第46話
「レイ! しっかりしなさい!」
ナナの怒声が耳を打つ。
暗い意識が晴れる。
「僕は、気を失っていたのか……?」
目の前に龍がそびえたっていた。
僕の背後には、入口で抱き合う女神と、依然花束に変えられたマイがいる。
ズリズリと、太いパイプが波打つように、終末帝が尾を引きずった。
「……アァ」
巨龍がとぐろをまく。
その姿は、人智を超えて、山を彷彿とさせる。
同じ生物とは、到底思えなかった。
とぐろの下から、クラックの赤黒い液がしみ出す。
インクのように意図もなく、ファティーグ・クロックの命が、僕の足元へ滲む。
「ナナ! 血が、こんなに! クラックが死んでしまう!」
僕は、クラックのパートナーだった浄化の女神に助けを求める。
「早く、クラックを治さないと!」
「ムリよ……」
しかし、返ってきた台詞は、冷えた現実の言葉だけだった。
「もう、無理なのよ」
静かな現実だけが僕らを一直線上に貫く。
「……アア」
怪物が熱い息を吐く。
血と硝煙と湿ったタバコの匂い。
僕の身長など優に超える怪龍がそのアゴを大きく開いた。
太くて、鋭利な牙の奥。
臙脂色の舌の上に、丸い影が置かれていた。
「クラックの……、首が……」
そこには、龍の口の中で飴玉のように転がされる男の頭があった。
「レイ、あとでな」
終末帝が口を閉じる。
僕は全身の血を抜かれたかのように力なく、その場にヘタりこんだ。
龍の頭が通り過ぎていく。
ズチャズチャと、硬い身体に、握られたままの拳銃が引きずりこまれていった。
「ナナ、どうします」
僕の後ろで、龍が頭を上げる。
「どうって、この化け物とお茶会でもするわけ」
バカ言わないでよ、とナナが言葉を吐き捨てる。
龍の影が女神たちに覆い被さっていた。
聖堂の入口を黒く塗り潰す。
Ⅰたちに逃げ場はなく、闘える戦士も、もう存在しない。
花になったマイを抱きかかえるⅠの手が固く握られる。
「しょうがないですね、もう――」
Ⅰがポツリと声を出す。
「――――私がやります」
ひざを伸ばして、踵を踏みしめ、前の龍を強く睨んだ。
「……」
その隣でナナが遠くを見つめる。
「だから、マイさんを一旦預かってもらって、って……、ええ? ナナ?」
ガラスの靴で前に進むナナ。
「ナナ、何を?」
Iの上擦る言葉がこだまする。
動揺するIを放って、ナナは長い上を天へと伸ばした。
「ねぇ、あなたは気が済んだの?」
ナナの問いに応えるモノはいない。
彼女の頭上を黙って見下ろす龍がいるだけだ。
「過去に捕らわれて、それでも前を向こうとして」
龍の顔が融ける。
ドロドロと蝋のようになって、再び何かを形作っていく。
「私があなたに与えた望郷のまなこは、あなたに貰った最愛にかなったの?」
細長かった龍の姿から翼が生え、岩のような身体が持ち上がる。
「ナナ……」
Iは花を抱えたまま、ナナの背中を見つめていた。
「I、聞いて」
ナナが半身になって、後ろに振り向く。
「I、あなたが私の後輩でよかった」
「どうして、今、そんなことを言うんですか、ナナ」
Ⅰの質問には答えず、ナナが少女の胸で眠るマイを見る。
「あなたはもう立派な女神よ」
「ナナ、だからどうして、今更そんなことを」
Iの声が震えていた。
「I」
「……」
Iはもう声が出ないほど、頬を濡らしていた。
「つらぬきなさい」
涙が絨毯を濡らす。
無数の黒い点が一つに繋がって、大きなシミになっていく。
「じゃあね、クラックが待っているから、一緒に居たいの」
ナナが前を向く。
その碧い瞳にはもう、今を映していない。
「ああ、これで私の願いも叶う」
巨大なドラゴンが花嫁を睨んでいた。
白い衣装を着たナナのスカートが揺れる。
「あなたのそばで眠らせて、それが私が見た、たった一つの夢なのだから」
冷たい風が吹く。
赤い池ができていた。
「ペッ」
西洋風の竜の姿になった終末帝が何かを吐き捨てる。
マイを胸に抱いたまま、Iの半分が、血で赤く塗られた。
「次はお前たちだ」
Iの足元までしみた赤黒い池の中に、割れたガラスの靴が転がっていた。
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