51 去る者、別れる者

 末森城に、織田信行の最後が伝えられた。

 河尻秀隆が遺髪を信行の母・土田御前どたごぜんに手渡し、二言三言ささやくと、土田御前はそっと目をぬぐい、城内の持仏堂に向かった。

 秀隆はそれを見送ると、信長の命令を伝えるため、柴田勝家を呼んだ。


「勝家、まかりこしました」


「うむ」


 秀隆は信長の書状を勝家に渡した。

 その書状には、勝家に対し、今後の末森城のあり方について、細々と指示が下されていた。

 勝家は中でも、信行の子らについての項目に着目した。


「信行さまの長男・坊丸さまは、この勝家に預かれと」


「さよう」


 信長は信行の子にまで罪を及ばせず、逆に配慮をした。

 たとえば坊丸は、信行の旧臣ともいうべき勝家に、その養育を命じた。

 次いで秀隆は、林秀貞を読んだ。


「秀貞、例の津々木蔵人を呼べ。お前の一族の林弥七郎もだ」


「承知」


 形式上、織田信行は兄・信長の見舞いに行ったことになっているので、今回の下手人ともいうべき蔵人と弥七郎を拘束することはできず、ただ秀貞がそれとなく監視していた。

 だが一度席を外した秀貞が戻って来ると、二人の姿がどこにも見えないと報告して来た。


「この林秀貞、一生の不覚。かくなる上は……」


「いや、それはいい。逃げることは分かっていた」



「いかがいたす?」


「……くそっ」


 津々木蔵人は河尻秀隆が末森城に来た時、さりげなく林秀貞の監視の目からのがれ、秀隆の伝えたことを盗み聞きした。

 蔵人は即座に林弥七郎を手引きして、城内から脱出した。

 城外の森にまで来て、初めて弥七郎は口を開いた。

 いかがいたす、と。

 蔵人は舌打ちしてから答えた。


「……逃げるぞ」


 蔵人は首を振った。

 もう信行は始末されたのだろう。

 二度も逆らったのだ。

 だが今なら。

 信行のことで動揺している、今なら。


「逃げられる。かねてからの打ち合わせのとおり、お前はへ行け」


「承知」


 蔵人と弥七郎は、そのまま二手に分かれて遁走を始めた。

 弥七郎は西の方、岩倉城――岩倉織田家の城へと向かった。

 蔵人は、東へと向かった。

 蔵人は独白する。


「おのれ……だが見ていよ。必ずや……必ずや、!」



 政秀寺せいしゅうじ

 かつて――傅役もりやくであり重臣であり、何よりも「父」であった平手政秀をとむらう寺で、織田信長は、弟の織田信行の法要を営んでいた。

 寺の中には、信長のほか、妻の帰蝶、そして母の土田御前のみ。

 あとは経を唱える沢彦宗恩たくげんそうおん禅師を待つのみである。

 沢彦宗恩は、平手政秀が信長の教育のためにと乞うて織田家に来てもらった禅僧で、その縁もあって、信長は沢彦宗恩に政秀寺を任せていた。

 やがて沢彦宗恩は、ある若い僧を連れて、現れた。


「本日は信行さまの法要にお運びいただき、まことにありがとうございます」


 沢彦宗恩のその言葉に、信長を始め一同が頭を下げる。

 そして沢彦宗恩は早速に読経を始めた。

 若い僧も、たどたどしいながらも、それでも間違えることなく読経する。


 やがて法要が終わると、若い僧は口を開いた。


「兄上、義姉あね上、母上、ありがとうございまする」


「もう兄でも弟でもない。そう申したはずだ」


「いやまあ……そこはそれ。ここは身内だけだから、勘弁して下されや、


「こいつ……」


 帰蝶と土田御前は顔を見合わせて笑った。

 あの日――信行が信長の「見舞い」に来た日、信長は信行の髪を切った。

 信行は「えっ」と言ったが、帰蝶が手を抑えているので、止めることもできない。

 そうこうするうちに沢彦宗恩がやって来て、「下手な切り方を」と言った。

 すると信長が信行をうしろから抑え、「では沢彦がやれ」と命じた。

 信行は「ええ……」と言うが、帰蝶が「頑張って」と意味不明の励ましをして来る。

 そして――。


「気がついたら出家。気がついたら死んだことになっている……やられましたな」


「ですが、いいお顔をしてますよ、信行さま」


「ほんに、ほんに」


 帰蝶が褒め、土田御前が同意すると、信行も笑った。

 たしかに――憑き物が落ちたような顔だな、と信長も笑った。


「さて信行……ではないな、法名は何だ? 何と呼べば良い? ま、いいか、あとで教えろ。先に言うことを言う。あのな、しばらくは沢彦の下で修行していろ。ほとぼりが冷めたら、諸国行脚しょこくあんぎゃなり何なり、好きにしろ。挨拶は要らぬ。好きに生きろ」


 信行の「死」の真相は、今この場にいる者しか知らない。

 そして信行の「死」により、信行の勢力は速やかに解体され、信長の勢力に組み入れられた。

 これには、柴田勝家が先行して信長に味方していたことが大きい。

 そして反信長派と言うべき津々木蔵人、林弥七郎が逃げてしまったこともあり、あとはすんなりと組み入れられてしまった。

 もし仮に、蔵人が舞い戻って、信行を「見つけて」擁したところで、もはや誰も従わないくらいに。


「……信長さまは、こうなることを見越して、信行さまを死んだことにしたのですね」


「知らぬふりをしているが濃、お前とてそう思っていたのであろう」


 濃と呼ばれた帰蝶は、人の悪い笑顔を浮かべた。


「ええ……だって、それこそが、今川義元に対する、ですものね」


 くっくっくと笑う帰蝶に、信長は義父上斎藤道三の血が出ているなと思ったが、特に何も言わなかった。

 その斎藤道三の長男、義龍は病と称して弟の孫四郎と喜平次を見舞に来させてそこで殺した。

 それは今川義元の示唆によるものと道三は看破し、帰蝶に伝えた。

 しかし、信長と帰蝶は逆に信行を生かした。それを帰蝶はと言っているのである。


「……さて信行」


 信長と帰蝶をまぶしそうに見ていた土田御前は、若い僧に話しかける。


「これからは……何と名乗られる?」


「それですが……」


 かつて織田信行と呼ばれた若い僧は、実は前々から、出家した時に名乗りたい名があったと照れくさそうに言った。


「あまりにも大仰で……格好つけすぎな名ですが」


「何でもいい。格好つけ、結構ではないか。言ってみろ」


 信長がぽんと肩を叩くと、僧ははにかみながら答えた。


「……天海」


「良い名じゃないですか」


 帰蝶が手をたたくと、天海――かつての織田信行は嬉しそうに笑った。


「ありがとうござりまする……では拙僧、これから修行に入りまするゆえ、妻子の方をお願いいたしまする」


「うむ。息災にな」


 こうして信長は弟に別れを告げた。

 だがこの時、この兄弟は知らない。

 兄の方は戦国の終わりの始まりとなり――

 弟の方は乱世の終わり、治世の始まりとなることを。


 南光坊天海。

 のちに、徳川家康の側近となり、そして百を越える長寿を生きて、徳川秀忠・徳川家光という三代に仕える名僧である。

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