第8話
「かぁ~~、こりゃ生き返るなぁ」
「そんなに美味しいですか、タバコは」
「こいつは、すげぇ上物だよ」
男は湖の畔で、さも旨そうに煙を吹かす。
「俺の身体の半分は、酒と女と煙草でできてるからな」
要素多っ。
いや、人体の構成要素の話をしているのだから少ない方なのか?
「じゃあ、もう半分は?」
僕は隣の男がロクな大人ではないと分かりつつも、話を広げてしまう。
「もう半分か、そりゃ――」
その自分よりも、一回りも二回りの大きい大人の男に、僕は妙なあじを感じてしまう。
「――血と油だよ」
男はタバコの燃えた先で、赤い飛行機をつついた。
「え、あの戦闘機、あなたのなんですか?」
「格好いいだろ?」
「すげぇ人なんだ」
僕は隣のヘビースモーカーを大いに見直した。
「俺の名前は、ファティーグ・クロック。クラックって呼んでくれ」
お前は? とクラックが言う。
「僕は令条レイ。条令をひっくり返して、0に戻すのレイです」
「やけに不健康な名前だな」
「お互い様でしょう?」
「違げぇねぇ」
クラックは長い指でタバコを挟み、息を吐く。
その所作があまりに自然で、視線を奪われてしまう。
「レイ、お前、ここらじゃ見ねぇ顔だけど、一体どっから来た」
唐突の鋭い質問。
僕は心臓がギクリとする。
まさか異世界から来ただなんて言えない。
「いや、言葉にしたくねぇならいいんだ。どこから来ようとも、お前がお前であることは変わらねぇから」
クラックの瞳は水上都市をまっすぐ見ているようで、どこか遠くを眺めているようだった。
「森の奥。ここから少し登ったところの開けた場所から降りてきました」
「あれ、あそこには、森と山しかねぇはずだが」
「昨日、引っ越して来たばかりで」
何とか話を誤魔化す。
おそらく、只者ではないクラックに怪しまれることは避けたい。
「まぁ、いいさ。あいつの調子が戻ったら、今度はこっちから手土産片手に見に行くさ」
「あの戦闘機、壊れているんですか」
「ああ、年代物だからな。今日は特に機嫌が悪い。都市から飛び立った途端に大コケだ」
クラックのたばこの灰が長くなる。
その灰を大事そうに育てるクラックの足元は、びっちゃり濡れている。
「俺はあの迷路みたいに複雑な街で、雑貨店の下働きをしてる、ようは何でも屋だ」
クラックはタバコを咥えたまま、ジャケットの内ポケットをマサマサと探った。
「ほいっ、何か困ったらここを訪ねろ。俺はあんまりいねぇけど、顔だけはいい女神みてぇな女が相談にのってくれるはずだ」
クラックから受け取って名刺は水を吸って、フニャフニャに曲がっている。
僕は目を細めて、オモテ面の店名を読む。
「夢とお金と煙草が揃うならず者専門店、《生活雑貨・日用品 ラッキーセブン》女神のご加護が有らん事を。って、何じゃこりゃ」
「センスがねぇだろ」
「ごちゃちごちゃで、何だかとっても怪しいです」
「だろ」
クラックはにやりと笑う。
どこかその表情は、満足げで嬉しそうだ。
「ていうか、女神って」
そうだ、Ⅰが自分の知り合いが、この水上都市にいるかもって言ってたな。
十中八九、Ⅰが知り合いの女神だろう。
「あー。それは、おっと、すまん。電話だ」
クラックが二つ折りの携帯をとる。
画面をあけた瞬間、音の割れた怒号が聞こえた。
「すまねぇ、レイ。どうやら長話をしすぎたらしい」
クラックが電話口に向かって、ペコペコ謝っている。
のっぴきならない状態らしい。
「じゃあ、クラックさん。僕は一旦、森でよく燃えそうな枝と木の実を探してから、帰ります」
「おお、そうか。随分と健康的だなぁ。じゃあ、何か縁があれば、また」
そう言ってクラックは、目の前の柵を飛び越えて、湖面に立ち、水飛沫を上げた。
「この煙草の恩は必ずどこかで返す。気をつけろよ」
「クラックさんも、お気をつけて」
ひょろりとした細身で長身の、大人な香りをプンプンに纏わせたクラックは、器用にタバコを咥えながら、ケータイ片手に何か文句を言いつつも、飛行機の元へ泳いでいく。
「あれが大人かぁ」
僕は青い湖にぽっかり浮かんだ赤い重厚な乗り物にロマンスを感じた。
「僕も帰ろう」
湖を背にして、森に僕も戻る。
すっかり日が傾いて、緑の木々を太陽が赤く照らした。
「気候、植生、自然。それから自転と天体の関係は、僕がいた世界とだいたい同じ、と」
森の中をくぐりながら、耳を澄まして、自然の音を聞く。
後から、飛行機が飛び立つ音。
もっと奥からは、人々の、今日も一日頑張ったという、お互いを称え合う誇らしげな喧噪が聞こえる。
