14 さらば政秀

 松平親乗は平手政秀から「織田家の兵を率いて三河に参陣する」と記された書状を渡されて、ほくほく顔で帰っていった。

 当然ながら、織田信広には会っていない。時間が惜しかったからである。

 太原雪斎が甲相駿三国同盟を成立させるまで、あと少しと聞く。

 このままでは、今川義元は同盟締結のために、駿府へと戻ってしまう。

 ……竹千代を伴って。


 今川義元は先日、にも親乗の前で「知多はどうなっておるか」と洩らした。

 知多――知多の水野家は先年の織田信秀と義元の和睦で、今川家の所属となっていたはずである。

 そこから推理をめぐらして、水野家と織田家が繋がっていると確信し、親乗は水野信元に「このままだと今川家にぞ。嫌だったら、言うことを聞け」と、平手政秀への紹介を求めた。


「思うたとおり。政秀どのなれば、安城合戦でことを覚えておった」


 若い織田信長では、聞いてはいても、知ってはいまい。

 だからこそ、親乗は政秀を指名した。

 最悪、信広に会いに行けばよい。

 そう思って政秀に会い、こうして政秀直筆の書状を得たのだ。

 あとは、考えたとおり、やればよい。

 竹千代を取り戻し、そして、三河を松平のものとする、否、戻すのだ。


 ……こうして、松平親乗は大給城に戻り、すぐにでも来るであろう、平手政秀率いる織田軍の動きを待ち構えていた。

 だが、ほかならぬ政秀がため、それが実現することはなかった。

 後に親乗は自力で挙兵せざるを得なくなるが、それはまた別の話である。



「……今川義元の差し金か」


 と気づかぬように、松平親乗を「ある方向」に誘導し、ついにはこの平手政秀から、あのような兵を出すという約束を引き出させる。

 那古野城の持仏堂にこもり、政秀は肝の冷える想いを味わっていた。

 信長たちは、まだ正徳寺から戻ってこない。

 むしろ好都合。

 そう思って、政秀は持仏堂に入り、「安城合戦の死者に念仏を」と称して、そのままこもっていた。


「恐るべきは今川義元の策よ。一兵も損なわず、この平手政秀をとは」


 おそらく今川義元としては、三国同盟締結までは、他の二国にないために、兵の消耗を避けたい。

 いたずらに兵を損なっては、今川家のかなえ軽重けいちょうを問われるというものだ。


「だからこそ、策を。だからこそ、調略を」


 今さらながらにして、このような恐るべき男が隣国にいることに恐怖を覚える。

 そして、その恐るべき男の狙いは今。


「この、平手政秀、というわけか……」


 思えば、これまで長い長い道を駆け抜けてきたような気がする。

 その駆け抜けてきた先が。

 果てが。


「この那古野城の持仏堂か。面白い」


 かつて。

 織田信秀と平手政秀が若かりし頃。

 当時の二人は城を盗ろうと企んでいた。

 それがこの那古野城であり、その時の城主は今川氏豊といった。

 氏豊は連歌を趣味としており、その氏豊に取り入るため、信秀と政秀は連歌に興じた。

 のちに、本当に連歌に長けるぐらいに、二人は連歌に打ち込んだ。

 そして、連歌がしたいといって、那古野の城に日参し、氏豊に気に入られ、ある日、信秀は「具合が悪い」とこの持仏堂を借りて、伏せることにした。

 むろん、それは偽りの病であり、信秀は機会を捉えて「もはや最期だ。家臣を呼んでくれ」と氏豊に懇願した。

 その願いを聞き届けた氏豊により、政秀は那古野に乗り込み、信秀と内外呼応して、城を占拠した。


「あれは面白かったのう……信秀」


 二人で計画を練り、実行し、そして成功させる。

 これが下剋上であり、乱世というものかと、二人で震えたものだ。


「だが……あれから大分経った。どれだけかのう……」


 政秀は笑顔だった。笑顔で、信長の「所業」を諫める書状を書いた。

 むろん、嘘である。

 政秀が手塩にかけて育てた信長に、諫めることなど、ありはしない。

 ただ、にしておかないと、松平親乗を「騙した」かたちで政秀が死んだことになるため、敢えての書状だった。


「お許しくだされ、信長さま」


 そしてここまで策を仕掛けてくる今川義元を前にして、置いて逝くことを。


 政秀は脇差を抜いた。


「……信秀、悪いが逝くぞ。だが、、信長のことだ、きっと何かをやり遂げる。信長は……信長こそが……おれの……おれとお前の……よ」


 唄が聞こえた。


――死のふは一定いちじょう、しのび草には何をしよぞ、一定かたりをこすのよ


「信秀?」


 なつかしい声だった。

 ただの、尾張の片田舎の守護代のその下の奉行の家柄の子が、そう唄っていたのを聞いたのが、出会いだった。

 何も持っていない。

 けれども、若さだけは、未来だけは誰よりも持っていた、あの日。

 その未来を過去にする時、きっと語り草を残そうと誓った、あの日。


 あの日の姿の信秀が目の前にいた。

 気がつくと、政秀もあの日の姿だった。


「そうか」


 迎えに来てくれたんだな、と政秀は笑った。





 天文二十二年閏一月十三日。

 平手政秀、自刃。

 享年六十二歳。

 器用のひと、織田信秀と共に乱世を駆け抜けた男にして、その信秀から嫡男・信長を託される器の持ち主であった。

 その死は謎に包まれているが、これだけは言える。

 政秀は最期まで――織田信長のことを案じていた、ということを。

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