第9話 田作る道は農に問え

 勉強もひと段落し、スマートフォンの画面をつけると、メッセージアプリに通知が来ていることに気づいた。


『佐倉殿! 例の相談の件なのですが……文字で話すのも面倒でしょうし、どこかで直接会えたりしませぬか? お休みの日など空いておりましたらぜひに!』


 差出人は向中野だった。

 長めのメッセージの後に、漢らしい侍のスタンプが続いていた。

 ……なんでこんなスタンプ買ってんだよ。


 休みの日か……。

 カレンダーを見ると、そういえば今週の日曜は部活が休みだった。

 最後の大会前の追い込み時期ではあるが、休養も大事です、とのことで福地先生が休みにしてくれたんだった。

 俺はその日は一日空いてるし、学校近くの書店に併設されている喫茶店なら待ち合わせもしやすいだろう。


 日曜の休みでいいかな、とメッセージを送った。

 返信が来るまで、2分となかった。

 結局、日曜の14時からそこの喫茶店で、ということに決まった。


『大丈夫ですぞ、殿! ではでは、日曜のでえとを楽しみにしておりまする!』


 いつまで武士口調なんだこいつは。

 ほんわかとした雰囲気のキャラクターが『OK!』と喋っているデフォルトのスタンプを送ったところで、俺は違和感に気づく。 

 

 ……あれ? でえと?



☆☆☆★★★☆☆☆



「お待ちしておりましたぞ、佐倉殿」

「……おう、お待たせ」


 窓際の席に座っていたのは────普段からは想像できないぐらいオシャレな洋服に身を包んだ向中野だった。

 

「オーバーオールって、こんなにオシャレに着れるもんなんだな。配管工が着てる服ってイメージしかなかったぜ」

「お、佐倉殿褒めてくれているでありますか? 女子に気を遣える……これは1四季ポイント付与でござるな」

「貯めて何があるんだよ」

「それは考えてませんでしたなあ……。では、好きな口調に変更できるというのはどうでしょう?」

「いいな、それ。武士以外で頼むぜ」


 軽口を叩いてみるが、実際向中野の格好はとても洗練されていた。

 いつもの瓶底メガネはフレームの細い丸眼鏡に変わり。大きめのサイズの白いTシャツにデニムのオーバーオールを合わせている。

 頭には、黒いバケットハット。

 彼氏さんとのデートはいつもこんな服装なのかな……って、あんまりそういうこと考えるのはよくないな。俺はかぶりを振った。


「ところでお前『でえと』って」

「言葉の綾でござる。それより佐倉殿」

「お、おう」


 さらりと流されてしまった。

 彼氏がいるのに他の男にデートって単語を使うなよ、と話そうと思ったのだが。いいのか……?


「恋愛相談とはどういうことですかな!? 詳しくお願いするでござる!」


 俺が席につくなり、興味がありますと言わんばかりにずい、と身を乗り出してきた。

 あまりの勢いに少したじろいでしまったのだが、そんなに気になることか、これ。

 相談しておいてなんだけど。


「実はな……」


 俺はカバンに入れてあった例の便箋を取り出す。

 ここ一週間ほどの頭痛のタネ、俺がもっとも解決したい懸案事項だった。

 

