第42話

「こいつ……!」


 許せなかった。

 もう取り返しのつかない思い出を、通り過ぎてしまって、どれだけ手を伸ばしても二度と紡げない時を、無神経に臆面なく、逆撫でる。

 人の痛みに、寄り添うどころか、ズケズケと踏み荒らそうとする、名前も知らない少女の卑劣さに、脳が奥から沸騰しそうになる。


「何一つ、分かっちゃいねぇ」


 ファティーグ・クロックの声は乾いたまま、火器を構える。


「何が? 何がよ!」

「何もかもだ」

「アナタは大切な過去を対価に、絶望の未来を手に入れたんじゃない!」

「絶望の未来? 何だ、それは?」

「アナタが拠り所にした水上都市も、アナタを英雄と慕っていた住民も、ワタシ達に抹殺されて、きれいさっぱり消去されて、挙句の果てには、自分は女神様にドレスを着せて恋人ごっこ? 夢を見るにも、加減があるでしょう?」


 汚い言葉だ。

 鼓膜を刺すような甲高い声で、聞き手の心を汚す。

 少女の表情が見えないことが唯一の救いで、それ以外の全てが彼女への怒りとなって、僕らの無意識に蓄積された。


「未来なんて、夢なんて、一度も見ちゃいねぇよ」

「あーあ、強がっちゃって」


 ユラリと、急にピストルが浮く。


「――?」


 何も存在しないはずの僕の眼前で、凶器が立ち上がる。


「アナタはもう、おしまいです」


 地面に投げ捨てられた銃が、夢遊病のように、クラックの背中を指した。


「ワタシだけが不死身じゃないのよ」

「あぁ? 何だいきなり」


 そのクラックの口ぶりに変化はない。

 差し迫る銃口に、気づいていない。


「オッサン、一つだけ女子高生が教えといてあげる。マネはね、ワタシたちの中で一番打たれ強いの。一番、イカれてて、そのくせ一番、あの人に愛されてる。なんせ、マネは、ワタシでさえ十枚もらえなかった、あの方の龍鱗を。十三枚も食べたのですから――――」


 僕は咄嗟に、壁際のステンドグラスを見る。


「ない! さっきまであったガラスの破片が、どこにもない! まるで空気に溶けたみたいに消滅している!」


 それは、透明人間の復活――倒したと思っていた敵の不始末を表していた。


「空気みたいに、ですって。フフフ、うまいこと言うわね」


 少女が笑う。

 銃が、矛先をそのままに、クラックまで距離をつめる。


「時間を稼がれたのか!? 僕がやったみたいに、透明人間の回復までの時間を、僕らは敵にみすみす与えてしまったということなのか!」


 音も無く凶器が僕らの英雄の元に迫る。


「フフフ、教えてあげる! 正確には、マネは透明人間じゃないわ。誰にも見えず、聞こえず、相手をされない。ただ与えられた仕事を死ぬまで、実行し続ける、そうね、言うなれば、あの冴えない中年男性のことを、ワタシ達は裏ではこう呼称する――空気おじさん――ってね」


 つまり、敵は健在で、なんなら姿の見えない不死身の存在が、クラックの背後から襲い掛かっている。


 ラスボス級のバケモノが、意識外の復活をしている。


「アナタ、言ってたわよね? 見えなかったって。だから、不意を突かれたって。ワタシ達の星回りを覗き見できたって、気づけなきゃ、意味ないってことでしょ!」

「クラック、逃げ――」

「ああ、やっと終わりだわ」


 それは、少女の勝利宣言だった。

 それと同時に、半ば、空気おじさんに握られた影響でどんどん薄く見えなくなるピストルが、必殺の距離に達しようとしていた。

 一発で、クラックの息の根を止めようとしていた。


「おい、お前。悪いことは言わねぇからよぉ、そこから一歩も動かない方がいいぞ」

「は? 命乞い? 聞くわけないでしょ」


 カチャリ、とスライドが後ろに引かれた。

 カチリとスイッチの入る音がした。


「――ッ⁉」

 パパンッ、と何かが爆ぜる。

 鈍い光と、不完全燃焼の嫌な匂い。

 硝煙が、見上げるほどの爆煙が、突然、立ち登る。


「ウ? ウ? ウン? マネ??」


 視線を下に戻すと、床に大穴をあけていた。

 何かが――――、爆発した。


「さよならだぁ」


 石畳の上にあいたサークルに、拳銃が落ちていく。

 おそらく、地雷というには、恐ろしい程の、圧縮された爆薬が爆ぜたらしかった。


「クラックが、勝った?」


 ハンドガンが上を向いたまま、不自然な形で、落下していく。


「この床の下って、どこに繋がってんだろなぁ。もしかして、地獄かなにかぁ?」


どうやら、突如としてあいた虚空に消えていくハンドガンの挙動を見るに、僕らを視認できない恐怖で支配した彼――空気おじさん――は、その銃を抱えたまま、この大聖堂から、先も見えない真っ暗な闇の中に、足元から落ちていく光景が、僕らには、見えたらしかった。

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