27 雪斎と法蓮坊、あるいは雪斎と道三

「だが、まさか……城盗りとはな。隠居とはな。これは義龍のというべきか……そこまでやってのけるとは……ま、読めなんだわしも、焼きが回ったか」


「……正直でいいことだのう」


 道三は瞬時に脇に置いた槍を手に取り、障子越しにその発言の主を刺した。


曲者くせもの……とは言うまいよ。出てこい、太原雪斎たいげんせっさい


「久しいのう……という台詞も言う前に……何て男じゃ」


 道三が槍を障子から引き抜くと、その障子は「す……」と開き、扇子を持った雪斎の姿が見えた。


「フン……そうやってわが槍を受けられるのはおぬしぐらいではないか。大目に見よ、雪斎」


「あいかわらず手厳しいの……法蓮坊」


 雪斎は扇子を放り捨て、遠慮なく法蓮坊すなわち道三の前につかつかと進み出て、そして座った。


「いろいろと三河に今川にと悩んでそうじゃからの……いっそのこと直に答えを教えてやろうと、足を運んで参ったというに」


「抜かせ。お互いもう年齢としじゃ。年寄りの冷や水はよして、三河なり駿河なり、帰るが良い」


 言いはしたが、道三に追い出すつもりはなく、あとは黙って茶を淹れた。

 ここは某所と言いつつ、道三の方丈ほうじょう(草庵)であり、いつでもどこでも組み立て・解体が可能なそれは、茶の湯の一式のみしか存在しなかった。

 雪斎は出された茶碗を「天目か」と感心したようにうなずいてから、一気に飲んだ。


「……美味いのう」


「熱かったろうに……よく飲めたな」


「年の功じゃて」


「そうか」


「…………」


「…………」


 どちらかが黙ると、自然とお互いに昔のことを思い出す。

 そういう二人であった。

 やがて雪斎が口を開いた。


「おはどうしてるかのう?」


「京に置いてきた。知ってはおろう」


 道三はひどくつまらなそうに答えた。

 しかし、茶碗を見るふりをして、下を向いていた。


 京、山崎屋。

 そういう名前の油問屋があって、主人の又兵衛の娘を、おと言った。

 道三と雪斎は若い頃、京で修行中に友誼を結んで切磋琢磨し合う仲だったが、おの存在が、全てを狂わせた。

 仏道を、あるいは知を極めて救世ぐぜさんとする雪斎。

 乱世を、その中を力を尽くして生きようとする法蓮坊(道三)。

 ある時は争い、ある時は和し、紆余曲折あって、結局、還俗して世俗に戻った道三がおを手中にした。

 だがそれは同時に仏道と知への道において、雪斎に負けたことを意味した……少なくとも、雪斎と道三にとって。


 やがて雪斎は、国元である駿河の国主・今川氏親の要請を受けて、駿府へと戻る。

 そして道三は……。


「仕方なかったのじゃ。わし……いやおれは、どうしても国主になりたかった。天下を取りたかった」


「……………」


 雪斎は何も言わなかった。

 だが、かつて自分が仏道を捨てても、とまで決意した女を捨てた道三に対し、その思うところをで表した。


「フ……」


 道三は自嘲した。

 あいかわらず、こやつはこういう奴だ。

 思い切り罵ればいいところを、こうやって情けを残す。

 いや、あるいはこの方が無情なのか。

 だが、今となってはもういい。

 もはや、時は流れた。

 「もういい」と言い切れるぐらいの、時が。


「……で」


 道三は茶碗をあおった。


「……何が言いたいのだ、かつての朋友よ」


「そうじゃな……」


 雪斎はすでに空になった茶碗を置いた。


「悪いが――美濃はもらうぞ」


「――は?」


 道三がをぴくぴくと震わせながら立ち上がる。


「言葉通りだ、かつての――いや、朋友よ。わが弟子・今川義元が動いているのは知っておろう。その動きはもう……しまいになるぞ」


 それだけで、道三は理解が及んだ。


「そうか。美濃を。騒乱を誘う……と思わせつつ、その実、狙いは美濃の国人・土豪たちを――わしではなく、新たなる旗の下で集める」


 新たなる旗――それすなわち、斉藤道三の嫡子である、義龍である。

 義龍はこれまでも今川とのつながりを強調してきた。

 それは実は義龍自身の戦略ではなかった。


「これは単なる騒乱ではない。美濃をというではない。これはもはや……新たなる旗の下での……国盗り! これが今川義元、彼奴きゃつめの策略か!」


 道三は声を荒げて、次男の孫四郎と三男の喜平次を呼べと叫んだ。

 だがその返事はなかった。


「おい、たれかある! 何をしておる! はよう、わが子らを……」


りません、大殿」


 方丈の陰から、近侍の者が出てきた。


「何でも稲葉山城へ行く、と……」


「稲葉山城だと!?」


 道三は目をいた。今、道三は稲葉山城にいる嫡子・義龍とは敵対関係にある。それは義龍以外の子である、孫四郎や喜平次、そして帰蝶も同様である。


「さようなだと言うに、なにゆえ孫四郎と喜平次は稲葉山城に……」


「義龍どのがやまい、とのことです」


やまい……」


 うめく道三を前に、雪斎は「始めおったな」と呟いた。

 実は、雪斎が道三の前に現れることからして、今川義元の策略である。義元としては、高齢である師・雪斎をおもんぱかって、雪斎の美濃行きについては逡巡していた。そこを押し切って雪斎は美濃に来た。

 何故なら。


「さらばじゃ、わが朋友よ。できるものなら、わが弟子の罠を食い破ってみるがよい」


「……言うてくれる。たしかに、おぬしの弟子の今川義元の動き、見定められなかったは、わが不明。ならば挽回してみせようぞ」


 道三は久々にマムシと呼ばれた頃の、人の悪い笑みを浮かべた。

 雪斎はそれを見て満足そうに笑い、今度こそ方丈を辞して去っていった。

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