第53話

「本当に愚かね」


「全く、その通りです」




 声が聞こえる。


 一人はマイによく似ているけれど、どこか違う。


 もう一人の方は、聞き馴染みのある声だった。




「あ、アイ」




 喉が張り付いていて、うまく声帯が動かない。


 身体がけだるく、頭がぼんやりして、熱を持つ。




「レ、レイ!? やっと目を覚めまして! もう、お義姉ちゃんをこんなにも不安にさせて!」




 マイの声が眉間に響く。


 僕は、その鈴のような凛として声に引き上げられ、重たい瞼を開けた。




「ね、姉さん」




 そこには、見知らぬ天井、なんて見えない程に僕のことを心配そうに覗き込む、瞳一杯に涙を抱えたマイの、しわくちゃな美顔があった。




「せっかくの美人が台無しじゃないか、姉さん」


「うるさい、心配ばかりかけて。このバカ義弟」




 温かい涙が僕の頬を濡らす。


 マイの優しい、金平糖のような香りが僕の心を包んでいく。




「姉さんって、そんな顔もするんだね」


「何よ、おねえちゃんを泣かすのがそんなにうれしいわけ?」




 僕はマイの細い膝の上で、そっとおでこを揺らす。




「うん、嬉しい。僕は姉さんにまた会えて、本当にうれしい」




 いつの間にか、僕はプールの中にいるみたいに、目の前の光がゆらめいていた。




「レイだって、泣いてるじゃない」




 マイの髪は、少し見ない内に、荒々しく切られ、短くなっていたけれど、その夏の空のような群青の髪色と、太陽のような拍動の音が、触れられなかった家族の時間を熱く、融かしていった。




「もう離れないから」




 僕は、黒いすすが付いたマイの頬を、ギュッと抱き寄せた。




「ええ、そうね。そうよ、私も。ずっとずっと、こうしていましょう」




 最愛の家族との抱擁で、疲れが一気に解けて消えていく。


 こうやって、マイと抱き合うのはいつぶりだろうか。


 僕が死んで、世界が消えて、異世界に移って。


 それから、それから、たくさんの出会いと別れがあって。


 たくさんの痛いおもいでがあって。




「いいのよ、レイはそのままで。いいの、人は痛くても、いつか立ち上がれればそれで。だからこそ、今はこのままで、そのままに、ふたりで一緒に居ましょう」




 マイの手が僕の右手をくるむ。


 僕らの温度が溶けて、一つになっていく。


 そういうマイの左手は、まるで別れを惜しむ仔犬のように、ブルブルと震えていた。




「いつかレイが大人になるまで、レイのそばに居させて。どんな場所でもいいから」




 マイの心臓が動いているのが分かる。


 二人の距離が無くなって、一つのカタチになっていく。


 音がやっと重なる。


 僕らは、今度こそ、僕らの時間を取り戻したのだった。

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