第6話

 鳥のさえずる音がした。


「あれ、おかしいなあ」


 瞼をあける。

 バスか人の声で起こされなかったのは何年ぶりだろう。

 おかげで、いつもよりも深く、眠れた気がする。


「あ、目が覚めましたか。レイさん、朝ご飯を食べますか? もうお昼ですけど」


 アイの声が聞こえる。

 僕が家で寝過ごしている間に、朝食の準備をしてくれたらしい。


「もう、心配したんですからね。こっちの世界に来た途端、スイッチが切れたみたいに、寝てしまうのですから。死んじゃってたらどうしよって、さすがの女神も大慌てでしたよ」


 エプロン姿のⅠが、ぷりぷりと怒りながらも、コップに入った透明の水を、僕の元へと運んでくれる。


「ここは異世界、なんだよね?」

「ええ、私達の新たな家です」


 アイは後ろでくくったエプロンの紐を両手でシュルシュルとほどいていく。

 ラフな白いシャツとジーパン姿になったⅠは、食器が並んだ木のダイニングテーブルに腰を落ち着けた。


「さあ、レイさんも一緒にご飯を食べましょう。出来立てのうちに。さあ、どうぞ」


 僕はアイにせかされるまま、四人掛けのテーブルの一席についた。

 大きさの違うお皿たちがずらりと並んでいる。


「おいしい。こんなフワフワなオムレツ、久しぶりだ」

「でしょでしょう。このカボチャのスープなんかも、コクをだすのに苦労したんですよ」

「本当だ」

「バターロールだって、生地から作ったんですよ」

「うん、全部。おいしい。温かくて、とっても、おいしい」


 アイが作ってくれた、ブランチは、卵があまくて、パンがしっとりしていて、スープがまろやかで。


「フフフ、そんなに急がなくても、ゆっくり食べてください。もう何も、レイさんをせかすものは無いんですから」


 僕は涙が止まらなかった。


「誰かに作ってもらったご飯がこんなに美味しいだなんて」

「レイさんは極限だったんですよ。極度の貧困と姉の世話。学校と生活の両立。本来誰かがあなたたちにもっと優しくすべきだった。手をさし伸べるべきだった」


 なので、女神が甘やかしちゃいます! と最後はおどけるアイに、僕はどこかほっとした。


「そうだ、姉さんは、どうだった?」

「原因はまだ不明ですね。なぜ、花になったのか。自然現象なのか、それとも、誰かによる愚かな凶行なのか」

「分からないことだらけ」

「ええ、とりあえず、二階の日が当たらない部屋をマイさんの寝室として用意しました。室温を十度ぐらいに保って、できるだけ、長く咲いてられるように」


 タイムリミットは一か月程度かと。Ⅰは言いにくそうに、でも、はっきりと残された時間を示す。


「ありがとう」


 僕は感謝を述べることしかできない。今の無力な僕のままでは、Ⅰにも、姉のマイにも何もかえせない。

 焦りばかりがつのる。


「なので、私の作ったご飯を食べ終わったら、レイさんにはおつかいに出てもらいます」

「僕にできることなら何でもするよ」


 とにかく動きたかった。誰かの役に立ちたかった。


「では、まず、私が用意した、この立派な二階建てログハウスの周りに何があるか、調査をお願いします」


 アイいわく、異世界の水に体を慣らせということらしい。

 広いリビング、四人掛けのダイニングテーブルに、オーブン付きのキッチン、まきストーブまである。このセーフハウスは、すでに僕にとっては別世界だ。おまけに、二階は各個人の寝室になっているのだとか。


 だけれど、本当の異世界は、ドアの外に広がっている。

 まだ、僕は自分の庭から出ていない。

 何も殻を破れていない。


「一応、レイさんたちのいる世界と近しい場所にはしておきました。最初ということで、井戸付きの家にも。土壌は肥沃で、植物が育ちやすく、かわいい動物も、外にはたくさんいるはずです」


 耳をすませば、鳥のうたが聞こえる。

 窓から見える景色は、豊かな緑だ。


「山を少しおりると湖があるはずです。その上に、巨大な都市が栄えて いるはず」

「水上都市ってこと?」


 僕の言葉にIアイは頷く。


「そこに私の知り合いがいる気が、何となくするので、後で一緒に行ってみましょう」


 僕の仕事は、家の周りを見てくること。

 食べられそうな木の実や勝手のよさそうな木の枝を拾ってくること。

 できることなら、山を下りて、水上都市がどこにあるかを確認することだった。


「わかったよ、Ⅰ。湖を目指して、山を降りてみる」

「お願いしますね。私は、もうちょっと、家の掃除をして、マイさんの水を取り替えてきます」


 あとは、そうですねぇ、と言って、アイは何かを思い出したように立ち上がる。

 そして、おもむろに僕の後ろに回って、


「私の加護があらんことを」


 そう言って、彼女は僕の頬に優しくキスをするのだった。


「さぁ、ご飯を食べたら、お皿を洗って、外の世界に飛び出してください」


 自分より一回り小さい彼女に、僕は姉のかすかな面影を感じる。

 それと同時に、えらく家庭的な女神だと、僕はひどく、感心した。

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