第29話
「くしゅん」
「姉さん、大丈夫?」
「ええ、何だがあのお部屋、冷たいのだもの。レイちゃんと再会するまでに、体温を下げられてしまって」
「ああ、そうか。きっとⅠのおかげだな」
僕は着ているワイシャツを脱ぎ、姉にかけた。
「ありがとう、紳士ね」
マイは白い包帯が巻かれた僕の胸をそっと撫でる。
「随分と大きくなって」
姉の長い指が僕の傷口を触れる。
「大切にしてもらっているのね。完璧な応急処置。血も止まっている」
僕は
下の明かりがついていたってことは、リビングで激戦の後処置でもしているのだろうか。
「姉さん、会って欲しい人がいるんだ」
「あらあら。もしかして、れーちゃんのお嫁さんとかかしら」
「まぁ、そんなところかな」
「まあ! 一大事じゃない」
どこの馬の骨かしらと、右手を拳にする姉の手を、僕は持つ。
「さぁ、一階へ行こう」
残った片手をマイと繋いで、僕らは階段に足をかけた。
「どんな子かしら。お姉ちゃんより素敵な人じゃないと認めませんからね」
「うーん。どうだろう。少なくとも見た目は姉さんと同じぐらいのべっぴんさんかな」
「えぇ、そんな女の子がこの世に存在するというの……」
「どんだけ、自分の容姿に自信持ってるんだよ」
「え? さっぱりしてて逆に気持ちがいいと思ったのだけれど」
「嫌いではないけど」
「でしょでしょ」
僕ら姉弟は恋人のように指を絡ませ、あたかも結婚披露宴のように、階段を、一段いちだん、大切に降りた。
「やっぱり、明かり、付けっぱなしだ」
一階のリビングの真ん中がぼんやり明るい。
テーブルの上にろうそくの入ったランプが置かれている。
「あの子が、私よりかわいくて、性格も良くて、スタイルもいい、天使みたいな女の子かしら」
「そこまでは言ってないけど。天使というか女神そのものだけど。まあ、そうだよ」
テーブルに突っ伏した彼女の頭の上には、大量に平らげられた後と思われる、お皿の山々が並べられていた。
「レイちゃんのお嫁さん候補さん、随分と大食漢なのね」
「何やってるんだよ、
第一印象、やや悪。
僕らは、無数の平皿が載るダイニングテーブルへ近づいた。
物音をたてないように、二人で息をひそめる。
「この子がレイちゃんの彼女?」
「驚くことなかれ。この絶世の大人びた美女こそ僕らの新たな家族」
「ふーん、随分と変わった女性のご趣味で」
「いや、ちゃんと見てよ。花も羨むこの子こそ僕ら姉弟の新たな――」
「よよよ、私の弟が変態に」
「いやいや、異性のことを好評しただけで大げさな」
「この、ロリコン」
「え?」
「こんなイタイケな少女を娶るなんて。近代国家的に受け入れられないわ。確かに目鼻ははっきりしてるけど」
「はい? いや、昨日の戦いで、
僕は
端々が破れた白いワンピースに身体がすっかりおさまっている。
正しく、ゆとりある着こなしになっている。
「ああ、確かにこんな美人な姉と一緒に生活して、間違いが起きないのはおかしいと思っていたけど、そうなのね。そういうことだったのね」
「勝手に変な納得しないで!」
「大丈夫よ、レイ。お姉ちゃん、ちょっとどころか、今後の人生の先行きを憂うぐらいショックだけれど、これから三人で頑張って、周囲の好奇な視線を耐えていきましょうね」
「待って! 僕の意図せぬ形で、家族の絆を育まないで」
「きっと、あと五年。いいえ、一桁年では足りないかしら。十年もすれば、普通の年の差カップルで、世の中に大手を振って出かけられるようになるわよ」
「だから、違うって!」
というか、そもそも、その世の中自体もう無いのだけど。
社会自体が宇宙ごと消滅したのだけど。
「この子は僕らの家族。新しい、僕とマイの妹だよ」
「あら、まあ。家族が増えるって、そういうコト」
マイは爪の綺麗な人差し指で、プニプニとⅠの頬をつつく。
「えへへ。女神が太るわけないじゃないですか。だって、女神なんですよぉ」
起きる気配は全くなし。
「へえー、この子が。ふーん」
「あれ、姉さん? ここはもっと感涙にふけってもらっても構わないところなんだけど」
「何というか、嬉しさと、焦りと。正直、弟の彼女に会ってみたかったという落胆が混ざり合ってて。お姉ちゃん、『弟はあなたにはあげないわ!』っていう時代錯誤もそこそこの古びれた台詞を一方的にお嫁さん候補に言い渡すの、人生の数少ない楽しみにしていたから」
「何でそんなことが人生の楽しみなのさ。もっと、生きていく中でワクワクすることあるでしょう」
「そうね。後の楽しみと言えば、レイちゃんの成長を見守ることと、職場のセクハラおやじ達が時代の波にのみこまれて、憐れにも、中年そこそこの年齢で、ローンあり、養育費あり、慰謝料ありの三大苦へ追放される姿を見届けることぐらいかしら」
「怖い。姉さん、一体、会社で何があったの」
