15 政秀の遺したもの

 その日、岡崎城にいた今川義元は、当時、鳴海城に戻っていた山口教継を呼んだ。


「大高城と……そして沓掛城の調略をせい」


 同時に義元は、東条松平家の松平義春も呼び、知多の村木に砦を築くよう命じた。


「兵千人を預ける。村木の砂丘に砦を築け」


 義元は水野家の服属が偽りであることを知っていた。それゆえに、こうして具体的にどこに砦を築くかを綿密に下調べしていたのだ。


 これらの指示を下した時、平手政秀の訃報が届いた。

 その時、義元が「氏豊よ、仇は取ったぞ」と呟くのを、松平竹千代は聞き逃さなかった。


 ……かつての那古野城主・今川氏豊は、義元の兄弟であった。



 織田信長は正徳寺での、義父・斎藤道三との会見にあたっての打ち合わせと手配を終え、妻の帰蝶、供の前田犬千代と木綿藤吉らを従えて帰って来た時には、すでに日が暮れていた。


「もう遅い。犬千代と木綿は帰れ」


 謝礼にと帰蝶が粒銀を何粒か与えると、二人は喜んで酒を求めに行き、そして家に帰った。


「ありゃ、家で飲む気じゃな」


 呆れた表情をする信長。


「まあまあ、上のわたしたちがいては、気楽に飲めないでしょうから」


 帰蝶が取りなすと、それもそうかと信長はうなずいた。

 そして「爺、帰ったぞ」と城門をくぐった。

 しかし。


「何やらおかしい……」


 いつもなら、政秀が真っ先に迎えに出て来て、うっとうしいくらいにしてくるのが通例だ。

 それが、出てこない。

 それどころか、誰も出てこない。


「確かに面妖ですね。吉野きつの! 吉野!」


 帰蝶が呼んだ、吉野とは、尾張で馬借を営んでいる生駒家の娘で、夫と死別していたところを、蜂須賀小六の紹介で、那古野城に出仕している。帰蝶が城内を取り仕切るにあたって、吉野にはこまごまとした仕事を頼んでいる。

 その吉野が、青い顔をして城門に飛んできた。


「き、帰蝶さま」


「何です、吉野」


「じ、持仏堂に来て下さい」


 吉野が言うには、平手政秀は何者かの来客を受け、その後、持仏堂にこもったきり、出てこない――と。


「様子がおかしいのです。最初は、お堂の扉越しにお返事があったのです。金子きんすの出し入れなど、政秀さまの裁可が必要なことがあって聞くと、お返事が返ってきました。それが」


