第七部 相剋の戦(いくさ)

38 大良(おおら)河原の戦い 前編

 大良。

 織田信長陣中。

 岩倉織田家による、清州付近、下之郷焼き討ちが伝えられる中。

 ついに、陣中に「その知らせ」が届いた。

 斎藤家の紋「二頭波紋」の旗印を背負った騎馬武者が、大良へと至ったのだ。

 その騎馬武者は背に何本も矢を受けており、瀕死の状態だった。

 騎馬武者は帰蝶の姿を認めると、叫んだ。


「……道三さま、討ち死に! 御首みしるし、取られましてございます!」


 帰蝶が重ねて問う暇もなく、その騎馬武者は息が絶えてしまった。

 信長が「もしかしたら誤報かもしれない」と慰めたが、騎馬武者の目を閉じながら、帰蝶は首を振った。


「この方、見覚えがあります。たしか、柴田角内どの。父上の長年の家臣であり友であった者」


「……で、あるか」


 信長は瞑目した。

 角内のために、そして道三のために。

 その時ふと、帰蝶が懐に紙が入っていることに気がついた。

 その紙を取り出すと「利治としはる」と記された例の紙だった。

 ただし、よく見ると、今はその隅に何か書いてある。


「これは」


 尾張に変事あれば、戻るべし――そう、書かれていた。


「ち、父上」


 わざと、あの鶴山で言うと断られるであろうことを、このようなやり方で。


「父上……」


 信長もまたその一文を見た。

 帰蝶の肩をつかむ。


「濃」


「いえ」


 帰蝶も信長の手をつかんだ。


「……尾張へ、戻りましょう」


「いいのか」


「いいのです」


「……で、あるか」


 信長が立ち上がると、前田利家が槍を抱えて参上した。


「一色義龍、こちら向かっているとのよし!」


 早くも義龍麾下・千石又一率いる先遣隊が来ており、今、山口取手介と土方彦三郎が遭遇して戦闘中である、とも言った。


「……退き陣! 退却だ! 退くぞ!」


 信長の判断は早かった。

 ただし、事前に道三の遺言と帰蝶の了解が無ければ、これほど早くは無かったかもしれない。


三左さんざ!」


「応!」


 森三左衛門可成もりさんざえもんよしなりが、馬上、十文字槍を振るう。


「取手介と彦三郎をけてやってくれ!」


「かしこまってそうろう!」


 びゅん、と最後に十文字槍をひと振りし、可成は馬腹を蹴って、大良の河原へと躍り出た。

 信長はそれを見送りながら、「小六!」と蜂須賀小六を呼んだ。


「退き陣にあたって、飛騨川、木曽川で舟が要る。先駆けて、集めてくれ」


「承知!」


 今、道三の仇を討てるのは、信長と帰蝶しかいない。

 この二人とその将兵を逃がすため、小六は己が才と伝手を全て使うことに決めた。

 小六が馬を駆っていく。

 信長はかたわらに控えた、木綿藤吉もめんとうきち前田又左衛門利家まえだまたざえもんとしいえに言う。


「木綿が雑人ぞうにんと牛馬を、、又左は将兵らを指揮し、退き陣を始めよ」


「承知つかまつりました」


「お任せあれ!」


 最後に残った帰蝶を、信長は少し抱きしめてから、体を離した。


「濃……われは殿しんがりを果たす」


「信長さま」


「そんな顔するな。ここまで来て、何もせずに帰るのがしゃくなだけよ。無理はせん」


「……ご武運を」


「濃もな」


 そして信長は、信長の鉄砲と弾を持って来た橋本一巴はしもといっぱに帰蝶を託し、ひとり、可成らが帰ってくるのを待った。



 森可成が戦場に到着してまず見たものは、山口取手介、土方彦三郎が討ち果たされる姿だった。


「……お前が織田の新手かあ? おれは千石又一。一色義龍さまのいちの武者よ!」


 又一が彦三郎に刺さった槍を、といった風に引き抜く。

 彦三郎の体が、宙を舞って飛んで、そして落ちた。


「織田の連中は、どいつもこいつも歯ごたえの無い奴らばっかりだ! お前はどうかあ?」


 又一のうしろには、一色軍の将兵らが終結しつつある。

 ここが正念場か、と可成は十文字槍を振った。


「……われこそは、森三左衛門可成もりさんざえもんよしなり! いざ尋常に、尋常に勝負!」


「『攻めの三左さんざ』か、面白い!」


 又一は素槍をかまえた。


「者ども、手を出すなよ! こいつはおれがやる! 手柄首じゃ!」


 やはりな、と可成は思った。

 「一の武者」などと言って誇る奴は、大概こうやって一騎打ちに興ずる。

 はやる武者だからこそ、追撃部隊の将となり、ともすれば疲れがちな将兵らを鼓舞する役割を負うのだ。

 可成もまた十文字槍をかまえる。

 だが、単なる一騎打ちにするつもりはない。

 信長は退き陣と言った。退却と言った。

 であれば、この可成やることはただひとつ。


「来い! 又一とやら! この『攻めの三左さんざ』をやれるというのなら、相手になってやろう!」


 ……時間稼ぎである。


「ふっはっは! 面白い! より、よほど骨のある武者に出会えたわ!」


 ぎり、と歯噛はがみする可成だが、ここで感情に流されるようであれば、あの信長から「いちの将」として認められていない。


「かかってこい! 一色のおごり武者!」


「言わせておけば!」


 だが、挑発にて意趣返しすることは、忘れなかった。

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