第32話 誤解
「ふわぁ……おはよう、夏樹」
「おう、春也。おはよう……って、ちょっと眠そうだな」
「んあ……まあ、ちょっとな」
「授業中寝るなよー?」
「お前じゃないんだから、そんなことしねえよ」
日付は変わり、月曜日。
テストが明けて最初の週だが……今週に限ってはテストの返却がされるということもあり、クラスはまだ大人しい様子だった。
昨日、あれからさらに秋華に連れ回されたということもあり、なんだか寝不足だった。
朝家を出る時に鏡を見たら、目の下にクマもあったし……今日はずっとこんな感じかな、帰ったら早めに寝るとしよう。
(そういえば……)
秋華のやつ……ショッピングモールに行くまでの様子から、てっきり紅葉さんとの話があるのかと思ってたけど、そんなことはなかったな。
もしくは、パンケーキを食べてからその話をする予定だったのかもしれない。
後でそれとなく聞いてみるか。もちろん、本人が望めば、だが。
そんなことを考える俺の様子を見ながら、夏樹が口を開く。
「それより春也、お客さんだぞ」
「客?」
「ああ」
くい、と夏樹が親指で指差した先を見ると、二人の少女が立っていた。
二人とも見覚えがある……というか、よく知った人物だった。
俺が近づいていくと、はた、と顔をあげる。
「あ、先輩! ちょっとお話いいですか」
「広瀬と藤島? どうしたんだこんな朝早くから」
「す、すみません先輩……昼休みにしようって言ったんですけど、綾寧ちゃんが聞かなくて……」
「まあ、大丈夫だよ。ここじゃなんだし、ちょっと移動しようか」
「は、はい!」
教室の入り口で屯するのはこれから登校してくる他の生徒の邪魔になってしまうだろう。
俺たちは教室を出て、階段の踊り場まで移動した。
中央階段ではなく、校舎の端である東側に位置する階段だ。
ここならば朝はあまり人が来ないし、通行の妨げになったりもしないだろう。
「……で、どうした」
「どうしたもこうしたもないですよ先輩!?」
「お、おう……?」
口を開くなり、興奮と驚きが半々と言った具合で詰め寄ってくる広瀬。
はて、なぜ広瀬がこうまで昂っているのだろうか。
心当たりがないのだが……。
理由がわからず首を傾げていると、興奮はそのままにいつの間にかキラキラとした目に変わっていた広瀬が口を開く。
「クラスの子から聞いたんですけど、1年の女の子とデートしてたって本当ですか!?」
「なっ……どうしてそれを」
「いや〜〜〜〜よかったです……とうとう先輩と千冬ちゃんがお付き合いしたんだと思うと……私たちも苦労した甲斐がありました……」
「えっ、千冬? いや、ちょっと待ってくれ」
「いえ、先輩。皆まで言わなくてもわかってますって。今日はおめでとうを言いに来たんですよ、あと恨み言も」
満足げな顔でうんうんと腕を組んで頷く広瀬。
おそらく断片的な情報だけを聞いて、早合点したのだろう。
広瀬は特別千冬のことを可愛がっているし、心配していた部分もあると思うのだが……。
にしても、なぜ俺と千冬が付き合うことになるのだろうか。
誤解を解くためにも、正確な説明をしなければ。
「ちょっと待ってくれ。千冬と付き合ったわけじゃないし、そもそも一緒に行った相手は千冬じゃないって」
「……は?」
俺がそう弁明──いや、言い訳などではなく事実だが──すると、先程の花でも咲いていそうな様子から一転して絶対零度の空気を纏い始めた。
「え? 千冬ちゃんのことほったらかして他の後輩とデートに? え、本気ですか?」
「なんで千冬をそこまで引き合いに出されるのかわからんが……とにかく、違うぞ」
納得できない、と言わんばかりに詰め寄ってくる広瀬。
ちょっと待て、先輩の胸ぐらを掴むな。
がっしりと掴まれて、身動きが取れない。
おい、仮にもこっちは元部長だぞ。こら。
「何でですか!? どう違うんですか!?」
「ちょ、ちょっと綾寧ちゃん……」
「ま、待て広瀬……ちゃんと説明するから……」
「チッ、しょうがねえな……」
俺が懸命に懇願すると、なんとか手を離してもらえた。
無意識なのか、もはやタメ口である。本当に先輩を何だと思っているのか。
「で? どういうことなんです?」
「お前、本当な……。まあいいや、実はな」
制服の首元を整えつつ、俺は二人に昨日の出来事を詳らかに説明した。
1年の女子とは千冬のことではなく、俺の妹の親友であること。
デートに見えるかもしれないが、そういった関係ではないこと。
などを、誤解のないよう……正確に。
俺の話を聞いていた広瀬は、怪訝そうな顔から驚いた表情を経て……最終的にすごく呆れたような表情になる。
藤島は、最初から最後まで困ったような顔をしていた。
「はあ、先輩ってそんなにダメ人間なんですね」
「待て、何でそうなる」
開口一番、呆れた顔をした広瀬にそんなことを言われてしまった。
今の話を聞いてどうしてそうなるんだ。解せぬ。
「……まあ、わかりました。早とちりしちゃってすみません」
それでも、広瀬は納得した様子で頭を下げてくれた。
