないのだが、他クラスの友人によれば授業もかなりわかりやすいようだ。


 なんていい先生なのだ……。


 そんなことを考えながら、汗を掻いたシャツから事前に用意していたまっさらなシャツに着替え、上から部活のウィンドブレーカーを羽織る。


 俺と入れ替わる形で入ってきた後輩たちに、おつかれ、と声をかけると俺は更衣室を出た。


 帰り支度を終え玄関に向かうと、先に支度を済ませて待ってくれていたのだろう女子の……透き通るような声が耳に入ってきた。


「春也兄さん、お疲れ様です。そろそろ帰りましょうか」


 そう声を掛けてきた美少女────雪村千冬と共に、俺は帰路に着くのだった。

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