第21話

「レイさん、戻って!」


 アイに背中を叩かれる。

 僕は幽体離脱から身体に引き戻されたかのように、正気に戻る。

 そして、僕は再び、発狂した。


「無理だ無理だムリだムリだむりだむりだ」


 アイが落ち着いて、としきりに僕の背中を撫でる。


「そんなこと言ったって!」


 なぜ、アイが冷静をたもてるかが理解できなかった。


「この汚い音が聞こえないのか!」


 目の前のネクタイを外しただけのただの少女。

 その黒いセミロングの、彼女の胸の中で、おぞましい轟音が鳴っていた。


「八枚」


 人間の形をたもったままの彼女もまた、変わり者。

 心臓のような、激しい機械音のような音が、身体の中で八つ、沸騰している。


「ワタシの心音が不潔だなんて。アナタ、ひどいことを言うのね」


 目の前の変わり者の女が退屈そうに、髪の毛先をいじる。


「ねぇ、あなたのこと、ワタシ、ずっとずっと見てたのよ」


 やめてくれ。

 僕は心の中で懇願した。

 この災厄が何もかも、なかったかのように、僕らと出会ったことも、何も見なかったかのように引き返してくれることを、僕は切に願った。


「ねぇねぇ、わたし、すごい気になったことがあるの」


 もう何も、彼女の声も、おそろしく迫る変わり者の轟音も、恐怖も、聞きたくなかった。


アイ、逃げ――」


 僕が言葉を発しようとしたとき、黒髪の彼女が、ザッと、視界から消える。

 地面にしゃがみ込み、両腕で自分の身体を抱きしめる。

 そして、僕らを舐めるように、見上げた。


「いじめないで。避けないで」


 黒い前髪の下から雫がこぼれる。


「ワタシを仲間はずれにしないで。一人にしないで」


 両眼を見開いたまま、泣いている。


「神様、お願いだから」


 彼女の目の奥は暗く、光なく、まるで、冥界に繋がっているようだった。


「《ノックノックノック――――》 私を助けて、妖精さんたち」


 そう言って、彼女は地面を叩いた。


『ザッザッザッザザザザザザザザ』


 黒い点が地中から途端に沸き上がる。


『ジジジジジジジジジジジジジジ』


 それは、虫と微生物の集団。

 無数のウジャウジャとした小さな生き物がせり上がり、ひとりでに、人の形を成していく。


『ズズズズズズズズズズズズズズ』


 僕らの前に、黒い影が立ち並ぶ。

 ゾンビだった。


『ゼゼゼゼゼゼゼゼ』


 おぼろな人影の集団が、僕とアイを見ている。


「くっ」


 空気が重かった。


「ねえ、質問。あなたの力って、思考が一切存在しない、ただのモノにも有効なの?」


 彼女が無気力に小石を投げる。

 それが合図だった。

 大量の、黒い蠢く怪人たちが、僕をめがけて走り出す。


「――――っ」


 ただの悪夢なら、どれほどよかったか。

 真っ暗な人混みが、僕らの視界を黒くする。


『ゾゾゾゾゾゾゾゾゾォォ』


 トラウマ。

 そんな言葉では語りつくせないような、悲惨な状況に、僕は、両足をべたりと地面に付けて、奥歯をすり潰す他になかった。


「………キモすぎ」


 アイがその光景に苦言を漏らすのだった。

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