第26話
月が夜空に浮かんでいた。
白い光に照らされた美しい女神の背後で、変わり者の女学生が膝をつく。
彼女の身体が真っ二つになり、バタリと外側へ割れる。
斧で割られたまきのように、何かがそこをものすごい勢いで通り抜けたかのように、セーラー服を着た変わり者が縦にさけ、地面に転がっていた。
「ふぅ」
女神の口から漏れた吐息が星になる。
大人になった
間違いなくマイナスイオンが、放出されている。
「何なのよ、まったく」
「後ろからいきなりドスリは酷すぎるでしょう」
「意外としぶといのですね。来世に尾を引きますよ」
「何よ! 上から目線でバカにして!」
二つに割れた彼女に、ねっとり粘菌のようなものが生える。
縦にさけた全身を、糸で引っ張られるように、接合していく。
ぬちゃぬちゃと肉の音をたてて、復活してくる。
「ワタシ、死なないのよ。ゾンビだから」
学生服の彼女がぐったりと、立ち上がった。
表情はやつれ、薄ら笑いを浮かべるも、姿形は元通り。
服装すらもそのままに、暗い気配をまとっている。
「ねぇ、あなた、ワタシのタイツでも履く? こんな夜中にミニスカートって寒くない? 絶対あげないけども」
少女の姿から急に大人びた女性へと変貌を遂げた彼女の成長に、服が追いついていない。
ワンピースの胸を内側から突き破られるかのような、痛烈な叫びが聞こえてきそう。
殺人的な美貌を何とか布の内側に封じようと頑張る、その白い服に、同情だってできるかもしれない。
端的に言って、大人に成長した
どこに出しても恥ずかしくない、という域を越え、逆に、どこにも出しても美しすぎて恥ずかしい。
叶うことなら、箱の中に閉まって置きたいぐらい。
姿を見るのが逆に勿体ないと思わせる程の麗女がいまの
僕の妹だった。
「愛で女の人は綺麗になるって言うけど、やり過ぎでしょう」
腰まで伸びた髪が揺れるたびに、あらゆる生命の胸を打つ。
傾国というよりも絶世に近かった。
世界を壊してしまいそうなほど、僕の目の前のIは、美しかった。
「キレイすぎて泣けてくるわ」
セーラー服の変わり者は目を瞑る。
これ以上、
囚われしまわないように。
「ワタシの邪魔をしなければ、長生きできたでしょうに。
胸の前で両手を合わせた彼女の背後から大量の黒い煙が吹きあがった。
「まだやるつもりなの?」
それは虫だった。
砕け散ったゾンビたちの成れの果て。
その欠片たちが集まり、固まり、再びナニカに変わろうとしている。
「アナタが死ぬまでやるのよ」
「まじめね」
「ええ、前世は学級委員だってやってたんだから」
黒い変わり者の彼女の目から、赤い血が漏れる。
「これ以上、ワタシを絶望させないで。アナタの顔なんて、もう見たくない」
彼女の背後に、無数の人影が現れる。
ボコボコと、黒煙の中から亡霊たちが沸き上がる。
暗い積乱雲のような影の凹凸一つひとつに、誰かの泣き叫んだ顔が浮かんでいた。
「人の顔を見てガッカリはないでしょ」
「アナタみたいな美の化身は、ワタシたちにとって、ただの暴力そのもの。自分が取るに足らない存在だと突きつけられるみたい。そこにアナタが居ると思うだけで心が荒む」
「美人は生きていてはいけないの?」
「いいえ、本当はアナタが正解。だけれど、みんながみんな、アナタには成れない」
「卑屈にならなくても。個性があるじゃない?」
「慰めなら結構! ワタシの全身全霊を持って、アナタという存在を世界から取り除く!」
「やっぱり、この姿は嫌いだわ。いらぬ恨みを買ってしまう」
黒い変わり者の少女から噴き出した亡者の大群が、もうすでに、Iのそこまで迫っていた。
「怨霊に喰われて死になさい」
無数の亡霊たちが
「泣かないで、私の子供たち。絶望より、未開の明日を見て」
煌めく風が駆け抜ける。
澄んだ
「無理よ、ワタシたちにはできない」
すらりと伸びた
「どうして過去に浸かってしまうの。あなたたちには未来があるでしょう」
「見えない先より、過ぎた時間を
僕の目の前で、黒い球体になった霊たちの塊が、ポロリと崩れる。