「ほら、お姉ちゃん、精神に支障をきたして、部屋に引きこもることになったじゃない。あのとき、信じられないぐらいのハラスメントをおっさん達から受けたのよねぇ」
「そんな昔をなつかしむトーンで言われても。コトの深刻さを学生の身分では計りかねるよ」
「そこで、思ったのよ。もし、私のかわいい弟のレイちゃんに彼女ができたら、やってあげようって」
「修羅の国での生き方。有名な弁護士さんの紹介とかですか」
「しこたま弟の彼女にセクハラしてやろうって」
「何でそうなんねん! いい話になる流れかと思ったわ!」
「レイ、ちょっとうざめの関西弁になってるわよ。はしたないから、おやめなさい」
「僕は自慢の姉の深い闇を見てるようで切ないよ」
「仕方ないじゃない。弱さは伝播するのよ。というか、不当な差別で受けたストレスは、理不尽をもってしか晴らされないのよ」
「だめだ、マイが完全に暗黒面に落ちてしまっている」
「まぁ、この悪意も、かわいい弟とのキスで魔法のように消えてしまうのだけれど」
「いや、急に姉弟同士での肉体関係を迫られても。未成年の僕としては、ハニカムしか無いというか」
「ねぇ、レイ。お姉ちゃん、意識を無くして始めて分かったの。自分の大切なものは何か。何が一番、令条マイにとって必要なのかを」
「それは、僕も同じだけど。姉さんと一緒に居られないことが、どれだけ苦痛だったことか」
「グー、スー」
僕ら姉弟は片手を握りあったまま、お互いを見つめ合う。
「レイはお姉ちゃんのコト、嫌い? もっとお姉ちゃんのコト、知りたくない?」
「それは、そうなんだけど……」
「ピー、スー、パー」
僕らは、机の上で眠る女神の上で、鼻を触れ合わせる。
目と鼻の先まで、顔を寄せる。
「澄んだ瞳。私、レイの眼が大好き。レイが見てる景色をずっと近くで見守りたいの」
「僕もマイの心の音が好き。近くにいるだけで、すっと安心できるから」
「グゴウー、ゴゴオー」
吐息と吐息が混ざり合う。
マイの甘い息が、僕の頬をピンクに染めていく。
「こんな遠い所に来たけれど、私達姉弟はこんな近くにいるのよ。あと、少し。最初はレイからして欲しいの」
「いや、姉さん。さすがに、これは」
「ガガガア。グオオオ。ムニャムニャ」
「ねぇ。レイ、お願い」
「……うぅ」
「ムニャア、ムニャア」
マイの声で頭が一杯。
繋いだ手から、熱が移る。
「ねぇ、レイ」
「なに、姉さん」
「……ソンナニィ」
うす暗い部屋の中で、わずかな照りを吸ったマイの瞳がゆらりと揺れた。
「しよ?」
「――っ」
ええい、どうにでもなれと、僕は実の姉のくちびるに吸い寄せられる。
血は繋がっていないのだから。そもそも、年も離れてるし。
これぐらい、思春期の弟と優しい美人姉のスキンシップだろ。
「ね、早く」
「ぐぅうるるるる」
「…………」
マイはもう、その気だった。
両目を閉じて、僕のことを待っている。
全てを受け入れる準備をすまし、姉弟の垣根を越えるための一歩へ、片足を伸ばしていた。
「レイ、好きよ」
「マイ、僕も――。大、大、大好きだーー!」
「ズビー。スピー」
覚悟を決めて、飛び込む――。
「「――――」」
「オ、オオ」
「「?」」
キスの直前。
下で震える少女の奇声に、僕の顔が止まる。
「スピー、スースー。スピー」
「ホッ」
「んっ」
「うん」
再び、僕はマイに顔を寄せる。
「オ、オ、オオ」
「「――?」」
「ズズピー。ズパー。ズズズズビー」
「レイ、私だけを見なさい」
「う、うん」
マイが僕の顔を持つ。
もう二度と視線を
「オ、オ、オ、オ」
「「――」」
バイブレーションのように振動する
「オ、オオ、オオオオ、オオオオオオオオ」
「「――――」」
僕ら姉弟はもう気にしない。
「オォ、オオ。オ」
頭の中で、オ、の文字がゲシュタルト崩壊を起こす。
「「――――――――」」
だけれど、僕は止まることなく、姉の元へ。
薄い桜色のくちびるへ。
「………ォ」
息を止める。
心と心を交わそうと、お互いの頬を近づける。
「――っ」
「ゴゴゴゴゴゴゴォォオオオオ」
「――んっ」
今度こそ、マイと僕のくちびるが触れ合う。
「………ォォオオオオ」
――はずだった。
「オ、オ、オムライスは飲み物でしょうー!」
「「何の話やねん!」」
僕ら二人は、顔をIに向け、思いっ切りツッコんだ。
僕ら姉弟は思わず、女神の寝言に意識を奪われる。
「グー、ズズー、うどんはおやつですよぉ」
「もう何なのよ、どれだけ食い意地張ってるのよ」
「ふぅ~、助かったのか。いや、何かを失ったのかも……」
興がそがれたわ。そう言って、マイは僕の手を離した。
「星を見に行きましょう。折角、こんな辺境の異世界に来たのだから」
「え、あ、うん……」
僕らは、机でいびきを立てる女神を置いて、外へのドアをくぐった。
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