66 道三塚の三ツ星

 斎藤道三の首を取った小牧源太は、その功に代えて首をもらい受け、塚を作って首を埋め、道三の菩提を弔った。道三の首については、長井道利の子・道勝が道三と組み合っているところを、源太が道三を討って得たという経緯がある。道勝はその際に道三の鼻を削いで証拠として、源太と争う姿勢を示した。

 が、源太の方が手柄よりも首を弔いたいと申し出た。

 主君である一色義龍は、潔いと感じ入ってこれを認め、首を渡した。

 一方の道勝はというと。


「ならば手柄はこちらに」


 そう言って、義龍を閉口させた。

 そこで義龍は、ちょうど道勝の父・長井道利に明智城攻めを命じていたため、それに合流させ、城を陥落させたのちは、道利と道勝の父子に明智城を渡した。

 そしてその代わりにとばかりに、まつりごとには関わらせないようにした。

 長井道利は、長良川の戦いの前に、一色義龍と共に斎藤孫四郎、喜平次の暗殺を企み実行したという経緯があり、それを盾に義龍に、地位と権力を要望していたからである。

 義龍はこれを忌避した。

 弟たちを暗殺したことは、これは自らの覇道のために仕方ないこととして割り切っているが、それをことあるごとに言い立てて、いかにも自分が一色義龍を国主にしてやったのだという物言いに、義龍は当初嫌悪を、ついには憎悪を覚えるようになった。


「何だ、あれは。これでは国主たる予は、一生あいつに頭が上がらないのか。ふざけるな」


 元々、自らの上に立つ父・斎藤道三が気に入らなくて叛したぐらいの男である。長井道利と道勝の父子と遠ざけるようになるまで、そう時間はかからなかった……。



 道々、木綿藤吉からそういう「経緯」を聞いた帰蝶はため息をついた。

 木綿はこういううわさ話を仕入れるのがうまく、かつ、語るのもうまかった。

 蜂須賀小六は先行して舟の手配などに向かっているため、今はいない。

 

「……まあ、そういうが入っているからこそ、あの国譲り状が効果を発揮するんですけどね」


「さようですな」


 菩提山で竹中半兵衛と、そして一徳斎こと真田幸綱と邂逅し、そのまま帰蝶、木綿、小六の全員で国譲り状を囲んだ。

 帰蝶がまずやったことは、その国譲り状を半兵衛に渡すことだった。


「これは」


 そうは言ったものの、半兵衛はそれを予期していたらしく、押し戴いて受け取った。

 ただし、その国譲り状をもって何をするかは語らなかったし、帰蝶も聞かなかった。

 木綿や小六も同様である。

 幸綱はそれを見て何か悟るものがあったらしく、ひとりうなずき、口を開いた。


「申し上げたことですが、武田としては、今川と織田がせめぎ合ってくれれば御の字。そういう面については、協力いたしましょう……また、そして国譲り状を見せてくれたことや、武田と手を組むことを即断してくれたことは、主・信玄にしかと伝えましょう」


 そして武田信玄はそういう点を評価し、手を組むにあたって何らかの「加味」をしてくれるだろう、と幸綱は付け加えた。


「さしあたっては、今川が『動いたら』、必ずお伝えいたしましょう……何をするかは敢えて聞きませぬが、お手前らのはかりごとにとって、このを捉えることこそが、何よりも肝要かと」


「それだけで、充分『加味』していただいております。ありがとうございます」


 帰蝶が頭を下げると、半兵衛、木綿、小六らも下げた。

 幸綱もまた、頭を下げた。

 帰蝶らが、こういう場合の情報というものをありがたさを知っていることと、そしてそれに対する礼を怠らない態度に、感銘を受けたからである。



 ……もう、日が暮れ出している。

 長良川の近く、道三塚まで、もうすぐだ。


「それでは、それがしはこの辺でお待ちいたしておりまする」


 木綿は頭を下げてから、その場に腰を下ろした。

 帰蝶がひとりで道三塚に――父・道三の墓前に立ちたいだろうと察しての気づかいである。

 帰蝶が礼を言うと、休みたかっただけでござると木綿は照れ隠しをした。

 そして、何かあったら声を上げて下されと言い、帰蝶を見送った。


「――さて」


 帰蝶が道三塚へと歩いていく。

 あの塚か。


 ところが。


「先客……?」


 塚の前に、誰か人影が座っていた。

 人影は、帰蝶に気がついたようで振り向く。


「あ……」


 その人影はかなりの年配で。

 似ていた。

 雰囲気が。


「ち、父上……!?」


 人影は「おや」と言って、立ち上がった。


「これはこれは……あいすみませぬ。新九郎どのが亡くなったと聞き、遠路はるばる、今来たところにて……邪魔立てするつもりはありませんでした。では拙者はこれにて……」


「新九郎」


 斎藤道三は若き日において、いくつかの名を持っていた。

 そのうちのひとつが、長井新九郎という。


「おや? そういえばもしかして、貴殿は新九郎どのの娘御むすめごでは?」


「さようです」


 今となっては敵地である美濃で、このような言動は慎むべきではあるが、この老人(と言ってもいい風貌の男)の前では、そうしても良いように思えた。


「それはそれは……道理で、似ておられる」


「もしかして……父にですか?」


 道三は癖のある容貌であったため、帰蝶としては似ていると言われると複雑である。


「いえ」


 西国訛りの老人は、目が似ておられると丁寧に補足した。

 老人は若い頃、道三すなわち新九郎と共にくつわをならべて戦ったことがあり、その戦いのあと、「共に天下を」と誓い合ったという。


「そんなことが……」


「まあ、若気の至りです。ですが、それだけの夢があった。燃えるものがあった……これから自分たちが、のちの世の語り草となるだけの男になってやるという……何と言いましたかな、たしかそういう小唄が」


