第52話 スカイズザリミット

「ただいまー……」


 重い足取りでなんとか自宅の玄関まで辿り着くと、俺は待っているであろう小春に声をかけた。

 いつもより玄関のドアが重たく感じたのは、疲れだろうか。

 普段通り台所からパタパタと走ってきた小春は、俺の顔を見るなり、あら、と声を出す。


「なんだかお疲れですね。おかえりなさい、お兄ちゃん。」

「おう、ただいま。……そんなに疲れてるように見えるかな」

「ええ、とても。お茶でも入れましょうか?」

「ありがとう。そしたら、コーヒーをお願いしようかな」

「はい、わかりました」


 ペコリと頭を下げて、小春は台所へと戻っていった。

 どうやら疲れが顔に出ていたらしい。

 考えてることや現在の状態が顔に出やすいのは、直した方がいいのだろうか……。


 それにしても、いつものことながら小春には頭が上がらない。

 俺が疲れてると見るや、こうして世話を焼いてくれる。

 日頃から感謝を伝えたり、俺にできることはなるべく自分でするようにはしているが……お礼としては全然足りないだろう。もっとちゃんとお返しをしないとな。


 そんなことを考えながら着替えを済ませリビングに戻ると、ちょうど小春がインスタントコーヒーにお湯を注ぐ場面だった。

 コーヒーの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。


「ああ、お兄ちゃん。ちょうど今呼びに行こうかと」

「そっか、タイミングがよかったな」

「ええ、そうですね。今日はブラックで?」

「ああ。いつもありがとな」

「いえいえ。小春はお兄ちゃんの妹ですから、これぐらい任せてください」


「それにしてもお兄ちゃん、いつになくお疲れですね。学校祭の準備ですか?」

「うん、まあ……そんなとこ」

「お兄ちゃんは演劇の裏方……でしたよね。もうそんなにお忙しいのですか?」

「ああ、いや。実は、俺も出ることになったんだよ。しかも主役で」

「あら、そうだったんですね」

「そうなんだよ。だから今日は演劇部のやつにみっちり稽古つけられてた」

「なるほどです。それで、そんなにお疲れだったんですね」

「そういうこと。部活で声は出し慣れてるつもりだったけど、すげえ疲れたよ……」


 現在進行形で腹筋やら顔周りの筋肉やらに疲労を感じているし、明日には筋肉痛になっているかもしれない。

 そう考えると非常に憂鬱だった。

 もっとも、稽古自体は楽しいものだったし不満があるというわけではないのだが。


「ふふ。演劇、楽しみにしてますね」

「……まあ、期待しないでくれると助かるよ」

「あら、お兄ちゃんならきっと大丈夫ですよ。頑張り屋さんですからね」

「そんなことないって。努力が結果に結びつくとは限らないしな」

「……今日のお兄ちゃん、なんか千冬ちゃんみたいです」

「……それは千冬に失礼じゃないか?」


 俺が言葉がそんなに気に入らないのか、小春はぷう、と頬を膨らませたままだ。

 いや、これに関しては謙遜でも卑下でもなんでもなく、未知の分野故に自信がないというだけなのだが……。

 頑張り屋、という言葉もあまり正しいとは言えないしな。

 他クラスの主演の子達はもっと努力しているだろうし、俺の頑張りではまだまだ足りないぐらいだと思っている。

 もちろん佐々木はしっかり稽古をつけてくれているので、本当に俺の努力次第なんだけど。


「まあ、いいです。当日はちゃんと見に行きますからね」

「そっか、ありがとな」

「いえいえ。楽しみにしているのは本当ですから」

「じゃあ、もっと頑張らないとな。みんなの期待には応えたいし」

「ふふ、応援してますね」


 笑顔に戻った小春の言葉に頷いて、俺はコーヒーを飲み干した。

 ブラックコーヒーの苦さが口に広がる。


「そういえばお兄ちゃん、学校祭当日の予定ってどういう感じですか?」

「ん? まあ、演劇以外は割と空いてるな。出店のシフトも短いし」


 演劇組はなるべく負担が大きくならないように、とかなりゆるいシフトが組まれている。

 1日目も2時間ないぐらいだし、俺たちの出番がある2日目に至ってはまるまる休みだ。

 だから、意外とフリーの時間は多いのだ。

 千冬と一緒に回る予定こそあるが……千冬はかなり忙しいようで、午後に少しだけ一緒に回ろうという話になったしな。


「そうですか……あの、よければ一緒に回りませんか? お兄ちゃんがお忙しくなければ、ですけど」

「そういうことか。もちろんいいけど……俺でいいのか?」

「あのですね……小春はお兄ちゃんと一緒がいいから、こうしてお願いしているんですけど」


 はあ、と大きくため息を疲れてしまった。

 小春の言う通りだ。ここはそういう確認をすべきではなかっただろう。


「そ、そっか……ごめん」

「いえ、こちらこそわがまま言ってすみません。小春のお願い、聞いてくれてありがとうございます」

「気にすんなって。さっきも言ったけど、暇な時間は割と多いからさ」

「そうですか。ふふ、楽しみですね」

「ああ、そうだな」


 練習や準備も始まり、こうして当日の予定を決めたりなんかして。

 いよいよ近づいてきたんだな、という気持ちが一層強くなる。


 悔いが残らないぐらい、思いっきり楽しもう。

 えへへ、とはにかむ小春の顔を見て、俺は今一度そう誓った

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