第7話 帰り道に寄り道

 帰り道、俺は従妹の千冬と共に歩いていた。

 5月の初頭。夏が挨拶に来てくれたかのように爽やかな風は、部活終わりの火照った体にはとても気持ちが良かった。


「今日の練習、どうだった? 試合ばっかだから、待ち時間長かったろ」

「そうですね……。でも他の方の試合を見て学ぶ点も多かったですし、身にはなりましたよ」

「流石だな、女子の新たなエースは」

「え、エースだなんてそんな……。今日は向中野先輩にも広瀬ひろせ先輩にも負けてしまいましたし……」


 広瀬、というのは2年の女子だ。小学生の頃から地元のクラブチームに所属しており、地区大会では優勝か準優勝が定位置……という正真正銘のうちの部のエースのことである。

 

「でも、かなりってただろ? 広瀬相手にあそこまでやれるのはすごいよ」

「た、たまたまですよ」

「あのなぁ……いつも言ってるが、行き過ぎた謙遜は嫌味だぞ? 素直に受け取ってくれ」

「は、はい……すみません……」


 広瀬は現副部長だし、このまま何事もなければ次の部長だ。

 実力は申し分ないどころか十分過ぎるぐらいだし、リーダーシップもある。なんなら現部長の俺よりも向いてるんじゃないかな、と思うぐらいだ。

 そもそも俺が部長やってるのって、今の3年生4人で手挙げるやつが誰もいなかったからだし。完全な消去法だ。

 話は逸れたが、そんな相手に競った試合ができるのだ。

 それは運だけではどうにもならないと思うし、誇るべきことだと思う。

 千冬は本当に色んな面で秀でているのだから、もっと自分に自信を持ってほしいんだが……。


「謝る必要はないよ、その代わりもっとちゃんと自分のこと認めてやってくれ。お前はすごい奴なんだからさ」

「……そうやって褒めてくれるのは春也兄さんだけです、ありがとうございます」

「そんなことないって、広瀬や藤島ふじしまも褒めてたぞ。入部してから1ヶ月経ってないのにメキメキ伸びてる、すごいって」

「そ、そうなんですね……。そんなこと、あ、いや……ありがとう、ございます」

「そうそう、その調子。褒め言葉を受け入れるところから始めていこうな」

「はい、ありがとうございます」


 ふふ、と千冬は小さく笑った。

 こういう笑顔すらも絵になる、千冬はそんな美少女だった。

 ちなみに、会話に出てきた藤島というのは広瀬と同じ2年の女子だ。

 広瀬と同じ中学出身で、その頃からダブルスを組んでいたらしく息ぴったり……阿吽の呼吸という言葉がよく似合う。


「あ、そうだ。そこのコンビニ寄りたいんだけどいいかな?」

「はい、もちろん」


 会話をしていると時間があっという間で、気づけば俺の家のすぐ近くにあるコンビニの目の前まで来ていた。

 

「弁当届けてくれたお礼だ、お菓子でもアイスでもなんでも買ってやるぞ」


 コンビニに寄る用事というのはこれだ。

 千冬に届けてもらった弁当──これは俺が朝持っていかなければならない物だし、仮に忘れたとしても普段なら小春が届けてくれる。

 本来なら千冬の手を煩わせる必要はないのだ。

 お礼の一つでもしなければ割りに合わないだろう。

 ……本人は辞退したがるだろうが。

 