森の前方に意識を巡らせれば、誰かが包丁で何かを切る、小気味よい音が聞こえた。
「夕食まで悪いなぁ」
明日は僕がご飯を作ろう。洗い物も僕が担当しよう。
そう思いながら、僕は森をズンズン登っていく。
行きの時に、騒いでいた虫たちは、これからお休みのようで、やけに静かな森林が僕を包んだ。
「あれ、おかしいなぁ」
開けた場所には出た。
だけれど、森はまだ続いている。
「間違えたかなぁ」
森の真ん中にぽっかり空いた夕暮れの空を眺める。
「たぶんアレだな」
僕の進もうとした先から煙が上がっている。
「アレを狼煙にして進もう」
鼻をクンクンさせてみると、美味しそうなお肉とスパイスの香りがした。
「やけに枝も落ちてるし。まぁ、丁度いいか」
台風の後の道みたいに、千切れた木々の枝や葉っぱが落ちている。
不自然だった。
「お花をご存知でしょうか。この世のものとは、思えない程の綺麗な薔薇を」
背後から声がした。
「えっ」
気が付かなかった。
この僕が。耳の良さには自信があったのに。
こんなに近づくまで、一切察知できなかった。
「あのぉ、もしご存知であれば、弊社のこの石と交換して頂けないでしょうか?」
黒いスーツ姿の小さな男がそろそろと近づいてくる。
「あのぉお。花を売っていただきたいんです、乙女のような花を――」
男から音がしない。
生きているものなら、当然聞こえるはずの心音が、生物としての代謝の音が、命の燃える音が、全くしない。
「――というかぁ、麗人から咲いている花が欲しいんですぅ」
「こいつッ!」
姉のことを知っている。
マイが花に変わったことを。
僕の義姉が、絶世の美女であることを。この小さな営業マンは知っているのだ。
「お前は何なんだ。どうして僕の姉さんのことを知っている」
「あれれ。やっぱりご存じなんですで。では、手続きを。佳人のオールドローズと弊社が誠意を込めて作りましたこの石っころを、一対一の物々交換ということでぇ」
「そんなことできるわけないだろ! 人の家族をそんな変な石で買い付けるなんて、お前は一体何なんだ!」
僕は激情のまま、すり寄る男の手から、石を払い除ける。
「あぁーーーー」
小柄なサラリーマンは奇妙な叫び声を上げて、転がった石を追いかけた。
「お前が姉さんを花に変えたのか」
「弊社の大事な商品がぁ」
「おい。答えろ。どうして、お前からは音がしない。足音がしない」
「お客さまぁ、困りますぅ。私に言われましてもぉ」
僕は男のスーツの襟首を掴み、後ろへ放り投げる。
「ひょぇぇええええ」
男はくるくると回って、地面にポトリと尻餅をつく。
「お前、どうして―――」
大地に腰を付け、石がぁ、弊社の大切な商品がぁ、とパタパタと両手両足を動かす。
「――――重さが無いんだ」
「私に言われましてもぉ、本社に問い合わせませんとぉ」
「自分のことだろ!」
煮え切らない。目の前のスーツ姿の小男と会話が成立しない。
まるで、暖簾に腕押し。
この男には、言葉にも、身体にも、存在そのものに、質量がない。
意思がない。
ふわふわとしていて、実態が捉えきれない。
「弊社としましてはぁ」
「どうして自分の文脈で物事を語れないんだ! お前、僕より年上だろぉ!」
「へ?」
その言葉がスイッチを押した。
スーツの小男は、重量感なく、天から引き揚げられた操り人形のように、両足を地につける。
「おい、ガキぃ。大人になんてぇ、口の聞き方なんだぁあ」
男の口調が変わる。
「僕はお前を許さない。姉さんをそんな石ころで買おうとした、お前の不遜に、僕は心底怒り狂っている」
「しるかぁ、ボケェ! 年下がこの俺に意見してるんじゃねぇよぉお!」
小男は自分の首元に右手を添えて、勢い良くネクタイを引っ張り出した。
強烈な風が吹く。
男を中心として、木の葉が舞う。
短い木々が僕に目がけて飛んでくる。
両手で身体を守りながら、細く目を開ける。
僕の目の前で小心者の小男がいた場所から屈強な獣が生えてくる。
「人間なんて真っ赤な血がパンパンに詰まっただけの水風船だろぉ? じゃあ、どうして俺に強く当たってくる」
のっそり立ち上がった二足の獣は、足を一歩踏み出す。
踏み込んだ地が一瞬でくぼむ。
「ただのトマトみてぇなんもんなのによぁ!」
とんでもない音がした。
生まれてこの方聞いたことの無いような、不快で禍々しい心音が、その獣からは、不協和音のように鳴り響いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます