第19話


 僕とクラックを乗せた赤い機体〈ランボルフィッシュ号〉は、アイに受け止めてもらうという形で、無事、僕らが住まうログハウスの庭先に不時着した。


「女神ぱねぇ」

 男2人を乗せた鉄の塊を悠々と両腕で掴み、優しく大地に下ろしてくれたアイを見て、クラックから驚愕の声が漏れる。

 その言葉に、僕も激しく同意した。


「レイさん、大丈夫ですか。無事ですか」


 土で頬を汚したアイが僕に近付いてくる。


「誰がこんなひどいことを。かわいそうに、私のレイさん。こんなに、怪我してる」


 戦闘機にくくりつけられていた僕の両脚の縄をアイがほどいてくれる。


アイ、これは」

「クラック! あなたのせいですか」

「えっと、そうじゃ」

「この不良大人! 何とか言いなさい!」


 アイがほっぺをふくらます。

 ぷいぷいと、湯気をあげ、頬を赤くする。

 コックピットの細男は、頭の上で手を掴んで、わざとらしく口笛を吹いた。


「違うんだ、アイ。クラックは味方で。街を守るためには。巨人の変わり者を倒すためには、必要なことだったんだ」

「レイさん!」

「な、なに?」

「んー」

「どういう唸り声?」

「もう、バカ!」


 そう言って、アイは僕に身を寄せた。


「どうして無茶ばっかり。そんなボロボロになって、私の元に帰って来るんですか!」


 心配するじゃないですか。

 怖くなるじゃないですか。

 悲しくなるじゃないですか。


 僕を叱る少女に、僕は返す言葉が見つからない。


「ごめんな、アイ

「許しません!」


 僕は全身傷まみれ、ミサイルの爆風とビームの熱量で、皮膚もただれている。


 骨もたくさん、折れているかもしれない。内臓だって、潰れているだろう。


「どうして、どうしてあなたはいつも、誰かを守るために傷だらけになるんですか! 私は、あなたを包むすべての災厄から自分を守って欲しかった! 逃げて欲しかった!」


 涙が僕の胸を濡らす。

 僕の心が湿っていく。

 家族を泣かせる奴は、最低なんだ。


「レイさん、私は何より――」


 戦いには勝った。

 街も、水上都市のみんなも守り抜いた。


「あなたに幸せでいて欲しいのに!」


 けれど、何よりも大切な彼女の、アイの笑顔をいつも曇らせてしまう。


 アイに涙を流させてしまう。


 ――強くなりたい。


 僕は胸の中の小さな少女にいつでも笑っていて欲しかった。

 泣かないで欲しい。幸せであって欲しい。 

 三千年の孤独を忘れるぐらい、煌めく日々を、黄金の体験を、透き通るような毎日を送って欲しい。

 僕はただ、彼女の笑顔に会いたい。

 笑顔に会いたかった。


アイ、いつもありがとう」

「もう! そんな言葉で、女神に許してもらおうと思うなんて!」


 アイはプリプリに怒っている。

 大粒の涙を抱えた瞳が、僕を許すまじと睨んでいた。


「おい、レイ。いまこそ、あれだ。街で買ったあれ」

 

 後方の男が小声で話し掛けてくる。

 あれって何だ?

 僕はクラックと回った街のことを思い出す。

 古びた写真館。

 奇妙な写真撮影。


「……ペンダント」


 僕は右ポケットを手でまさぐった。


アイ、聞いて。君に、プレゼントがあるんだ」


 銀のロケットペンダント。

 それをアイの小さな右手にのせる。


「え、レイさんが、私に……」

「開けてみて」


 彼女は細い、枝のような指でブローチのふたを、ゆっくり開けた。


「これって……」


 そこには、僕らがいた。

 優しい光が、丸く、僕らを囲んでいる。

 その真ん中で、大きな椅子に座し、恥ずかしながらも、満面の微笑みを浮かべるのが僕。

 その隣で緊張した面持ちの、白い一張羅を着ているアイ


 そして、その後ろには、僕とアイを誇らしげに抱きかかえ、わたしの宝もの、と白い歯を見せて笑う、黒いリクルートスーツを着た、マイの姿が写っていた。


 それは、夢だ。

 僕らは一度も揃っていない。

 抱き合っていない。触れ合っていない。

 だけれど、それだからこそ、何にも代えがたく、美しい。


「僕たちの家族写真」

「……」


 アイがペンダントの写真を見たまま口をつぐむ。


「…………ずるい」


 アイは、小粒の涙をはらりと落とした。

 彼女の表情は今まで見たことのないような。

 慈愛に満ちた優しさのように。


 愛情深くもあり、安心したかのようにも見える、幸せそうな、世界一柔らかな。


 そんな、女神のような笑みを、ただ、浮かべていた。


「また泣かしてしまった」

「ほんとうに、もう。滅茶苦茶です」

 

 最低です、とアイは涙をこぼす。

 その顔が僕は何より嬉しかった。

 何よりもの、宝ものだった。

 アイが僕の肩に手を回す。

 僕は彼女に支えられる形で、赤い戦闘機をやっとこさ降り立った。


 地上の土を踏む。

 クラックが飛行機のハンドルに足を乗せて、煙を吹かせている。

 また、ナナに叱られるぞ、と言う僕を、クラックはチラッと見るだけで、何も言わなかった。

 静かに赤い空を見上げていた。


「長い一日が終わる」

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