 そこで帰蝶は唄う。


 ――死のふは一定いちじょう しのび草には何をしよぞ 一定かたりをこすのよ


「いい唄だ……」


 老人は目を閉じて、耳に染み入るその唄の響きを味わっているような雰囲気だった。

 そしてその目尻には、かすかに涙が浮かんでいた。


「いや……懐かしい、実に懐かしい。いい唄です。よくぞ唄ってくれました」


「父が好きで、よく口ずさんでおりましたので、つい覚えちゃいました」


「そうですか、そうですか」


 老人はにこにこと笑う。

 帰蝶は、どちら様ですかと聞きたかったが、そこを老人に「最近はどうですか」と先に聞かれてしまった。

 名のある武士であろう老人に――おそらくは西国の武士であろう老人なら、今のこの濃尾の状況を言ってもかまうまいと、そして亡き父の戦友なら聞いてもらいたいと、帰蝶は思った。



「――ほど


 老人は帰蝶の話を最後まで聞いてくれた。

 気づくと、夕暮れ時は終わりつつあり、梟の声が聞こえ、中空に星が見え始めていた――特に三ツ星が輝いていた。


「なかなかきつい状況かとは思います――その中を、よくぞそこまで諦めず、策を打たれました」


「いえ……父のふるい知り合いが――母が会いに行ってくれたそうですが――その知り合いが、先ほどの唄を思い出させてくれて、わたしも信長さまも、それならば『やってみよう』と思い……」


「そうですか――」


 そこで老人は少し考えるような仕草をした。何か、気になるところがあるように見えた。


「何か……」


「いえ……その今川義元の『双頭の蛇』ですか、ひとつの『頭』である美濃は今、策を施した……そしてもうひとつの『頭』は、これはを何度も何度もしかけていく……悪くないと思います。思いますが……」


 そこで老人は口をつぐんだ。

 意味ありげに視線をくれる。

 わかっているのでしょう、と言いたげな視線だった。

 帰蝶はうなずいた。


「そうです。蛇の胴体である海路……これについては、わたしも信長さまも、無策です」


 鉄砲の脅威を持ち出して、雨の日に攻めてくるだろうという予測、否、予想であり期待を口にして、家臣たちはけむに巻いたが、それは逆に言えば雨が降らなければ終わりであり、雨をものともせずに来たら手をつかねるしかない。


「いや」


 うなだれる帰蝶に、老人は微笑んだ。


「……その、


 老人は道三塚を見た。


「お父上なら、そう言うかと思いまして」


「…………」


 この老人が言うと、そうかと思える。

 帰蝶には何故か、そう思えた。



 木綿藤吉がまだですかと声をかけて来たので、帰蝶は老人に頭を下げて暇を告げた。

 老人は莞爾として笑い、最後まで手を振ってくれた。


「…………」


 老人は振り返り、また道三塚を見た。


「長生きはするものですな、新九郎どの……どうやらの恩を返す時が来たようです」


 老人の頭をぎるのは、老人の初陣である。

 突然の兄の死。

 わずか二才の兄の子が当主に。

 後見と称して、兄の妻の実家が老人の家を牛耳る。

 そうこうする間にも、「項羽」を称する、国主気取りの武将が、五倍もの兵力で攻めかかってくる。


 ――手を貸してやろう。お前の為じゃない、お前の兄の為だ。


 兄の親友と称する男・長井新九郎はそううそぶいて、老人と共に戦った。

 知恵と力、そしてのちに老人の妻となる姫武者たちの――仲間たちの奮闘。

 それらが合わさり、老人は勝利した。

 その戦いの名を、有田・中井手の戦いといい、当時、老人の名乗りは多治比といった。


「父上」


「元春か」


 いつの間にか老人の前に、一人の男がかしづいていた。

 元春と呼ばれたその男は、そろそろ帰りましょうと老人に告げた。


「いや――」


 老人は当初、友人たる斎藤道三の墓参を終えたら、帰るつもりでいた。

 だが、今はちがった。


「……それでいいだろう、妙玖みょうきゅう


 元春が「母上がいかがなさいましたか」と聞いてきた。

 何でもないと答えると、実は……と懐中から書状を出した。


「隆景からふみが……何でも、『隆元の兄上が、亡き母上が夢枕に立ったと言って、小早川にを命じられた』ようです」


「……そうか」


 老人は元春の肩をぽんぽんと叩き、「行くか」と言った。


「お待ちくだされ、父上。父上を抜きにして、このような勝手な真似……」


「勝手ではない」


 老人の顔が一瞬、無表情になった。

 それは表情が無くも、恐るべき迫力をたたえていた。


「ならば改めて言おう。このの名において、それを許す……これで良いか」


「……そこまで言われては、否やはございません」


「そうか」


 そして元就はまた好々爺の表情に戻り、の肩を抱いて立たせた。


「行こう」


「ええ」


 いつしか道三塚に夜が来て……その夜天に、三ツ星が輝いていた。

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