第47話

 私は一体、何を見ているのでしょう。


「アアアアアアアアアアアア」


 レイさんが、終末帝を制している?

 起こり得ない光景に私は瞼を擦ります。

 目を疑っても現実は変わりません。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 大型のドラゴンが、ただの人間の少年に振り回されている。

 本来、人間に大型生物を持ち上げられる筋力などないはずです。

 ましてや、終焉を冠する竜なんて、投げ放てるワケがないんです。

 私は嫌な予感に奥歯をすり潰します。


「レイさん、あなた、私が与えた力を使って、そんな惨いことを」


 筋繊維の破壊と創造。

千切れることを拒んで、無理矢理、相手を屠るためだけの力を取り出している。

 四肢が裂かれるような、とてつもない痛みを動くたびに支払いながら。


「そんなの、自分を自分で、殺すみたいなことじゃないですか。自らを拷問するようなことじゃないですか」


 声に成らない叫びが部屋中に響いて、私の心をギュッと締め上げます。


「彼が彼では、なくなってしまう」


 苦痛は心を破壊します。

 それが原始的であればある程、耐えられなくなる。


「どうして、そんなになってまで……」


 私は左手で自分の頬を拭います。

 手の平に纏わりつくピンクの血。

 ファティーグ・クロックが食われ、ナナが死に、私達が集めた五十九枚の龍鱗をナナごと飲み込んだ終末帝が、レイさんに蹂躙されている。

 文字通り、精彩を取り戻したドラゴンが、レイさんによって、一方的に嬲られている。


「レイさん、もう止めて。そんな苦しそうに。別に竜を倒さなくたって、あなたの目的は果たせるのに」


 女神の血は命そのもの。

 エネルギーの塊であるナナの生き血を左半分に浴びた私の身体は、否応なしに、成長して、本来の力を取り戻してしまう。


「いまの私なら終末帝と渡り合うことができるかもしれない。レイさんの自殺を止められるなら、私はここで死んでもいい」


 ――でも。

 私は、私の手に預けられた少女の顔を見ます。

 私と同様に、女神の血を浴びたマイさんもまた、赤く濡れて、光を吸って、したたっている。


「でも、私にはマイさんを守る義務がある。今ここで眠ったままの彼女を置いていくことも、連れていくことも、私にはできない。私は、ただ苦しみ、暴れ続けて傷付き続けるレイさんを見守るしかないの……?」


