第10話 尾花秋華の独白
私──尾花秋華が、お兄さん……春也さんに初めて会ったのは、小学校に上がってすぐだった。
入学式の日、私は隣の席の女の子と仲良くなった。
──わたしね、あのアニメがすきなんだ!
──こはるもみてる! おもしろいよね!
女児アニメ、なんて呼ばれる……アイドルが主人公のアニメの話で、私たちは盛り上がっていた。どんな話をしたかは詳しく覚えていないが、とても楽しい時間だったというのは今も深く胸に刻まれている。
それから、学校に行けばいつもこはるん……そう、佐倉小春ちゃんにべったりだった。
休み時間も一緒、トイレに行くのも一緒、放課後もいつも一緒。
本当に仲良しだった。だから、「あきちゃん、こはるのおうちであそぼ!」なんて言われた時も、二つ返事だった。
ある休みの朝。
おやつやおもちゃを詰め込んだ大きなリュックを背負って小春ちゃんの家のチャイムを押した私を出迎えてくれたのは……知らないお兄さんだった。
今思い返せば、どうやらその瞬間に『一目惚れ』というやつをしていたらしい。
見知らぬ男の子が目の前に現れ、『わたし』は結構長い間言葉を失っていたようだった。
そのお兄さんの、『きみ、だいじょうぶ?」って声で、『わたし』は正気を取り戻した。「こはるちゃんのおともだちです、あそびにきました!」……そう言うと、お兄さんはいらっしゃい、と笑顔で返してくれた。
どきん、と胸が高鳴って、『わたし』はその音がお兄さんに聞かれたんじゃないかと思ってビクビクしていた。そんなこと、ありえないのに。
こはるちゃんと遊んでいる間も、『わたし』はお兄さんのことが気になって、ちらちらと見てしまっていた。不思議と、あの人から目を離せなかった。
「──ちゃん、あきちゃん!」
こはるちゃんの声にも気づけなかった。何度も呼ばれていたらしい。
ごめんね、と謝ると、こはるちゃんは怒っているようだった。
どうしたの? と聞かれたので、嘘をつくことを知らなかった純真な私は素直に答えた。
「おにいさん、かっこいいね!」
その頃から、私はずっとそう思っていた。
お兄さんは周りの男の子たちに比べてとても大人っぽく見えた────2歳しか歳が違わないことを知ったのはもっと後だが。
それがとてもかっこよくて、テレビの中のイケメンさんを見ているような気持ちになって、ドキドキが止まらなかった。
それをこはるちゃんに伝えたのだが……こはるちゃんから返ってきたのは、意外な言葉だった。
「おにいちゃんはこはるのおにいちゃんなの! あきちゃんにはあげないもん!」
そう言って、ぷい、とそっぽを向いてしまった。
そうだよね、ごめんね、こはるちゃんのお兄ちゃんなんだもんね。
何度もごめんなさい、ごめんなさいと繰り返し言った。
「おにいちゃん、とらない?」と聞かれて、「とらないから!」なんて返したりもした。
指切りで約束までした。
でも、私は────その時まで、嘘をつくことを知らなかった私は。この時、初めて嘘をついた。
「べつにわたし、おにいさんのことすきじゃないもん!」なんて、わかりやすい下手くそな嘘を。
この日私は一番の親友に────人生で初めての、嘘をついた。
☆☆☆★★★☆☆☆
「ウチさ、お兄さんのこと気になってんだよねー」
「…………」
「お兄さんはさ……ウチのこと、どう思う?」
「…………嘘だな」
……そっか、嘘だって思うんだね。
「にゃはは、バーレたっ!」
私はわざとらしく笑顔を作った。
嘘をつくのが苦手だった私は、いつの間にか特技の一つと言えるぐらい嘘が得意になっていた。
この作り笑いが、誰にもバレないぐらいには。
ちなみに、お兄さん……春也さんが気になっている、というのはもちろん嘘だ。
何故なら気になっている、なんてレベルじゃないくらいずっと好きだから。
お兄さんに恋している時間の長さなら誰にも負けないだろう。そういう自負があった。……ただ一人を除いては。
「小春のお兄ちゃんだもんね〜?」
そうだ。私がどれだけ想っても、小春には勝てないだろう。
小春の『それ』が家族愛なのか、或いはそれ以上なのかは今の私に判別できないけどね。
でも、私とお兄さんがもしくっついたり──もしくは、フラれたりでもしたら──小春は、きっと傷つくだろう。どちらであっても。
だから、私はお兄さんへの想いから目を背けた。見ないふりをして、どこか遠くへ押しやった。
大好きな小春から、愛する人を奪うわけにはいかないのだ。
それでいい。小春が幸せなら、私はそれでいい。
小春と未だに仲良くしているのは、お兄さんに近づきたいからとかそんな理由じゃ断じてない。
私自身が、小春のことを大切に想っているから。小春以上に大切に想える友人は、一人も出会えていない。そして、この先も出会うことはないだろう。
私は中学に上がる時、すごくイメチェンをした。
ドラマの主人公のように。みんなと仲良くできるように。
私は、『ギャル』という殻を被る事にした。
弱く見えないような、鎧を着込んだ。
この見た目なら、みんなによくしてもらえるかもしれない。
この見た目なら、みんなに声をかけられるようになれるかもしれない。
この見た目なら、私は私のことを好きになれる。
でも、昔からの友人にはいろんなことを言われた。
中学デビューじゃん、ダサいね、似合ってないよ、無理しすぎ。
どれもその通りだ。かなり無理をしたし、元々おとなしかった自分には合っていないだろう。
でも、それでも。
「素敵だね、アキちゃん」
小春は、そう言ってくれた。とても嬉しかった。努力を褒めてもらえた気がした。
そして、お兄さんは……何も言わなかった。
というよりは、イメチェンをしても態度が変わらなかった。
それも、嬉しかった。
お兄さんは見た目じゃなくて、中身で私のことを見てくれているんだなって、そう思った。
背伸びして、喋り方とか、色々変えたりもしたのに。
上辺だけじゃなくて、考え方とか、価値観とか、奥の奥まで見てくれていたんだ。
だから、私は彼が好きなんだな。
嫌と言う程そう思わされた。
殻も被った。嘘もついた。
それでも、大切な人はそばにいてくれる。
私は、とても幸せだ。
私はこの日常を守りたい。
でも、私の片想いが実る時。きっと小春を不幸にしてしまう。
だから、殻に籠るのだ。
誰にも見えないぐらい……私にも中身が見えないぐらい分厚い鎧を着込んだ。
さよなら、私の初恋。
いつか全部終わって、思い出になったら──その時は、きっと迎えに来るね。
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