「────というわけなんだがな」

「なるほどね……」


 俺がかいつまんで話した、下駄箱に入っていた手紙の内容を聞き終わると、向中野は「ふむ」と頬杖をついた。その表情は見たことないぐらい真剣で……。




「佐倉殿にラブレター出す女子なんているわけないでござる、ドッキリの類であろう!」


 おい。なんだったんだ今の表情は。

 ちょっとドキッとしたの悔しいわ。


「あのなあ、向中野……」


 そういうことじゃなくて……と言おうとした俺より先に、真剣な顔のままの向中野が口を開いた。


「あははごめんごめん、嘘だよ。がわざわざ相談してくるってことは、あるんでしょ。心当たり」

「え、お前、口調……」

「友達が真剣に話してくれてるのにさ、真面目に話さないのは失礼でしょ?」


 少しはにかみながら、向中野はメガネと帽子を外した。

 ふう、と息をついて髪をかき上げる仕草が、見慣れない真剣な表情が、形容し難いぐらい美しかった。


「まあ、心当たりなら……なくはないな」

「ほう、聞かせてみて?」


 俺は4人の『妹』たちについて伝えた。

 世話焼きの実の妹。

 スポーツ少女な親友の妹。

 いつもからかってくる妹の幼馴染。

 能力の割に自己肯定感が低い従妹。


 『妹』という単語が手紙の中に出てきているなら、この4人の中の誰かが差出人だろう……という推論も交えて。


「なるほどなるほど……」


 俺の話を黙って聞いていた向中野は、話が終わるとうーん、と唸りながら腕を組んだ。

 そして少しだけ残っていたアイスコーヒーを飲み干した。カラン、と氷の音が鳴る。


「……佐倉はさ、自分が手紙書く時に名前書くよね」

「ああ、もちろん」

「なんで?」

「なんでって、そりゃあ……」


 もちろん、自分が出した手紙だとわかるようにするためだろう。

 内容を相手が見れたとしても、それが俺からのメッセージだとわからなければ意味がない。

 内容如何によっては、伝わってるのに伝わっていない事になる。

 手紙とはそういうものだ。


「じゃあ、それをひっくり返してみよっか。手紙に差出人を書くのは、自分からのものだとわかってほしいから……だよね」

「……ああ」

「ということは、差出人を書かなかったのは──」

「──自分からだと、知られたくなかったから?」

「せいかーい、かな。多分」


 私は差出人じゃないから知らないけどー、とおどける向中野。


「でも、そうだとしたら手紙自体を出さなきゃいい話だろ?」

「そこはきっと複雑な乙女心だよ、佐倉クン。気づいてほしいけど、自分から言うわけにはいかない……そんなこともあったりするんじゃないかな?」

「うーん……あるか?」

「あるある。さっき教えてくれた4人なんか、4人ともそうなんじゃない?」

「え?」

「店員さんすみませーん、コーヒーおかわりでー!」


 俺が呆気に取られているのもお構いなしに、向中野はコーヒーのおかわりを注いでもらっていた。

 この喫茶店はコーヒーのおかわりが無料だ、その恩恵はあずかって然るべきだろう。

 ……俺は2杯も飲んだら寝られなくなるから、恩恵受け取れないんだけどね。


「どこまで話したっけ……ああ、4人ともそうかもって話かな」

「ああ」


 コーヒーのおかわりをぐびぐびとあっという間に飲み干すと、向中野は話を再開した。


「ほら、例えば秋華ちゃん……だっけ。妹さんの幼馴染の」

「秋華が?」

「そうそう。だって秋華ちゃん、妹さんと相当仲良いんでしょ?」

「ああ、一番の親友だ……って小春がよく言ってるよ」

「でしょでしょ。そうなると、親友のお兄さんを奪うなんてできないんじゃない? 小春ちゃん、校内ではブラコンで有名だし」

「そうなのか?」

「そうなのよ」


 話が逸れたけど、と向中野が軌道を修正する。


「だから、秋華ちゃんは直接あなたに気持ちを伝えられない。あなたと付き合ってもフラれても、小春ちゃんとの関係に変化が生じてしまうかもしれないから」

「……………………」

「同じようなところで言うと……夏美なつみちゃんだったかしら」

「いや、夏音なつねだ」

「そうだったわね、ごめんなさい。でも、夏音ちゃんも秋華ちゃんと同じだと思うわ」

「……そう、なのかな」

「夏音ちゃんのお兄さんと佐倉は親友同士。自分がフラれたら、その友情にヒビが入っちゃう……なんて、夏音ちゃんが思ってても不思議じゃない」


 話聞く限り自分に自信持ってなさそうな子だしねー、と付け足す。


「そしたら、小春と千冬は?」

「その二人はあなたの親類縁者でしょ?」

「ああ、そうだけど……」

「しかも話を聞いたらいつも家で一緒に過ごしてるらしいじゃない。かーっ、この唐変木のスケコマシめ」


 ……なんでそこで急に俺が罵倒されるんだ。腑に落ちん。


「そんな状態でもしフラれたらどうなるか考えてみなさい。簡単でしょ」

「あ……確かに……」


 逆の立場だったとして……もし俺が千冬に好意を抱いていて、告白して玉砕したら。


「まあ、同じ家で過ごすのはめちゃくちゃ苦痛だろうな……」

「そういうことよ」


 すいません、コーヒーおかわりー。向中野は再びおかわりを頼んでいた。これで3杯目だ。お腹たぷたぷになっちゃわないのかな。


「端的に言えば……」


 運ばれてきた3杯目のコーヒーに口をつけ、一息ついてから向中野は言葉を発した。


「みんな、今ある日常を壊したくないのよ。あなたと過ごせる残りわずかな時間を、冒険して潰しちゃいたくないんじゃないの?」


 ハッと息を呑んだ俺を一瞥し──だからね、と彼女は付け加える。


「差出人探しをしても、誰も幸せにならないんじゃないかしら。あなた、手紙の主を見つけてどうするつもり? 付き合うの?」

「それは…………」


 わからない。俺は差出人を見つけてどうしたかったのだろう。

 手紙を出してもらったからには、差出人を見つけなきゃいけない……そういう観念に囚われていただけだったのではないか。


「でしょ。わざわざ自分だとわからないように伝えたのに、白日の下に晒されて、しかも付き合えませんなんて言われたら……私だったら絶望しちゃうわね」

「そう、だな……」

「でも、あなたに気づいてほしい。できることなら、振り向いてほしい。そう思った誰かが……あるいは、で、手紙を書いたんじゃないかしらね」

「えっ、それって……」

「さあね? 真相は本人たちにしかわからないわ」


 向中野はコーヒーをまた一口飲み、まあ、と呟いてメガネと帽子を再び身につけ……。


「これ全部4人が佐倉殿を好きだったと仮定してのお話ゆえ、合ってるとは限らないでござるがな〜!」


 たっはっはと笑いながら、いつもの調子に戻ってしまった。


「男子のいたずらという説も残っているでござるしな」

「それだったら出したやつは絶対殴る」

「暴力は良くないでござるぞ。平和的解決が一番でござる」

「力に頼ってそうな武士に言われてもな……」


 さっきの真面目な雰囲気は氷のように溶け、いつの間にか普段通りの会話に戻ってきていた。


「……どちらにせよ、佐倉殿もしっかり考えるべきかと。手紙のことは忘れて元の日常を謳歌するか。或いは────」


 ──誰かを見つけて、今を壊してその先に進むのか。


 その声色は、どこか警告の色を含んでいるように聞こえた。

 じゃあ拙者はそろそろ帰るでござる!と席を立った向中野を見送り、俺はすっかり冷めたキャラメルラテと共に、いつまでも耳に残ったその言葉を飲み下した。


 正解はない問題。果たして解き明かせるだろうか。

 あるいは、解くこと自体が不正解なのか。

 

 先程まで向中野が飲んでいたコーヒーの氷が、カランと音をたて、溶けた。

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