第51話 夏のどこかへ

「あー……」

「佐倉くん、お腹から声出てないよ。腹筋の上あたりに力を入れてみて」

「あーー……」

「そうそう、よくなってきた。そんな感じで息が切れるまで」


 放課後、俺は佐々木と一緒に発声練習をしていた。

 俺は演劇の経験が全くない。

 声を出したりというのは部活である程度してきたつもりだったが、演劇部所属である佐々木から言わせれば全然なってないらしい。


「よし、一旦休憩にしよっか」


 パン、と手を叩いて、佐々木は大きく息を吐いた。

 佐々木の合図で張り詰めていた糸が切れるように、俺は一気に床に倒れ込む。


「あー、疲れるなこれ……」

「でしょ、声出すだけでも意外と体力使うんだよね」

「そうだな。演劇部はこれずっとやってるんだろ? すごいな……」


 夏の暑さも手伝って、俺は背中にじっとりと汗をかいていた。

 口に含んだスポーツドリンクの冷たさが、気持ちよくてしょうがない。


「声出しにある程度慣れてきたらセリフ覚えたりもあるんだからね。まだまだ頑張ってもらうよ」

「ま、マジか……へーい」


 演劇がいかに大変なのか、ここ数日で嫌というほど味わっている気がする。

 もっとも、演劇部や劇団に所属しているような人たちからすればこんなの苦労でもなんでもないんだろうけど。


 ふと、俺は脳裏に浮かんだ小さな疑問を佐々木にぶつけてみることにした。

 演劇のことは、早いうちに色々聞いておいた方がいいだろう。


「なあ、佐々木って舞台に立つ時緊張したりするのか?」

「え? そりゃあもちろん、緊張するよ」

「そうなのか……」


 人前に立ち慣れているのであれば、もはや緊張すらしないのかと思っていたがどうやらそうでもないらしい。

 意外、というと失礼だろうか。


「あはは、『意外だな』って顔だね。佐倉くん」


 う、どうやらまた顔に出てしまっていたらしい。

 どうにも俺はわかりやすいようだ。


「……緊張はね、するよ。いつでも」

「そっか……」

「でもね」


 佐々木はそこで一度言葉を止めた。

 そして、俺の目を見つめてから、再び口を開いた。


「緊張を味方に変えちゃえばいいんだよ」

「緊張を、味方に……?」


 思わず相手を伺うような表情をしてしまった俺を見て、佐々木はニッと笑った。


「佐倉くんはさ、どうして人前に出る時緊張すると思う?」

「うーん、そうだな……。恥を掻きたくないから、とかかな」

「うんうん。じゃあ、恥を掻くのはどんな時?」

「えーと、大きな失敗をした時……かな」

「そうだね。つまり、緊張するってことは……失敗したくないって思ってることにならないかな」


 確かに、そうかもしれない。

 失敗してみんなに迷惑をかけたくない、恥ずかしい思いをしたくない。

 そう思ってるから、緊張して萎縮してしまうのだろう。

 佐々木の言うことは一理あった。


「そう。だからね、緊張してる間は舞台にかける想いとか、情熱を失ってないんだって思ってる」

「あ……」

「うん。佐倉くんもさ、主役やるんだって思って緊張してるんだよね」

「ああ、まあ……」

「なら、きっと大丈夫。緊張してるってことは、舞台を成功させようって思ってる証拠だから」

「そっか…………。ありがとな、佐々木」

「まあ、たまに全く緊張しない人とかいるから参考程度なんだけどね」


 そう言うと、佐々木はあはは、と笑った。

 俺もつられて笑い声が漏れる。


 ひとしきり笑ってから、佐々木はよ、と声を出して立ち上がった。


「さ、そろそろ再開しよっか。忘れないうちにお腹から声出す方法覚えちゃお」

「お、押忍……」


 残り少なくなったスポーツドリンクをぐい、と飲み干してから俺は立ち上がった。

 その瞬間、あ、と何かに気づいたように佐々木が声を上げる。


「そういえば佐倉くんって真緒ちゃんと付き合ってたりするの?」


 予想外……と言うべきか、思わぬ所から既に聞いた質問が飛んできた。

 以前望見にも聞かれたが、やはりそれほどまでに俺たちは仲良く見えてしまうのだろうか。


「またそれかよ……。付き合ってないぞ」

「また、ってことは誰かに同じこと聞かれたの?」

「ん、まあ。望見にも言われたよ。付き合ってるのか、って」

「あー、のぞちゃんかぁ」

「……なあ、俺と真緒ってそんなに付き合ってるように見えるか?」

「うーん、なんて言うか……真緒ちゃん、最近すごく変わったから。相手に踏み込んでいかないタイプだったんだけど、少しずつ人との距離が狭まってるように見えて」

「へえ……」

「どうしたんだろって思ってたらいつのまにか佐倉くんと名前で呼び合うようになってたから、もしかしたら、って思って……。気を悪くさせちゃってたらごめんね」

「いや、気にしてないから大丈夫だ」


 なんとなく、望見や佐々木の言いたいことはわかる。

 身近な人間が変わった、それがとある人間と関わり始めた時期からだと言うのであれば……そいつと何かあったと考えるのが当然だろう。

 その相手が男となれば、付き合い始めたのかと考えてしまっても不思議はないだろう。

 ……傍目から見て、俺なんかと真緒では全く釣り合わないというのをさておけば。


 物思いに耽っていると、佐々木の声が耳に飛び込んできた。


「ごめん、変な話しちゃったね。練習再開しよっか」

「おう、そうだな」


 学祭まで残り期間もあまりない。

 今は、1分でも1秒でも無駄にしたくはないしな。

 気持ちを切り替えて、俺は佐々木に演劇に関するイロハを叩き込んでもらった。


 ……翌日、腹筋が酷い筋肉痛に襲われていたが、それは名誉の負傷として受け取っておこう。

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