俺としては、勘違いしたことよりも胸ぐらを掴んできたことの方を謝ってほしかったのだが……余計拗れそうなので、口には出さずにしまい込んでおく。
「いや、まあ。大丈夫だ。それより……」
広瀬の話を聞いて、少し気になることがあった。
手元の時計を見ればまだもう少し時間はあるし、俺は広瀬に質問を返す。
「昨日の俺の動向って、そんな噂になってるのか……?」
「ああ、いえ。たまたまクラスの子が目撃しただけです。他の子には話してないって言ってたので、そんなには広まってないと思いますけど……」
「そうか、ありがとう。ちなみにその子って……俺の知り合い?」
佐倉春也と1年の女子がデートをしていた、という情報が広瀬に伝わったというのであれば、それは俺のことを知っていて秋華のことを知らない人間と考えていいだろう。
しかし、記憶に間違いがなければ広瀬と同じクラスに俺が知ってる女子はいなかったはずだ。
どういうことだろうか、という疑問を、広瀬にぶつける。
「うーん、どうなんでしょ。直接面識がある感じではなさそうでしたけど」
「そうか……。名前とかって教えてもらえたりする?」
「え、もしかして狙ってます? 本当に節操ないんですね」
「狙わねえよ。単純に出どころが気になっただけだ」
「あはは、流石に嘘です。男バスのマネの子で永江って子なんですけど……知ってます?」
「永江……永江か……どこかで聞いたことはある気がするけど、直接の知り合いではないと思うな」
「ですよね」
永江。その名字には聞き覚えがあるが、思い出せはしなかった。
男バスのマネージャーだと言うし、俺と関わりがあるわけが……。
って、あれ。
男バス。永江……。心当たり、あるな。
確か、ええと……あ、そういうことか。
「ああ、思い出した」
「どうしました?」
「いや、永江さんのこと。友人の友人、みたいな感じで名前だけ知ってるよ」
「なるほどです。まあ、みのりもそんな感じで知ってたんですかね」
「まあ、そんなところだろ」
そうだ、思い出した。
広瀬には少し濁して伝えたが……何のことはない。
夏樹の彼女だ。
テスト期間に入る前に男バスのマネージャーの子と付き合い始めたと言っていたし、名前が永江みのりだということも聞いた気がする。
おそらく夏樹と話している時に俺の写真を見せるなり何なりしていたのだろう。
あいつは隠し事はしないタイプだし、仲のいい男子とかの話になって写真を見せたことがあるのかもしれない。
しかし、一方的に顔を知られているという状況は少し気になる。
女子の顔写真を見せてもらうというのは少し抵抗はあるが……今度夏樹を冷やかしがてら見せてもらおうかな、どこかで永江さんと直接会ったりすることもあるかもしれないし。
それに、あの夏樹と付き合うなんてどんな人間なのかも気になる。
そんなことを考えていると、朝のホームルームの開始を告げるチャイムの音が耳に飛び込んできた。
「やべ、もうこんな時間だ……。長引いてすまん、急いで戻れよ」
「わ、やば! 先輩、こちらこそ長々とすみません! また放課後……じゃないですね、また」
「……おう」
ひらひらと手を振り、急いで教室へと戻った。
幸いにも担任の先生はまだ来ておらず、席について息を整える時間は十分すぎるぐらいにあった。
(また……放課後、じゃないんだよな)
先日、俺は部活を引退した。
すでにバドミントン部は広瀬新部長を中心に新体制での活動を始めている。
俺が練習に顔を出す日を作ればまた別だが、以前のように放課後毎日のように会うということはもうほとんどないだろう。
そんなことをしみじみと考えていると、夏樹の軽快な声が聞こえてくる。
「おう佐倉、ずいぶん時間かかってたな」
「……まあ、ちょっとな」
「まさか、コレか?」
夏樹は、コレ、と言いながら小指を立てる。
いつの時代の表現技法だよ。ちょっと古すぎないか。
「ちげえよ。あー、でもお前の彼女さんの話はちょっと聞いたぞ」
「え、みのりの? ……やらんぞ?」
「いや、取らないって。なんか昨日俺のことを永江さんが見かけてたらしくて、その辺の話とかな」
「ほーん……。昨日俺らショッピングモールでデートしてたんだけど、お前もいたってこと?」
「そうだよ。夏樹もいたのか」
「ああ、まあな。俺は春也には気づかなかったけど」
「まあ、お前に目撃されてたらもっとめんどいことになってただろうしよかったけど」
「おい、なんだよそれ」
そんなことを話していると、担任の先生が「すまん、遅くなったー」と言いながら教室に入ってきた。
会話を中断して、正面へと向き直る。
つらつらと無機質に今日の連絡事項を読み上げていく先生の話を聞きながら、今日の時間割を確認する。
果たしてテストの結果はどうだったろうか。
少し不安だったが、自信もある。
夏音とともに勉強した日々、無駄にはなっていないだろう。
周りに聞こえないぐらいの小さい声で、ふう、と息を吐いた。
窓の外に目をやると、真っ青な空に一条の飛行機雲が伸びていた。
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