「前なんて見えないのよ。ワタシたちはずっと後ろを向きながら、恐る恐る前進する。遠くなっていく思い出を見つめながら、未来という暗闇にただ怯えながらも踵を踏み出すの」
大人になった
それは存在を握られたことに他ならない。
星のように重くするのも、ガスのように軽くするのも自由。
つまり、変わり者の少女の敗北を意味していた。
「ねえ、女神様。もし、生まれ変われるなら、ワタシ、もう産まれたくない。人間なんかに成りたくない」
ふわふわと、少女の身体が蛍火に変わっていく。
「知性なんていらない。感情なんて、心を暗くするだけ。ワタシは、もう、生きたくないの!」
消えゆく運命を悟った少女は、女神の胸を両手で叩いた。
「お願い、アナタ、神様なんでしょう」
少女が
「神に祈っても無駄ですよ」
「どうして! 人の願いを叶えるのが神の役目でしょう!」
「私、あなたのことが心底嫌いですもの」
「――!?」
「だから、もう一度人間に生まれ変わりなさい」
「なんで! どうして!」
「そして、今度は、幸せになりなさい」
大人になった
「いじわる! いじわる!」
「友達なんていなくたって、あなたはあなたじゃない」
「また、いじめられるわ」
「理不尽からは逃げてもいい。卑劣な行為に、道理の通らぬ現実に、あなたが向き合ってあげる程、人間の命に余白ってないのよ」
少女が薄くなっていく。
密度を大気よりも小さくされた身体がガスのように散っていく。
「ルールなんて、強い奴が決めること。誰かが決めたゲージの中じゃ、息が詰まって、前すら向けない」
「行動は自分で決められるでしょう?」
「与えられた選択肢に、満足なんてないのよ!」
「分かってるじゃない。何を選ぶか、何を描くかは、あなたが選べばいい。気に入らない答えは無視すればいい。正義だの正解だのを語る誰かの言葉なんて、あなたの心に比べれば、取るに足らないものでしょう」
「強者の理屈ばかり! 震えて前も見えない人間に神が語る言葉か!」
少女の足元はもうなかった。
「ええ、だって、わたしは、あなたのことなんて、微塵も興味がないのですもの」
Iが少女の頭を撫でる。
「うう、不条理」
その言葉に、女神はクスリと笑った。
「そうよ。だから、誰かの何かじゃなく、あなた自身を貫きなさいな」
「怖いって言ってるじゃない! 失敗することが! 傷つくことが! 誰かに陰口だって言われるかもしれない」
「あなたの世界に、あなた以外の評価がどうして必要なの?」
「強い。強すぎるのよ、アナタの言葉が」
「女神ですから」
変わり者の少女は女神の胸に顔を埋め、泣きじゃくった。
それこそ、年齢相応の、思春期を迎えた少女のように。
進路に悩む、ただの女学生のように。
平凡に、儚く、初々しく、不安に駆られた涙を流す。
「神様! 赦してよ! もう、ワタシを解き放ってよ!」
「前を向いて」
「嫌だ、生きたくない! 生き返りたくない!」
「新たな人生を」
「嫌! 神様ぁああ!」
「幸せになって」
「そして、いつかその時が来たら、話を聞かせて」
「辛かったこと、嬉しかったこと」
「絶望が礎になったいつかの、あなたのお話を」
「きかせて」
少女は黙って
まるで、子守唄を聞いてまどろむ赤子の様に。
心の整理をつけるように。
「そんなの、まっぴらごめんだわ」
パチパチと火薬がはぜる音がした。
「な、なんだ!?」
黒い粒が弾け飛ぶ。
「レイさん、大丈夫です」
僕に優しく語りかけるⅠの胸の中には、何もいなかった。
黒い変わり者の少女が、消えた。
「次こそ、ワタシの全存在をもって、あなたを絶望させてみせる。それまで、ワタシの片割れを預けておくわ」
僕の腕を奪った最大の脅威は、女神の元で泣きじゃくり、そして、涙の一滴も残さずとも、悪態一つをついて、どこかへ散っていった。
「あらら、やられたわ」
残ったものは、例に漏れず、誰のモノかも分からない、漆黒の龍の鱗。
たった一枚の、それだけが、無機質に、女神の手に握られていた。
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