第18話

アイ!」


 のん気に女神が家庭菜園をしている。


「逃げるんだ! アイ!」


 家の軒先でミニトマトの苗を植えている。

 その上を、巨人の右手が、重力に任せて降下していた。

 僕らの家を押し潰そうとしていた。


「くそっ! 声が、距離が遠すぎて届かない!」


 水上都市は守り抜いた。

 巨大な敵からの侵攻を、全身全霊をつくして、防ぎ切った。

 その結果、意図せずいま、家族を失おうとしている。


「クラック! もう一発ビームで、手に穴をあけて!」

「無理だ! 射線が通らない! 一緒に森ごと焼いちまう! それに――」

「それに?」


 アイは自分たちを、二階建てのログハウスさえも、まとめて粉々にしようとする、巨大な右手が、空から落ちて来ていることに、気付いていない。


「♪」


 肩を揺らしながら、幸せな夢を見るかのように、スコップで穴を掘っている。


「このポンコツはもうガス欠なんだ。もう一発撃ちこむ元気もなけりゃ、これ以上飛んでられる保証もねえ」

「それって」

「ああ、実は今、俺たちも落っこちてる」


 実際、景色が狭まっていた。


「なにも、僕たちはできない………」


 失意の間にも、巨人の首から下が、湖のヘリで膝を、ガクリと後ろに曲げる。

 腰を森につき、その巨大な背で、木々を次々と薙ぎ払っていく。

 右手を天に上げ、何かを掴むかのような態勢を死体がとる。

 もう意識もないはずなのに、それでも僕らの家を破壊しようと、素手のままに、迫り来る。


アイ、気づいて! マイと一緒にそこから離れて!」


 僕は大声をだす。

 それでも、麦わら帽子をかぶった小さな女神は鼻歌まじり土をいじる。

 周囲の状況を全く気にしていない。

 ご機嫌に野菜作りを楽しんでいた。


「ダメだ……、気づいてないんだ」


 その光景はあまりにアンバランス。

 絶望の淵に咲いた一輪の花のよう。

 地獄の風が、静かに、それでいて、したたかに、面のように迫っていた。


「おいおいおい、まじでやべえんじゃないのか?」


 巨人の上半身は、地面に背をつき、僕らが住む、森と山のひらけた場所に、山のような手の甲で裏拳を決めようとしている。


「――――やめてくれ」


 叩き潰そうとしていた。


「やめろ――」


 僕は小さな家とアイに手を伸ばす。

 決して、僕の手は届かない。

 空気を押すだけだ。


 ――また、失うのか。

 両親に捨てられ、唯一の家族のマイも花に変えられて。

 やっと掴んだ平和な日常も。

 新しくできた妹みたいな女神も。

 また、音もなく唐突に、不幸の色に塗り潰されてしまうのか。

 僕は結局、何かを守って、その代価のように、何かを失ってしまうのか。


「どうしてなんだよ」


 巨人の身体は肩とひじを付き、その勢いのままに、重力と膨大な質量で、Iと僕らの家に襲いかかった。


「何で、僕らは失わなければいけないんだ!」


 影が全てを黒く染める。

 巨大な手の表が、何もかもを、思い出までもを、無に帰すために、感情なく、ただ、さも当然かのように、僕の家族を、家を、庭を、妹を、姉を、僕に残された全てを、星の引力にひかれて、飲み込んだ――――――――。


 かのように思えた。


「もう! 邪魔!」


 とんでもない音がする。

 ドカンッ。

 それは、大地が割れた音。

 巨人の手の平が地面を叩いた音。


「はぁあ?」


 女神の小言が確かに聞こえた。

 その直後に、巨大な腕が、一気に半回転した。

 目にも止まらぬ速度で右肩を中心としてぐるりと回った。


「もう、人の大事なお庭を何だと思ってるんですか」


 何が起こったか分からず、僕はアイを見る。

 しゃがんで首のない巨人をにらむ女神の頭上には、細くて白い、日焼けも知らないような手首が上がっていた。

 ガッツポーズのように挙げられていた。


「あの女神、巨人の隻腕を、ほっそい片手で払い除けやがった」


 クラックが信じられないものを見たと言う。

 僕は目玉をとばす。

 飛び出た目玉を、慌てて両手で戻す。


「うん? 赤い飛行機? どこかで見た気がしますね」


 アイが空を見つめる。

 そして、大きく手を振った。


「あ! レイさん! お帰りなさい!  見てください、お庭にナナのお店でもらった食料の元を植えてみました。これで、私達の自給自足生活がはかどりますね!」


 無邪気に笑う少女の声に僕は力が抜ける。


「ああ、ただいま」


 賑やかに、ログハウスに向かって下降する赤い機体の上で、僕は女神に声を掛けた。


「全て、守り抜いた」


 縮んで、半透明になっていく巨大な変わり者の頭と身体を上から見渡す。

 まっさらな風が頬を撫でる。

 夕日が赤く僕らを照らす。

 間違いなく、僕らの勝利。僕とクラックと、最後はアイの、頑張りだった。

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