第32話
僕らの影が薄くなる。
無機質な白い光が降り注ぎ、この世の全てが、収縮する。
瓦礫の山となった水上都市の遺物さえ、白い塵になって流れていく。
「ひどいわね。燃えた灰すら、残してもらえないのだから」
人の営みって何なのかしらね。
白いドレス姿のナナは、色褪せた、雲一つない天を眺めて、涙を頬に転がした。
絶望の色が、時を染めていた。
「おいおい、ここであきらめちまうなんてぇ、おめぇらしくねぇだろ。なぁ、ナナぁ」
スーツ姿のクラックが、街の奥から歩いてくる。
「私らしくないって」
「お前はいつもお転婆で、空元気で、銭勘定にうるさい。そういう奴だろ」
「そんなの! あなたに言われる筋合いはないでしょう!」
「忘れたのか、あんたが俺に渡した対価を」
クラックが小山の上のナナに詰め寄る。
「俺の両眼の色を変えたのは、ナナ。お前だろ」
ナナは自分を見下ろすクラックの顔をじっと逆から眺めていた。
「私にどうしろって……」
クラックはナナの元から離れ、瓦礫の山を降りる。
「何って、やるだろ、リベンジの続きだ」
「また異世界に転移したって、やられるだけよ。もう負けたの。徒党を組んだ徹底抗戦も、あのドラゴンの奇襲には意味をなさなかったでしょう」
「なら、今度はこっちから乗り込めばいいだろ」
クラックの言葉にナナが表情を変える。
「乗り込むって、そんな奇跡、どこにあるのよ!」
異世界転生とは話が違うと、ナナは言った。
「ドラゴンはこの世の裏側に住まうもの。異なる世界を移動するのは、私達女神にとっては、水槽と水槽を渡ることでしかない。でも、龍は時空の裏面に、小さな世界を独自に作ってしまう」
だから、終末帝なる龍が現世に現れると崩れてしまう。
僕らが住まう世界と龍が住む空間は正反対。
反物質のようなものだと。
「あの世への渡り賃なら、俺たちはとっくに、払ってるはずだぞ」
クラックが片手に持った、古めかしいチェキをナナに向ける。
「何よ」
パシャッと、たかれたストロボにナナが不快そうな声を上げる。
ブー、という音をたてて、黒いカメラの側面からインスタントフィルムが吐き出される。
「ほら、いい写真だ」
「だから何だって言うの」
クラックから突き出されたフィルムを受け取るために、ナナがその場から動かされる。
ハイヒールの白いサンダルで、長いスカートを両手でたくし上げ、破片の山を降りてくる。
その間に、クラックの指で吊り下げられた黒いシートフィルムが色づく。
「これって……」
「一柱の箱入り娘と、それを慕うバカどもの思い出写真だよ」
小さなメモ用紙のような一枚の写真の中に、気品良く着飾ったナナと、武骨な笑顔を浮かべる水上都市の面々が、隙間なく詰まっていた。
それは、いつかの古びれた写真館で僕が撮ってもらったものと同じ。
追想の誰かと、今を重ねるための、遠くに行ってしまった誰かを近くに感じるための思い出写真。
遠距離撮影だった。
「死んでしまった人との霊魂は、一度、女神の元に戻って、生まれ変わるんだよなぁ。なら、あいつらの思いを通してやることはできねぇかぁ」
ナナはじっと、目の前の淡いスーツ姿の男を見つめる。
「あなた、本気?」
クラックは白いドレスの女性越しに、真っ二つに折れた都市のシンボルタワーに目を細める。
「生まれ変わるぐらいなら呪い殺す、そう言って、 女神の目の前で大量の寺院を作っていたのは、あいつらの方だろ」
誰も転生なんちゃ望んでいない。
クラックは、今も消え続ける街の瓦礫にそう、投げ捨てた。
「でも、街も世界も、魂さえもが消えてしまったら、一体、何が残るというの」
「記録に残せばいい。龍殺しの英雄たち。生きて、どこかの世界であいつらの話をしよう」
僕には、生まれ変わること。
そして、生まれ変わらないことの違いなんて分からなかった。
死、という言葉で、僕らの結末は括られてしまう。
けれども、僕らには見えないけども、きっと、前世というものがあって、その何かが、死ぬたびに脈々と、僕らの魂という器に刻まれ、何かを繋いできたのだろう。
――もう、世には、生まれてこられない。
たった一言だけど、シンプルなその現実が、ナナの選択をにぶらせる。
「どうして、人間というのは、意固地になってしまうものなの」
ナナは再び、クラックに手渡されたチェキを見る。
詰まり過ぎて、表情すらハッキリとは分からない。写真の中の一人ひとりと、対話するように、思いだすように、指でなぞった。
「全く、おバカなのだから。ことの重大さも分からないクセに」
彼らに刻まれた魂の歴史に、一人ひとり、別れを告げる。
不思議と、ナナのピンクの爪が通り過ぎた人々の顔が、笑顔に変わっていく。
「あきらめの悪さも、ここまでくると呪いだわ」
そう言って、写真の中の誰かに向かって、いや、全員に向けて、この世界のプリンセスに奉り上げられた、無冠の白い女神は、ニコリとほほ笑むのだった。
「ナナ……」
「行きましょう」
彼女の発声とともに、地面が黒く塗り潰される。
真っ暗な円が、ナナの足元を中心とし、すさまじい速度で、都市を越え、湖を越え、山々の根元を通り過ぎていく。
「あれ、僕、沈んでない?」
「レイさん、一応、私と手をつないでおきましょう」
ズブズブと沼の中に沈むように、闇が僕の膝頭を掴む。
何かに吸い込まれる中で、僕は、互いに身を寄せ抱き合う、ナナとクラックの姿が目にうつる。
「まるで、結婚披露宴みたいだ」
黒く染まった大地と白に支配された空に挟まれ、僕らはこの世界を後にする。
新たな人生を捨てた人々、転生を拒否した人々の魂を糧に、僕らは、ゲートの中を進む。
世紀末もびっくりなモノクロの世界を眺めながら、僕は第二のこの世にさよならを告げる。
「終末帝、お前はどうして……」
闇に飲まれる。
視界がゆがむ。
暗い何かの中で落ちていく中、僕は、重大な何かを思い出したような気がした。
決戦のときは、近かった。
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