砂糖と香辛料、それから誰かの救急箱

第22話

 戦わなければいけないのは、分かっていた。

 それでも、恐怖で足がすくむ。


『ゾゾゾゾゾゾゾゾゾォォ』


 暗闇を纏った怪人の群れが、唸り声を上げていた。

 僕らに向かって無秩序に、突き進んでくる。


「しりぞくわけには、いかない。前の森にはゾンビの群れ。背後は、家と山脈地帯。その上僕らの後ろには、意識を失ったマイとクラックがいる」


 逃げ場がなかった。

 八十メートル先。

 小さな点のように見えた人影が、みるみるうちに列をなし、大きくなっていく。


「はぁ、はあ」


 息が上がる。

 僕は先の巨大な変わり者との戦闘で、すでに満身創痍だった。

 Iアイに身体を支えてもらわなければ、地面に立つこともおぼつかない。夕日にあおられて地面に膝をついてしまいそうになる。


 それでも——。


「戦うしかない」

「レイさん……」


 細かく重なる小虫たちに鼓膜を犯され、精神が壊れそうになる。

嫌な羽音に神経を苛つかされる。


『ダダダダダダダダァァアア』


 影が一斉に動き、バケモノの波となって、視界を暗く閉ざしていく。

 邪悪な雪崩となって、押し寄せて来る。


「やるしかないんだ。じゃなきゃ、僕らは」


 意識がないものに僕の対価のうりょくは通じない。

 だからと言って、手をこまねけば、僕もアイもマイもクラックもやられてしまう。


「虫だって生きてるんだろう。じゃあ、僕の対価は効くはずだろ!」


 骨の髄までも、ゾンビたちに、喰われ、無くなってしまうかもしれないのだ。


「頼むから、帰ってくれよ」

「え、何? 妖精たちの素敵な羽音で聞こえなーい」


 一か八か僕は左手を上げ、大きく横に振り下ろす。

 僕が唯一持つ攻撃手段。

 必殺の一撃に、願いをかける。


「僕はお前達を――《拒絶》する」

『ヂヂヂヂヂヂヂヂィィイイイイ』


 変わらぬ、群れの叫び声。


「ふふっ、やっぱり、意識がないものには効かないんじゃない」


 僕の攻撃は無駄撃ちに終わった。

 対価が効かなければ、武器もない。


「どうする。どうすれば」


 逃走を考えど、前の道は敵に塞がれている。


「後ろに逃げるか?」

『ヅヅヅヅヅヅヅヅゥゥウウウウ』

「どちらにせよ、マイとクラックを連れて行かないと。じゃあ、アイにマイを。だめだ、それだとクラックを守れない」

『デデデデデデデデェェエエエエ』

「思考が破裂しそうだ! 敵を穿つためのピースが、まるで揃っていない!」


 生存の糸口が見えぬまま、選択の期限が迫る。

 敵が近づく。


『ドドドドドドドドォォオオオオ』

「ああ、もう! 考えがまとまらない!」

「レイさん!」


 不意にゾンビたちの腕が鋭く伸びた。

 複数の黒い線が僕の左側を唐突に通り過ぎる。


「――――っ!」

「なんてことを!」


 気づいたときには、肩から先の感覚が無くなっていた。

 コンマ数秒後。燃えるような痛みが僕を襲う。


「゛う、腕がぁああ――」


 対価の発動のために振り下ろした片手が、無意味な回転を持って、虚空を舞っている。


「僕の左手が、切断されている!」


 肩から先が無くなっていた。


「ぐぁぁぁぁあああああああああああああ」


 鈍痛が左肩から全身に巡る。


「痛い痛いいたいいたいいたいいたい」

「レイさん、落ち着いて!」


 血。

 見たこともない大量の血液が、僕の身体から、ポンプのように吹き荒れる。


「がぁぁああああああああ!」


 痛みで上半身が勝手にねじれた。

 赤い噴水が地面を濡らし、赤い曲線を地面に描く。


『ジュジュジュジュ』


それに引っ張られように、ゾンビたちは僕の血しぶきの跡へ、不気味にも群がった。


「あらあら、妖精さんたち。お菓子が貰えてご機嫌みたいね」


 赤い土にゾンビたちがへばりつく。

 ゾンビの集団は、じゅりじゅりと、不快な音を奏で、僕の血痕を舐めまわしていた。

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