第7話


 ドアをあけると、そこは、異世界だった。


 と、まではいかず、ただ背の高い木が並んでいた。


「これが異世界転生?」


 テラスをおりると、少し開けた土地になっていた。


「ここで、野菜を育てるといいかも」


 家のすぐ前には、石で囲まれた井戸もある。


「いたれりつくせりだ」


 生活水準の劇的な向上。

 ここには、僕らを封じるものは何もない。

 Ⅰと一緒に農耕を楽しむスローライフもいいかもしれない。


「ダメだダメだ。僕はマイを元に戻して、生まれた世界に帰るんだから」


 僕は前進する。

 空が異様に青く、航空機でも飛び去ったのか、細い雲が、うすく千切れて、曖昧になっている。

 僕は吸い込まれるようにして、大木が立ち並ぶ針葉樹林の群れへと潜り込んだ。


「もう空が見えない。気をつけないとすぐ迷子になるかも」


 森の中は暗く、しっとり冷たい。

 前に進めど、景色が変わらない。

 僕は注意深く周囲の音を耳に集める。


「山をくだると湖があるはず。ということは、海鳥の声がきっとするはず」


 森の中には、豊かな生態系が、根付いている。

 木々の上でさえずる小鳥の声。とことこと枝を渡るリス。

 地から伸びる草の中では、チリチリと虫たちが羽を震わす。


「よし、こっちだ」


 ここから少し進んだ場所からさざ波と鳥たちの気持ちよさそうな歌が聞こえた。


「帰るときは、山の方、虫たちの声がしない場所を目指そう。どこか、開けた場所にでれば、煙突からのケムリで、おおよその位置は分かるはず」


 僕は山をくだる。

 木々を集めるのもあるけれど、今はとにかく水上都市が見たかった。

 大木の根につまづかないように気を付けながらも、足を速める。

 すると、少し進んだ先で、太い並木の間から白い光が見えた。


「近い」


 僕は嬉しくなって、山をかけおりる。

 坂を下れば下るほど、漏れる光も大きくなる。

 風が強く吹く。水辺の匂いがする。

 僕は必死に、大自然を駆け抜けた。


「出た!」


 森を抜けると、そこには、青い湖が広がっていた。


「壮観だ」


 丸い湖の上にビルが建っている。

 一番高いビルを中心にして、まるでピラミッドのように、円状に 、建物が並んでいる。


「灰色の円錐都市だ」


 そのギュウギュウに詰まった雑居ビルの集合都市は、青い湖の中心に、ぽっかり浮かんでいた。


「なんだか、不思議な感覚だ。どこか、なつかしい。初めて見るのに」


 僕は自分が出てきた森から離れて、湖岸を沿って走る、白い柵に駆け寄った。

 辺りは、キレイに舗装されており、ところどころに釣り人の影が見える。


「湖の底まで、砂の一粒一粒までくっきり分かる。あんなに都市が栄えて いるのに、少しも水が濁っていないんだ」


 透明な水の中で、小さな魚たちが追いかけっ子をしている。


「都市と自然が共存している」


 ビル群から流れ出る工場用水や生活用水が完璧に処理され放流されているのだろう。

 異世界の文明力の高さを感じた。

 もう一度、周囲を見渡す。


「想像以上に壮大だ」


 くすんだ巨大都市を中心として、淡く空を映した湖、青々とした緑の森、そして、白くかすみがかった山々が同心円状に広がっている。

 僕とアイと姉さんの家は、円のほぼ端。森と高い山々の間に位置しているようだ。


「かっこいい」


 青い湖の上に、真っ赤な飛行機までもが一台、ゆらりと浮かんでいた。

 羽や鼻先までもが、薄く、するどくとがっている。

 完全に近未来都市。

 僕の初めての異世界だった。


「マイにも見せてあげたいな」


 僕はこの風景を記録できる何かがないか、ポケットを探る。

 だけれど、携帯電話なんて入ってもなく、あるのは、バイト先の先輩にもらった、現世で作られたタバコ一本だけだった。


「これじゃあ何もできないや」


 白いタバコを一本、目の前で横にして都市を上に載せてみる。


「ついでに、赤い戦闘機も」


 僕はタバコを湖にかざしたまま、首を横に振った。

 赤い戦闘機とタバコがぴったり重なる。


「えらく珍しいタバコを持ってるんだなあ」

「うわっ」


 耳元で男の人の声がした。


「おっとっと。そんなに驚くことは、ねぇだろ。バケモノに会った訳でもあるめぇし」


 勢いあまって倒れそうになる僕の手を男がとる。

 僕は右手に先輩からもらったタバコをつかみ、左手で、細身の知らない男の荒々しい手で引き上げられる。


「あ、ありがとうございます」


 僕は一応お礼を言う。


「なあ、そのたばこ、俺にくれねぇか」


 男が僕の両眼をのぞき込む。

 鼻先が触れ合うほど近くに。


「俺、女神の野郎に全部、箱を取り上げられちまったんだ。不便に思うだろ、なあ」


 その男の目は左右で色がわずかに異なっていた。


「たのむ。一生のお願いだ」


 そう言う男の口臭は、やけに、タバコの臭いがした。

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