第25話

アイが、変わり者?」


 僕は首元に冷めたい水を垂らされたような、どきんとした気分になる。

 重さが変わること。湖に立てること。それは確かに変わり者の特徴。敵の手口に他ならない。

 そんなドキリとした、嫌な悪寒に全身を支配される。


「…………」


 無言で佇むアイ

 彼女が変わり者。

 唯一の親族である姉を狙う、敵側の人間。

 そう思っただけで、己の人生を呪いたくなるほど、胸を締め付けられる。

 ダメだだめだ、アイは僕の家族だろ。仲間だろ。


「そんなわけ、無い、だろう。何を、根拠、に」

「フフフ、迷ってる、まよってる。思い当たる節があるってことよね。じゃあ、ヒントをあげる」

「なにを、勝手な、ことを……」


 僕は変わり者の少女を睨む。

 それでも、黒い少女は言葉を止めなかった。


「ひとつ! ワタシたち変わり者は、トリガーを引くまで、質量がありません。なぜなら一度、自ら命を絶とうとした人間だからです!」

「お、重い」


 予想以上に暗いバックボーンを持つ敵に、僕は心を沈められる。


「ふたつ! 変身前の私は、この世に存在していないゴースト。魂に重さは存在しない。どろろろろろ。生前の姿ってわけ」

「だから、音もなく突然現れる」


 変わり者が出現することを事前に予測することは不可能。

 なにせ、存在自体が曖昧なのだから。

 神出鬼没。

 鬼神の場所は容易には計れない。


「みっつ! ワタシたちは自分を縛る首輪を自ら外すことで理想の自分になるの」

「理想の姿が、ミノタウロスとか巨人だと?」

「そうよ。ミノのおじさんは営業職でお客さんにたらい回し。だから、誰も拒めない猪突猛進さと強靭な肉体を求めた」

「なんだよ、それ。じゃあ、街を破壊しそうとした巨人は?」

「巨人? ああ! フランケンシュタインのことね! あの人は、低身長でみんなに見下されるのがコンプレックス。他にも気に入らない自分のパーツをパッチワークみたいに継ぎ接ぎに縫い合わせていたら、いつの間にか巨大な怪物になってたんですって! 凄くない?!」

「いや、同意を求められても」

「ちなみにこのワタシは学生時代に劣悪ないじめを受けていたわ」

「劣悪、って?」

「さぁ? アナタがいま思っている非行の三倍ぐらいヒドいことって言ったら、丁度ぐらいかしら」

「………友達が欲しいって、そういうこと」

「まあ、ね。何かが変わったとは、思えないけど」


 助けが欲しかった、とは彼女は決して言わなかった。

 運命論に縛られたかのような、一種のあきらめ。

 命を絶とうとするまでに追い込まれた彼女がバケモノになってまで求めたものが、友達だなんて。

 小気味よく語られる変わり者たちの暗い過去が僕の心に影を落とす。

 だけれど、同情できるからこそ、僕は変わり者たちの行動が分からなかった。


「どうして、自分が悲しい目に合ったのに、他人に冷たくできるんだ」

「は?」


 変わり者の少女の表情が、止まる。


「あらあら、おかしなことを聞くのね?」


 黒い瞳が微かに、揺らぐ。


「やられた分はやり返すの。当たり前でしょう? 受け取った分は誰かに返さなきゃ。虐げられたままじゃ、ワタシが報われないじゃない!」

「おかしいよ。誰かの冷たさに熱を灯せるのが人間のはずなんだ」

「さあ? どっちがおかしいのかしらね」


 黒髪の少女はわざとらしく首を横に振った。


「最後のヒント。ワタシたちはバケモノです。ある者は、突進力。ある者は、破壊力。ある者は、制圧力。では、そこの白いワンピースを着たお嬢さんは何の暴力の化身なのでしょう?」


 黒い変わり者がアイを指さす。

 アイは黙って、たたずんでいた。


「………」


 いや、違う。

 アイは何かに耐えているんだ。


「………………」


 言葉には決して出さない。

 けれど、ぎゅーっと固く握られた、小さな拳に意思が表れている。

 不安の色が滲んでいる。

 よく見ると白い少女の肩が、僅かに震えていた。

 その、いつもよりも小さくなった、小柄な少女の背中が、僕の進むべき方向を最初から、示していた。


「僕の。僕たちの妹を、悪く言うな」


 思ったときには、言葉が口から飛び出していた。

 アイが僕の声にビクリと肩を上げる。

 大粒の涙を抱えた目で、僕の方へ振り返る。


「私が、バケモノに見えますか?」

「そんなこと、あるはずないだろ!」

「私が、怖いですか?」

「いいや、かわいいね。アイはかわいい。こんな小っちゃくて可愛いらしい女の子が怖いなんてことはあり得ないね」

「じゃあ、私は、レイさんの隣に居てもいい、の?」

「当たり前だろう! 僕はアイの兄さんだぞ!」


 僕の迷いを、アイとの思い出が切り裂いていく。


「レイさん……」


 アイが、僕をちらりと見つめ、ニコリと笑う。

 その笑顔だけで、僕の心は軽くなる。

 何てことだろう。僕は天界で 誓った女神のたった一つの願いすらも守れずにいるところだった。

 少女のささやかな思いすらも、踏みにじるところだった。

 本当に、この小さな女神が、僕の敵なわけがないじゃないか。

 一瞬でも、アイを疑った自分を、今度は呪いたくなる。


「安っぽ。見てるだけで欠伸が沸き立つ」



 黒セーラーが気迫で浮き上がる。


「じゃあ、彼女の異能はどう説明するわけ。アナタは彼女からウロコをもらったのでしょう。乙女の薔薇について、説明を聞いたのでしょう」


 疑惑の影がしつこく僕らに纏わり付く。

 僕とアイの絆にヒビを入れようと唆してくる。


「家族というからには、当然、何でも知っているのよね」

「僕は、お前みたいなヤツが大っ嫌いだ」


 はぁ、会話にならないわね、と少女が言う。

 それは、僕の台詞だった。


「確かに僕は、アイがどうして、こんなに強いのか。どうして、とんでもない速さで地を駆けたり、水の上を歩けるのか。巨大な変わり者の腕を片手間にはじき飛ばせるのかも。何で、花に変わったマイにIが触れて平気なのかも、全部、ぜんぶ、分からない。知らない」