 私は無力です。

 レイさんの大切なモノを守るために、私の一番大切なレイさんを失おうとしている。


「たった一人の家族を失うのが、私を妹と呼んでくれた人が傷つくのが、こんなに苦しいなんて」


ずっと一人だった私には、耐えられそうにもない哀傷が、胸の真ん中を刺したまま、鈍く痛み続けている。


「ガァアアア」


 三メートルを裕に超える、終末帝の身体が宙に投げ捨てられます。

 宇宙に漂う子犬のようになって、あのドラゴンが天に向かって四肢をバタつかせている。


「レイ、お前の代償は、何だ……?」


 竜の地をえぐるような低い声。

 きっとその中には、驚きと、苦しみ、そして、恐れが混ざっている。


「僕はお前を――」

「ああ、俺の声など、もう聞こえちゃいないのか。ならば――」


 終末帝が、翼で大気を穿ちます。

 牙を開いて、口の奥を赤く発光させて、全てを燃やそうとする。


「俺がお前を終わらせてやる」


 赤い光が竜の口から球となって、レイさんに吹きつけられる。


「お前たちを――」


 球が線となって、ほうき星の如く尾を引いて、レイさんの元へと落ちていく。

 その破滅の熱を、彼は避けようともせず、頭を垂らして、奇妙に右手を挙げるのでした。


「僕は全てを――《拒絶》――する」


 横一閃。

 火が二つに斬れ、消えていく。

 それどころか、レイさんを包む全てのものが、空間が、斜めにゆがむ。


「アア……? 人の城に何してくれてんだ、ボケぇ!」


 軋んだ竜の身体が瞬時にもどり、レイさんを威嚇します。


「ボクはお前ヲ――」

「人の話も聞こえねぇような奴は、ペチャンコに潰れちまえ!」


 終末帝が尾を前にして、槍のように身を投げます。


「ボクハおマエヲ――」

「うるせぇ! 呼びこみくんみたいに同じ言葉を繰り返すな! てめぇは機械か!」


 右手を挙げたレイさんを、終末帝の柱のような尾が深く打ちつけます。朱に染まった尾っぽの下に、赤い血のシミが滲み出てくる。


「レイさん‼」


 私が叫んでも、もう遅かった。


「ボクハオマエヲ――」

「てめぇ‼ 今潰しただろ! なんで生きてる⁉」

「――《キョゼツ》スル――」


 ガラスが一斉に割れる。

 ステンドガラスに閉じ込められた、数十人の少女達の、肩から上が横にズレて、はじけ飛ぶ。


「レイ、これじゃどっちがバケモノなのか分かんねぇぞ」


 両翼を切断された竜が、事象改変によって復元されたレイさんを睨みます。


 切られた翼から臙脂色の肉が盛り上がり、元の姿を形取ろうとするけれど、何かに拒まれたように、その肉たちが崩れて溶けていく。


「え? あれ? 私ってば、なんで? どうしちゃったの?」


 レイさんが優勢なのは変わりません。

 私達の世界を崩し、ナナの世界も壊して、一人の人間と一柱の女神を滅ぼした、この悪魔のような竜をいま、レイさんがカタキをとろうとしてくれている。


「なのに、どうしてなの?」


 視界がゆがんで、声が喉の奥で渋滞して、感情の整理ができなくなる。


「フフフフ。ハハハハ。アハハハハ」


 砕け散った破片の中の少女の中の少女達が嬉しそうに微笑をこぼします。


 私も囚われた彼女たちと同じように、痛めつけられる終末帝をニヤついて、見送りたいのに。


「どうして、涙が止まらないの……」


 どうしてこんなに、辛いの。


「ボクハオマエヲ――」


 竜から放てる炎を右手で裂いて進撃するレイさん。

 その身は、血と黄色何かの粘液が混ざって、黒い固まりのように、歩みを進めます。


「レイさん、どうして――」


 私は扉の前で彼に掛ける言葉を拾います。


「どうして、そんなに苦しそうなの」


 終末帝が地面に叩きつけられます。

 彼は苦しそうに、「グェ」と湿った声を漏らすだけで、為す術なく、横線の入った腹を空に向けるのでした。


「誰か、レイさんを助けて……」


 レイさんが力を使うたびに、私の胸がはち切れそうになる。

 彼が終末帝を圧倒すればするほど、心が苦しくて、涙が止められなくなる。


「どうして、レイさんが身を粉にしなきゃいけないの。私があげたかったのは、そんな力じゃない。あなたが犠牲になって強くなったって、誰も喜ばないのに」


 力には対価が伴にます。


「私はあなたに傷付いて欲しくなかったのに!」


 叫びは届かず、私はその場で、足を折ることしかできない。

 地に尻を着け、心と共に、彼の大切な花を、家族を涙で濡らす。


「助けてよ……」


 私は神に願います。

 それが一番意味のないことだと分かっていながら。

 胃の底から、願わずにはいられない。


「……鉄の匂いがする」


 泣きじゃくる私のどしゃ降りの雫が、身体にかかったナナの血を溶かして、血涙になる。


「私の力じゃ、何も変えられないのに」


 女神の血は祝福だ。

 エネルギーの塊だ。

 今すぐにでも、彼の元へ飛び込んで行きたい。

 ――けど……。

 私は胸元に視線を落とします。

 そこには、血と涙でぐちゃぐちゃになった、マイさんの顔がある。


「私には手を伸ばせない。だって、マイさんを生き長らえらせることが、令条レイとの約束なのだから」


 だから、私は彼に手を伸ばせない。

 苦しむ彼に何もしてあげられない。


「アアアアアアアアアアアア」


 悲鳴にも似た雄たけびとともに、終末帝がガラスに打ちつけられる。

その背中に、色の破片を積もらせ、石畳の上で息を切らす。


 ――誰か……。


 私は願います。

 女神の私も、もう、それしかできないから。


「レイさんを助けて!」


 何度目かも数え切れない程の落涙。

 涙だけが頬を伝って、ポタポタと流れ出る。


「……誰か、……助けて」


 血がエネルギーの塊なら、血から作られる涙もまた、純粋な力を持って、どこかに蓄積されている。


「え……?」


 突如として、私の胸の中の花束が動き出す。


「本当ほんとうに、しょうがない義弟なのだから」


 私はその目の前に起きた希望の名を、呼びます。


「マイさん!」


 彼女は両手を首の後ろで組んで軽く伸びをします。


「全く、乙女の涙は格別だわ」


 私の前に立って前を見据えながら、復活したばかりの彼女はこう付け足すのでした。


特に〝義妹〟のはね、って。

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