第十部 東西の謀(はかりごと)

57 京(みやこ)往還記 往の巻

 織田信長は、五百の兵を率いて上洛の途に着いた。

 その途次、堂々と美濃に入った。

 これには事前に河尻秀隆と明智十兵衛を、稲葉山城の一色義龍のもとへと向かわせ、「説明」を行わせていた。

 そして秀隆によると重々しく、十兵衛によると苦虫を噛み潰したように、美濃通行を許可したという。

 もっとも、十兵衛については、義龍からすると道三に味方したやからと見られているからでもあるが。


「で、あるか」


 それを聞いて信長は満面の笑みを浮かべて、美濃へ、そして京へと向かった。

 これに妻である帰蝶も同行しており、実は義龍はそこが一番の難色を示したところだが、ほかならぬ将軍・足利義輝が「離れ離れになった母子を再会させたい」と御内書で言っている以上、拒否する術はなかった。

 そもそも、「一色」義龍にしてからが、将軍・義輝から「一色」姓の公称を許されている、という経緯もあるので、そこは仕方なく、黙認するしかなかったのである。


「……このままではいられるか、予も京へ」


 ここで義龍は妙に対抗意識を燃やし、あるいは美濃を盗ったことを、帰蝶によって将軍に「讒言ざんげん」されることを警戒し、信長が上洛を遂げてすぐに義龍も上洛することになる。

 信長としては、義龍があわただしくなることは願ったりかなったりではあったが。



「……ということで、なら、京への往還のうち、還の方、つまり帰りです」


「……で、あるか」


 今ではすっかり信長の美濃方面の謀臣の観のある蜂須賀小六が、長良川のあたりを騎行している時に、そう報告してきた。

 往路においては、一色義龍もそれなりの警戒を施しているだろう。

 だから、何もしない。

 現に今、道三塚と呼ばれる道三の首塚(道三を討った小牧源太が、手柄と引き換えに首をもらって作った塚)もこうして素通りしている最中である。


「…………」


 帰蝶は何も言わない。だが、その胸中は、万言を費やしても語り切れないだろう。

 信長は小六からの報告のつづきを求めた。


「加えて、美濃国内のとがっている奴にをつけるため、時日を要します」


 このあと、蜂須賀小六は木綿藤吉と共に美濃国内に潜入する予定である。明智十兵衛の助言もあって、「とがっている奴」に目星をつけているが、それでも下調べなり準備なりに時間がかかる。


「ですが、京から戻られるまでには」


「頼みます」


 帰蝶としては、その「とがっている奴」に直接会って、故・斎藤道三の国譲り状を託したいと考えている。

 そしてそれこそがと小六が表現した行動である。


「うけたまわりました……では」


 小六が目配せすると、木綿は黙ってうなずいて、いかにも立小便をするという雰囲気で、さりげなく列から離れた。


「おいおい木綿、こんなところで催すとは、何事だ」


 心得たように、前田利家が聞こえよがしに言ってきた。


「そンなこと言われても」


 木綿が哀願するような表情をすると、利家は分かった分かったと片手を振った。


「……しようがない。だがこのままな。織田家の名折れぞ。どこか遠くへねい!」


 うへえ、と言って、木綿は股間を押さえて、小走りに走り出した。

 その滑稽な様子に、織田家一同、皆、笑ってしまった。

 出迎えというか見張りに来ていた、一色家の安藤守就あんどうもりなりも顔をほころばした。


「安藤どの、織田ウチの者がとんだ不作法を」


「ああ、ああ、まあいいまあいい。織田家そちらからすると、美濃はいわば敵地。緊張したんじゃろ」


 信長は、では弛緩するためにも今宵は一献と誘うと、守就はぶんぶんと首を振った。


「いやいや! それがし、主命の最中でござる! 主命の最中でござる!」


 と言って、わざとらしく咳払いをして、守就は前の方へ行ってしまった。

 その隙に、小六もまた列を離れた。


「頼んだぞ」


 その信長の呟きに、小六は精一杯駆け出すことで応えた。



 そこから織田信長一行は、京へ意外とすんなりと入った。

 明智十兵衛が、事前に踏査というか、京から尾張に来た際の経験に基づいて道行きを設定していたためである。


「あちらに見えまするは……」


「十兵衛どの、もうわかりましたから」


 帰蝶が笑いながら十兵衛をたしなめると、十兵衛は頭を掻いて恐縮恐縮と言い、信長らを笑わせた。

 そうこうするうちに、織田家の宿に着いた。

 京において、五百からの軍勢が寝泊まりする場合、それは寺院に限る。

 そこで信長は妙覚寺を選んだ。

 妙覚寺。

 それは――かつて斎藤道三が法蓮坊という法名で修行していた寺である。



 妙覚寺で信長一行を出迎えたのは、幕臣・細川与一郎藤孝ほそかわよいちろうふじたかである。

 歓迎すると言って来たもの、その表情は渋いものであった。


「何やその顔」


 早速に藤孝の朋友である十兵衛が突っ込む。

 すると藤孝は、まだ和泉式部が天橋立から戻らないと告げた。

 藤孝と十兵衛の二人の間で、和泉式部とは山崎屋おのことである。天橋立とは、おの行った先である、安芸を意味する。


「何やて」


 十兵衛もまた渋い顔をした。

 安芸の多治比という人物が、まだ見つからないのか、それとも……。


「それは大丈夫や」


 おには、堺の商人にして茶人・千宗易せんのそうえきが同行している。藤孝は、宗易が商家である魚屋ととやと定期的に連絡を取り合っていることを知っていた。


「……おそらく、多治比いうお人が、な人物になっとるやもしれんて」


 斎藤道三の十代、二十代の頃となると、それはもうかなりの昔である。そのかなりの昔に、道三と肝胆相照らす仲であった人物となれば、今では相当の人物となっていよう。


の戻らずやと思うんやけど……」


 こればっかりは、なだけに、早く戻って来いと言えない。

 もしかしたら、道三の書状の内容が、かなりの無理難題なのかもしれない。


「まあ公方さまにおかれましては、織田さまが来るンは、別に止めンでええ言うたけどな」


 織田家は、織田信秀の時代から、朝廷・幕府への貢ぎ物を欠かさなかった。

 今回、信長もその例にならって、相応の「土産」を持参していた。

 それは、京へ行く場合はそうした方が良いという、平手政秀の教えによる。


「せやから、織田さまにおかれましては、予定どおり公方さまにうたってや」


「で、あるか」


 信長としては、帰蝶が残念そうな表情をしているのが気にかかるが、それでもせっかくの機会である。足利義輝に会うことにした。


「では公方さまに、この信長の尾張守護になることを……」


「あっ、それはアカン」


 藤孝は片手を振って否定する。

 実は先般、駿河の今川義元より書状があり、尾張守護・斯波義銀しばよしかねがまだ生存しているのに勝手に尾張守護を他人に渡すのはいかがなものか、と釘を刺された。


「……面憎いことを」


 そう言いつつも、その義元の書状に何か引っかかるものを感じた信長は、それ以上言葉を発することはなかった。

 そうすると自然と、話題は帰蝶のことに移る。


「よう似ておすなぁ」


 藤孝はそう褒めそやす。

 帰蝶とおが似ていることは、十兵衛もそう言っていた。

 そういうものなのかな、と帰蝶としては曖昧な微笑みを浮かべることしかできなかった。

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