 ある時、「悪いが、少し寝る」と言ったきり、返事をしてくれなくなった。

 そして、とっぷり暮れて夜になるというのに、出てこない。

 侍女たちや小者たちが不安がる中、持仏堂の前に立った吉野は、においをいだ。

 血のにおいだ。

 そう気づいた時に、信長と帰蝶が帰ってきたというわけである。


「爺!」


 信長は走った。

 誰よりも速く。

 爺、爺。

 胸騒ぎがする。

 一体、来客とは誰なのか。

 その来客と、何を話したのか。

 は、政秀にとって。


「それほどまでに……一大事なのかッ」


 持仏堂の前に着くと同時にその扉を蹴破る。


「爺ッ」


 飛んでいった扉が仏像をなぎ倒したが、そんなことは気にせず、信長は床に倒れているにすがりついた。


「爺ッ」


「平手さまッ」


 追いついた帰蝶が口を手で覆う。吉野は「ああ……」と言ってその場に崩れ落ちた。

 は、自刃した平手政秀の亡骸なきがらであった。


「爺ッ、爺ッ、なぜこんな真似を! なぜこんな真似を!」


 苦しかったであろうにもかかわらず、その死に顔は安らかであった。

 信長はその顔を、頭をき抱いて泣いた。

 無心に泣いた。

 信長にとって、政秀は父であった。

 むろん、織田信秀という父がいる。

 それでも、信長にとって、政秀は父であった。

 信秀の場合は、病による死で、ある意味、覚悟ができた。

 しかし、政秀の場合、あまりにも急すぎる死であり――ある現実が信長を襲った。

 すなわち、信長には、父がいないのだ、と。


「ああっ、うああっ、じ、爺……爺ッ」


 まるで嬰児のように泣きわめく信長。

 それはまさに、親と死に別れた子の歎きであり、叫びだった。


「爺……なぜ……」


 その時帰蝶は、持仏堂の隅に、書状があるのを発見した。

 きっと信長が扉を蹴破った時に、飛んでいったものだ。

 帰蝶がそれを手に取ると、それには政秀の字で、信長を諫める文章が記されていた。


「嘘……」


 生前の政秀は、信長のことを自慢していた。手塩にかけて育てたのだと、帰蝶の前で胸を張っていた。

 そんな政秀が、こんな文章を書くはずがない。

 呆然とする帰蝶の手から、信長が書状を奪う。


「爺……おれは……至らなかったのか……」


 父と見て師と仰ぐ政秀の遺書が、「そのような内容」であることに、信長は衝撃を受けているようだった。

 だが帰蝶は考える。

 あの政秀が、何も考えずにこのような書面を残すはずがない。

 何か、裏が。

 隠された、意図が。


「吉野」


「はい」


「立ちなさい。そして教えなさい……平手さまは一体、こうなる前に誰と会っていたのか」


「それは……」


 気丈にも立ち上がった吉野は、必死で思い出す。


「確か……大給おぎゅう、と」


「大給? それはどこです?」


 馬借の家に生まれた吉野にとって、それは容易な質問だった。


「三河です。三河……そういえば松平家の城があります」


「松平」


 信長が立ち上がった。

 政秀の亡骸を抱いて。


「松平か。つまり、今川じゃな。おのれ……」


 信長の犀利な頭脳は、松平を手先にして操る義元の姿を導き出していた。

 だがそれと激情は別で、今にも沸々ふつふつと湧いてくる敵意が、信長を突き動かそうとしていた。


「お待ちください」


 その信長を、うしろからしがみついて、帰蝶が止める。


であるならば、政秀どのなれば、素直に大給を討て、今川を討てと書き残すはず」


 そう、おかしいのだ。

 政秀が信長に苦言を呈するのなれば、面と向かって言えば済むはず。

 信長は政秀を慕っていたし、奇行奇癖も、ある意味みたいなもので、反発してやっているわけではなかった。

 では、どうして敢えてこのような書状を残すのか。


「……調べましょう、信長さま。そして、考えましょう」


 この時から帰蝶は、無意識のうちに政秀に代わる存在として、振舞うようになっていた。それゆえの、「信長さま」である。


「……判った」


 信長もそれに気づいたのか、激情を抑えた……そして、一刻も早く爺を弔ってやらなければな、と寂しそうに言った。



 信長は政秀のために寺を建てた。

 今日、政秀寺せいしゅうじとして伝わるその寺は、信長のもう一人の傅役もりやく沢彦宗恩たくげんそうおんを開山とした。

 同時に、情報を担当する謀臣・簗田政綱やなだまさつなに、徹底的に政秀の死について何があったのかを調べさせた。


「大給松平の松平親乗の、竹千代強奪の策じゃと?」


 信長は幼い頃竹千代に会ったことがある。しかし、今はその縁のことを気にしている場合ではない。信長は、政綱が「平手どのの使い」と称して聞き出した、そのつづきを催促した。


「織田が攻めるから、その隙に? ばかな。まだ、あと一年は……と言うたは、爺自身ではないか」


 この信長自身ならともかく、政秀が「攻める」と約束となると、ますます話がおかしくなる。

 そこで、政綱は、松平親乗から聞き出したという、その「論法」を語った。


「信広の兄上を引き合いに……で、あるか」


 信長もまた、政秀の死をきっかけに変貌を遂げようとしていた。この「で、あるか」という言い方の多用がまずそれである。


を言われては、かなうまい。今川義元の、策の勝ちじゃ……」


 だが平手政秀とて、ただ負けたわけではなかった。

 それがこの「信長を諫める書状」である。

 大給松平家としては、織田家に対する約定違反を問うても良い立場であるが、こうして政秀が「諌死」してしまったことにより、それはできなくなった。その上で、大給松平家は今でも潜在的な反今川として、織田家に味方する立場を保持していた。

 また、尾張国内においては、政秀の「諫め」を聞き入れて信長が謹慎しているかたちになり、それに対してうかうかと攻めることはできない雰囲気となっていた。

 それでも信長の弟、織田信行などは、寵臣である林秀貞ひでさだ通具みちとも兄弟と語らって、信長のいる那古野城を攻めようとしていた。しかし、肝心の采配を取る柴田勝家が「平手の親爺オヤジの喪に服したい」と言い出して家にこもってしまったため、それはかなわなかった。

 一説によると、勝家なりの政秀への敬意の表れだったらしい。


 ……こうして、今川義元が今や尾張への乱入の意志をあらわにする中、平手政秀は織田信長が最も欲する「時間」を稼いだのであった。

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