「えっ、いいんですか? でも流石に買っていただくのは申し訳ないですし……」

「お礼、だからな。気にしなくていいって」

「いいんですか……? で、ではお言葉に甘えて……」

「おう、好きに選んでくれ。何がいい?」

「じ、じゃあアイスがいいです。今日はかなり汗をかきましたし」

「ああ、いいぞ」


 アイスのコーナーに移動すると、色とりどりの商品がたくさん並んでいた。

 アイスのケースからはひんやりとした冷気が漂ってきており、部活終わりのまだ暑さが抜けきらない体にはとても心地よかった。


「なんでもいいぞ、好きなの選んでくれ」

「はい。では……」


 ケースを一瞥する千冬。

 そして、一本のバーアイスを選び取った。

 先日値上げが発表されたものの、未だにその安さは業界随一なことで有名な商品だった。

 ……これを千冬が選んだということは。


「……千冬、気を使わなくていいんだぞ。小遣いなら十分すぎるぐらいもらってるし」

「えっ、あの、私はこれが食べたくて選んだので……」

「千冬、バーアイス苦手だろ? 食べてるの見たことないぞ」

「あ、あの……それは……」


 千冬は前歯が知覚過敏で冷たいものに齧り付けないから、バーアイスはあまり買って帰らないんだよね──と、以前小春が話していた。

 だから、このアイスを選んだのは間違いなく俺の懐に気を遣ってのことだろう。

 好きなの、と何度も口にしてはいるのだが……千冬は他人に気を遣い過ぎだ。

 もっと自分本位でいいのにな。


「好きなの選んでいいって。なんならそこにある新商品でもいいぞ、一番高いやつ」

「……ありがとうございます、春也兄さん。却って気を遣わせてしまったようで、ごめんなさい」


 そう言って頭を下げる千冬。

 律儀というか、生真面目すぎるというか。


「あんまり気にすんなって。ほれ、どれがいい?」

「……じゃあ、これにします」


 千冬が差し出してきたのは、フルーツがごろごろと入ったかき氷だった。

 パッケージには『鹿児島銘菓!』とデカデカと書かれている。

 動物の名前がついた、美味しそうなアイスだ。


「わかった、じゃあ俺もそれで。小春の分も入れて3つ買おう」

「はい、そうですね」


 会計を済ませレジ袋を受け取り、俺たちは店を出た。


「春也兄さん、ありがとうございます」

「お礼を言うのはこっちだって。さ、早く帰ろうか。アイス溶けちまうしな」

「はいっ」


 千冬の返事は短いながら、語尾が跳ねているようだった。

 無意識だと思うが、アイスが楽しみなのかな。そう思ってくれているなら買った甲斐がある。

 

「……っと!」


 咄嗟に俺は千冬の肩を抱き寄せた。


「……えっ、あっ、あっ、ああああの……」

「大丈夫か、千冬? ちゃんと前見て……千冬?」


 俺が千冬を抱き締めたのは、千冬のすぐ横を通って駐車場に入る車とぶつかりそうになっていたからだ。

 あのままだったら轢かれる……までは行かなくとも、間違いなく接触していただろう。

 そう思って俺がいる側に引き寄せたのだが……。

 体勢的にどう見ても、女の子を突然俺が抱き寄せたようにしか見えないだろう。


「千冬、その、ごめん。車が来てたから」

「ひゃ、あの……あう……」


 顔を真っ赤にしながら、千冬はヘナヘナと力が抜けたように座り込んでしまった。


「千冬……? そんなに嫌だったか……? すまん」

「い! 嫌とかでは! ない……で、す……」

「そ、そうか……。じゃあもしかしてどこかに怪我を?」

「い、いえ、あの……大丈夫です……いや、大丈夫じゃないです……。あ、いえ、怪我はしてないです……」

「そ、そうか……。とりあえず、立てそうか?」

「は、はい……」


 俺が差し出した右手を取り、千冬はなんとか立ち上がった。

 ……生まれたての子鹿のように、足が震えたままではあるが。


 立ち上がり、数回深呼吸をして、ようやく千冬は平静を取り戻したようだった。

 

「うん、大丈夫そうだな。じゃあ、帰ろっか」

「はい。あ、あの……春也兄さん」

「どうした?」

「……手、このまま繋いでてもいいですか」


 ポツリと呟いた千冬の顔は、夕焼けの空よりも赤く見えた。

 元から肌が雪のように白いから、尚更だ。


「あ、あの、春也兄さんが嫌でしたら大丈夫なので……」

「……それぐらいならいつでもいいぞ。嫌だとかはないさ」

「……いいんですか? ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……今はまだ、このままで」


 このままで、という千冬の顔は、嬉しそうで……それでいてどこか寂しそうだった。


 5月の風で冷まされたはずの体は、いつの間にか熱を取り戻していて。

 レジ袋に入ったアイスが、すぐにでも溶けてしまうんじゃないかと気が気でなかった。


 

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