「だから、それは、その娘がワタシ達同様、龍鱗を食べたから」

「そんなことはどうでもいいんだよ!」


 声が身体中に響く。

 傷口が振るえて、痛みで気が遠のく。

 だけれど、僕には言わなければいけないこと。

 伝えなければいけない言葉があった。


アイが、お前達と同じ変わり者だろうが、女神だろうが、僕には関係ない!」


 僕はうじゃうじゃと蠢くバケモノと一人対峙する少女に叫ぶ。


「どんな過去があろうと。どんな力があって、どんな特徴があろうとも。ましてや、今の姿から、牛のバケモノやつぎはぎだらけの巨人に変わってしまっても。ゾンビになってしまっても」


 そう、僕はあのとき、決めたのだ。

 星が降る白い砂の上で、三千年、一人で責務を全うし続けた彼女に寄り添うことを。

 全部を受け入れると誓ったのだから。


「今が全てだろう! 僕らを必死に守ろうとしている。女神みたいに優しい女の子の姿が、お前の目には写らないのか!」


 二度と、僕の家族を悪く言うな。

 僕はそう言ったつもりだった。

 何より、アイに、僕らの妹に、自分が自分であることに、自信を持って欲しかった。


「僕は何があっても、アイを嫌いにならないし、一人にさせない。拒絶なんてしてやるもんか。僕らはもう、家族なんだ」


 背中を押したかった。

 腐るほどいるゾンビの集団。

 世界を滅ぼしかけた、変わり者より、さらなる龍鱗の権能を持った相手から、僕らをかばいながら戦うこと。

 アイの小さな両肩に、どんでもない負荷を与えてしまっている。その負担を、心の重荷を、少しでも軽くしてあげられたら。ちょっとでも背負うことが、応援することができたならばと、僕は声を奮い立たせた。


「ちっ、シスコンが。気持ち悪い」


 セーラー服の彼女が唾を吐く。

 黒い影の半円がジリジリと径を縮め、アイとの距離をつめて来る。


「アナタが何を吠えようが、状況は好転しないわよ。どれだけ、一個人が抗おうとも、数には絶対に勝てない。強大な力を持った何かに目を付けられた時点で、一人の人間としての自立性も、思いも、ささやかな願いでさえ、ゴミのように、カスのように踏み潰されるのが、この世の常でしょうが!」


 ゾンビ達の両手が伸びる。

 アイの立つ、その一転に向かって、鋭い刃が放たれる。

 漆黒に塗られた薄いビニールテープのように、幾千もの腕がアイを傷つけようと空気を切った。

 アイが腰を下げ、足に力を溜める。


「避けてもいいけど、後ろの二人。串刺しね」


 射線が通っていた。

 僕とクラックを人質にし、乱立した物理攻撃を全て受け止めることをアイが選ばざるをえない状況を強要する。

「勘違いしないでください」


 少女は大地を蹴り、宙を舞う。

 天に舞い上がる。


「やっぱりアナタも、こっち側なんじゃない」


 黒い刃が、アイの居た地点で交錯する。

 帯状に広がり、僕らを切断せんと、押し寄せる。

 黒い線が扇状の面となり、僕らの家ごと飲み込もうとしていた。


「――っ」


 ゾンビの腕が僕の喉元に伸びる。


「私はあなたのことが嫌いです」


 少女のかかとが宙から落ちた。

 刃が僕の目の前で止まり、波を打ち、折れる。

 アイの足が影の交わる一点を楔のように留めていた。

 彼女を中心に大地が沈んでいる。


「ワタシとまた、やるってわけ?」


 土埃の中から、影となって見えるIの姿が急に大きくなっている。


「いいえ。ここからは私の一言です」


 アイの影が消える。


「だから、それはさっき無理だったでしょう!」


 ゾンビたちが一つになり、蜘蛛の巣を張り巡らせる。

 壁状になり、黒髪の変わり者の前を塞ぐ。

 僕の動体視力をはるかに超えたⅠの動きが一瞬で、止まった。


「え?」


 気が付くと、僕とアイは向かい合っていた。

 僕らを包囲していたゾンビ達がパラパラと崩れていく。


「どうしてよ! 何で、そんな格好になってるの!」


 黒いセーラー服の彼女がアイに叫ぶ。


「どうしてって、大きくなったからに決まってるでしょう」


 スカートがひらりと揺れる。

 Ⅰの白い太ももに、僕はうかつにもドキリとさせられた。


「ずるい! インチキすぎるわ! どうして、アナタばっかり、そんなすぐに強くなれるの! どうして! 神様どうして!」


 大人になったアイの長い髪がゆれる。


「愛に意味を問いますか」


 大人へと文字通りの急成長を遂げたアイが、小さくなった自分の服を端から破いた。


「無粋」

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