第36話

「歌でもうたってみますか?」

「そうね。こうもしんとしていると女神としての性が讃美歌でも、と訴えかけてくるのよね」

「おれはぁ、なんか疲れたし、外で煙草吸ってくるわぁ」

「え、ラスボス戦の前なんじゃ……」

「何度言ったら分かるの! クラック、タバコはもう止めてって言ってるじゃない!」


「私、前々から思ってたんですけど、お二人さん、何だか夫婦みたいですねぇー」


「「は?」」


「あ、すいません……」

「あのー、みんなのん気すぎない? 仮にも敵の本拠地、終末帝の懐に忍び込んでるわけで」

「あぁ、ただただだだっ広くて、暇だぜぇ」

「歌うのなんて何百年ぶりかしら」

「ナナって、女神は女神でも、どちらかというと庶民的というか。ほら、商店街のマスコットみたいな」

「選曲は犬のおまわりさんにしましょうか」

「ゴスペルって言ってるでしょ!」


「あー、分かりました。僕だけまじめに周囲を散策して来ますので、みなさんは各自自由休憩ということで」


「椅子がぁ、ほしいなぁ」

「何よ! 自分がいつまでたってもキッズだからって、人のこと馬鹿にしてんじゃないわよ」

「はー、でましたでました。これだから、判断基準が見た目しかない人は。はー、やだやだ、女神にも更年期障害ってあるんですかねー、やだわー」


「もう! 僕は僕で勝手にやってるから!」


 僕はいつものようにじゃれつく二人の女神と無気力なハードボイルドをその場において、色彩の中へ足を踏み入れる。


「このガラス、何の絵なんだろう」


 広間を支える柱と柱の間から、絵画のように並べられたステンドガラス。

 それら一枚いちまいに、顔の無い女性とくるぶしを埋める花々が描かれていた。


「不気味だ。綺麗なはずなのに、息がつまる」


 もう少し近付いてみれば、この悪寒の理由が分かるかもしれない。

 僕はそう思い、丸い柱の間をくぐる。

 どんより暗い室内も、窓に近づく程に視界が照らされ明るくなる。


「何で柱の上のランプがついてないんだろう。やっぱり、今は留守なのか」


 ウロコはこの広間を示していた。

 装飾を見ても、大きく抜けた室内を見る限り、どう考えてもここが王の間。

 敵が集う場所だと思う。


「やっぱり、僕らの声しか聞こえないんだよなぁ」


 まるで敵の気配がしない。

 そのせいもあってか、僕は僕でのん気に、まるで西洋の歴史ある建築を観光しているような気分になっていたのだと思う。

 異国情緒に包まれた気分になっていたのだと思う。

 だけれど、徐々にカラフルなステンドガラスへと近づくにつれて、自分達が今、どこで何をしているのかを思い知ることになる。


「何だ? 壁際に何かが並んでる?」


 黒いゴミ袋だった。

 封の空いた丸く膨らんだゴミ袋が大きな窓の下に、ぎっちりと並べられている。


「どうして、こんな神聖な場に? そもそもボスの部屋にゴミを捨てるか?」


 中身が見えず、漆みたいに光っていて、よけいに気味が悪かった。

 まるで怪物の住まう壺が壁一面に列を成しているようで。

 目に見えない化け物が、この場にすでに放たれているようで、おのずと鳥肌が立つ。


「しかも、このステンドガラスの女の人たち。もしかして、動いてる?」


 悪い予感はピークに達する。

 波のように重なり、僕らの命運を飲み込もうとしているのか。


「――――フフフフ、悪い人たちね」


 喉の奥から、苦い液体が駆け上がってくるのが分かった。


「あ゛ぁ゛? 何だてめぇ」


 クラックの声に身が跳ねる。


「何って、ここ、ワタシ達の職場なんですけどぉ」


 治ったはずの左腕に強烈な痛みが走る。


「てめぇ、どこかで……」


 僕らは知っていた。

 その声を、与えられた痛みを。


「アハハハ、アナタはワタシに投げ飛ばされて、意識も飛んで、前後の記憶すら無くなっちゃったのかしら」


 彼女に蹂躙された記憶が脳から吹き出した。


「思い出した。お前だったのか。フカフカの木のベッドに俺を寝かし付けてくれたのはよぉ」


 僕は息を殺して、肩を傾ける。

 彼女に気付かれぬよう、音をたてぬよう、重々しく首を回す。


「今度は石のベッドで眠ってみる?」

「火傷じゃすまねぇぞ、大人をなめすぎてると」


 赤いカーペットの上。

 続く金の刺繍に挟まれた二人が互いを睨む。


「銃で子供を脅すのが、大人のやり方?」


 四つん這いのゾンビの上に、黒いメイド服を着た彼女が座っていた。


「平等に扱う主義なんでね、俺は、女だろうが子供だろうが」


 クラックは黒いブリムを付けた少女の眉間に銃口を突き付けていた。


「とんだクソ野郎ね」


 少女がパチンっと指を鳴らす。

 それを合図だった。

 天井から、地面の隙間から、黒い点が噴き上がる。


「すでに敵は配置済みだった、ってことか」


 不快な鼓膜を犯す音が湧く。

 僕は封の開いたゴミ袋を見た。

 壁に並んだ袋からも、絶えず微小生物が溢れてくる。


『ジャジャジャジャジャジャジャ』


 見覚えのある景色。

 ゾンビの群れが、黒い津波となる。

 少女とクラックを取り囲んでいく。


「ワタシ、ここではメイド長って呼ばれてる。格好良いでしょう」


 足元を駆け抜けて行く虫達を、僕はステンドガラスの狭間に貼り付き、呆然と見送った。


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