47 信長包囲網


 尾張。

 熱田神宮。

 社殿にての参詣のあと、そのまま織田信行は尾張守護・斯波義銀しばよしかねと共に、特別の客用の客殿へと、まるで連れ去られるように同行させられた。

 津々木蔵人つづきくらんどと共に。

 そこで聞かされたのは、またしても同じ、であった。


「信行よ、お前の叔父の信光はな、お前の兄の信長に殺されたのじゃ」


 織田信光はかつて、織田信長を補佐して、守護代の織田信友を倒した。

 しかし、倒したあとに、暗殺されてしまう。

 その暗殺が信長の手によるものという話である。

 それは、もう蔵人に聞いた。

 しかも、稲生いのうの戦いのあと、母・土田御前どたごぜんの前で「ちがう」と信長に言われた。

 何となく信行も、暗殺が信長の指図によるものという話を怪しいと思っていた。

 それゆえ、「そうですか」と答え、この話は終わりにすることにした。

 だが、義銀は終わりにできないらしい。


「けしからん! 信光は、あの守護代・信友を倒した功臣である!」


 義銀よしかねの父・義統よしむねは守護代の織田信友により自害に追い込まれた。

 義銀から見て信友は父の仇であり、信光は仇を討ってくれた功臣という理屈である。


「いやしかし」


 信行はそこまで聞いて、信光死去は不慮の事故のようなもので、しかも今、義銀は信長に擁立されて守護としての地位にいられるのでは、という趣旨の発言を述べた。


「それとこれとは別じゃ!」


 何が別なのか。

 そもそも、義銀は何がしたいのか。

 信行としては混乱するばかりで、あと、そろそろ帰りたいと思って蔵人の方を振り返ると、彼は貼りついた笑顔をしていた。

 まずい。

 そう思った時は遅かった。

 義銀はいつの間にか信行の肩をつかんで引き寄せる。


「密の話があるのじゃ、信行。密の話が」


「信行さま、かしこくも守護さまのお話ですぞ」


 そう言われると弱い。

 信行の、秩序重視の性格を見抜いた、蔵人のである。義銀への。


「……このままでは信長、増長しかねん! そこで予は考えた」


 本当に、義銀が考えたことなのだろうか。

 芝居がかった言動の義銀に、信行はそう思う。


「そこで予は考えた……信長を包囲するのじゃ」


「包囲」


「そうよ。信行、この前の稲生いのうの戦いではようやった。でも、それだけでは駄目だ。駄目だったのじゃ」


 義銀は懐中から尾張の地図を取り出した。

 そして岩倉織田家を指し示す。


「岩倉の織田はまあ……お家騒動のようじゃから、まあがせいぜいじゃな」


「はあ……」


 岩倉織田家は、当主・織田信安が、長男の織田信賢を廃嫡して、次男の信家を嫡子にしようと目論んでおり、それが今、内紛状態を生んでいる。

 次いで、義銀は津島の南、海西郡かいさいぐんを指した。


「海西郡の国人こくじん服部友貞はっとりともさだ


 この服部友貞が、義銀のはかりごとに味方するという。

 これには信行もうなった。

 服部友貞の服部党の根拠地、海西郡――そこは、地理的に尾張から陸続きではない「島」と言える土地だった。そして、いわゆる輪中わじゅうと呼ばれる地帯であり、水路を張り巡らされている。

 しかも海に面している。

 その服部党が味方するということは。


「もしや……海上から何かを」


「そうよ」


 に義銀は「今川義元の水軍よ」と告げた。


「今川!? さ、されど守護さまにおかれましては、前に、三河での吉良さまとの会合にて、吉良さまと今川さまとは不仲に……」


 こんな話がある。

 今川義元も、三河忩劇みかわそうげきと呼ばれる三河の国人の争乱と大混乱に手を焼き、一時だけでも織田信長と和睦をするか、という話になった。

 信長としても美濃の斎藤道三討ち死にによる勢力減を考慮して、その話に乗ることにした。

 ただ、お互いが直接に和睦するというのも抵抗があるので、信長は尾張国主である斯波義銀しばよしかね、義元は三河の名家である吉良家の吉良義昭きらよしあきを表に出した。

 そして上野原という地で会盟の段となったが、義銀も義昭も、互いが名門、名家ということもあり、お互いが譲らず、どちらもかまえた陣地から一歩も動かず近づかず、結局、一町ほども離れた位置での「対面」をした、というていを取って、お互いに解散をした。

 これにはさすがの義元もあきれたと聞いているが。


「そうではなかった、と」


じゃ。当り前よ」


 義銀は得意げに、その吉良家もこの謀に加わっていると言う。


「それだけではない。美濃の一色とやらも入っている。これは義元どのの差配さはいよ」


 その話が正しいとすると、信長は岩倉織田家、津島の斯波義銀、海西郡の服部友貞、三河の吉良義昭、駿河の今川義元、ついでに美濃の一色義龍から包囲されていることになる。


「どうじゃ、信行」


 さしもの信行も、ここまで来れば、義銀の言いたいことが分かる。


「おぬしもこの……に加わらんか?」



 斯波義銀は実はかつて、今川義元と密会し、「お飾りの守護で良いのでござるか? 予は心配でたまらぬ」と言われたという。

 また、「織田信光は信長の手により始末された」とも。

 以来、信長はいつまで津島にいろというのか、清州の城を譲ってくれないのかという自問にとらわれた。

 ついには、義銀に「味方するはず」の織田信光を始末されただと思うようになった。

 そうこうするうちに、義元からまた書状が来たという。


「それが……この信長包囲網をしてくれた。予は震えた。そして……この包囲網完成時に、予と服部友貞が、海路、今川水軍を引き入れる」


「さ、さようなことをなぜ私に」


「分からんか」


 義銀は義元の書状を見せた。

 それには、四方八方から信長を囲み、最後に織田信行を味方につけて、陸路の方の今川軍を迎え入れろと記されていた。


「な、な、こんな……」


 こんなことが、と言おうとする信行の背後から、津々木蔵人の声。


「お受けなさいませ」


「だ、だが……兄とは……もう……」


「そこが信長さまの甘さです。否、信行さまの運の強さです」


「う、運だと……」


「ええ。こうして神仏を崇め奉って、守護さまに唯々いい従うという恭順……まさによみしたもうものとして、信行さまを生かしたのです」


 滅茶苦茶な理屈だったが、実は信行に守護・斯波義銀の言うことを聞けとさりげなく言っている。


「信行よ」


 そこへ、義銀がたたみかけるように信行に迫る。


「何も予は信長を始末しろと言っているわけではない。最初に言うたとおり、増長を何とかしたい。懲らしめたいだけじゃ。そして……守護は守護らしく、予は清州の城に入り、尾張の国を治めたいじゃ」


 だけ、と言っているが、その「だけ」のために、たとえば信行の父・織田信秀などは、どれだけ苦労を重ねたと思っているのだ。

 だがそんなことより、このままではたしかに兄・信長は窮地に追い込まれよう。

 というか、兄・信長を当主とする織田弾正忠家が追い込まれる。

 義銀は「懲らしめたいだけ」と言っているが、今川義元あたりは平然と攻め滅ぼしてくるだろう。

 直近で信長と戦った一色義龍なども、嬉々として兵を出すかもしれない。

 このままでは……。


「わ、わかり申した」


 こうなっては、もはや

 ここでに加わっておけば……という苦渋の判断だった。


 ……信行の背後で、津々木蔵人がまた、貼りついた笑顔をしていた。

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