第55話
気づくと僕は、自分の姉とよく似た女神と二人、白いティーセットを囲んでいた。
「さぁ、お茶会にしましょう。レイちゃんもきっと、疲れているでしょう?」
久しぶりの太陽が肌を刺す。
草木の触れ合う声が聞こえて、土の香りがした。
「底が抜けるような蒼い空。今からでも天を駆けて行けそうでしょう?」
「え、いや、僕はどこに」
さっきまで居たはずの大聖堂と、その真逆をいく洗い立てのシーツのような草原との明暗差に、僕の網膜が付いてこられない。
光が突き刺すような、偏頭痛にもよく似た症状に、僕は頭がクラついていた。
「顔色が悪いわね。さてはインドア派かしら。ここじゃお気に召さなかった?」
Uがパシッと手を叩く。
「ここなら、レイちゃんも気に入るんじゃない?」
気が付くと、僕は今度は畳の上に座っていた。
「着物というのも風情があって、中々に良いものだわ」
「違う、そうじゃなくて――」
「そうね。わたしたち、お茶の点て方なんて知らないもの」
Uが着物の袖を揺らし、膝の上で再び手を合わせる。
陽気な空の下、白いパラソルに僕らが入る。
「わたし、鳥とお花がとっても好きなの。お庭の真ん中で飲むお紅茶はもっと好きよ」
「うっ……、だから、Iとマイは……、君は、僕らの敵なのか……」
薔薇の香りに鼻腔突かれた結果、顔のパーツが鼻頭に寄ってしまう。
「さぁ、遠慮しないで。せっかく、遠くまで来てくれたのだもの。このクッキーだって甘々で、わたしが焼いたから、とっても美味なのよ」
Uが、上機嫌にティーカップのハンドルへ手を伸ばす。
彼女の白い指は小さくて、細くて、いつものIの姿に似ている。
「ねぇ、U。ここはどこで、他のみんなは。君は一体――」
「ほら、紅茶も飲んで。つみ立ての茶葉で、これも私が淹れたのだから」
「僕が聞きたいのは――」
「せっかくわたしが淹れたのに、冷めてしまうわよ」
「……じゃあ、いただきます」
僕は先程むせ込んだ花の庭園で、彼女とともに洋菓子を食べる。
外見は目鼻が立っていて、本当に僕の姉にそっくりだけれど、幼い客姿から繰り出される、こちらの有無を言わせぬ強引な問答はどこかⅠとナナを、女神たちの立ち振る舞いを想起させる。
僕の心のわだかまりと反して、茶葉のすっきりとした苦みが口いっぱいに広がる。
「わたしのことが気になる?」
「こんなに異世界を渡れる人を、僕は知らないから」
Uが、何それ、と嬉しそうに笑う。
「異世界転生なんて、あなたもしていることでしょう?」
僕は首をかしげる。
僕は死んだり、通い立ての高校が、住んでた世界が滅んだから、必要に強いられて異世界に逃げたんだ。
それも僕が能動的にしたわけではなくて、Ⅰとナナ、女神たちによるものだ。
僕は素直に学生らしく、自分の疑念を、分からないことは分からないとハッキリ、彼女に伝えることにした。
「少なくとも、学校では習わなかった」
「あははは、なによ、それ!」
Uが腹を抱えて、あまりに声を出して笑うものだから、僕は途端に恥ずかしくなってしまう。
「U、教えてよ。君たち、女神のこと。異世界転生のことを」
「Iから何も聞いてないの? それとも覚えていないのかしら。あーあ、かわいそうに」
痴態の挽回と言わんばかりに決めて見せたつもりだったけれど、顔がやけに暑くて、様になっていたかは分からない。
「大切なことだから。僕は何も知らないから」
「ふーん、別にいいけど」
何より、特に心打たれた様子もなく、別にいいけど、と言うUの乾いた声が、とても心に突き刺さった。
「SYSOP。それがわたし達。あなた達が女神と呼ぶもの正体ね」
「さ、さいぞっぷ?」
「そう。世界はどこか似ていて、どこか違う。世界の数だけ、女神も実在するし、誰かが管理しているから、無秩序に思える星も回っていられるの。考えたことはない? この世の法則って、上手にできてるなって。それもランダムに出来上がった訳じゃない。誰かが引っ張って、誰かが保守してるから回っているのよ」
僕は初めて訪れた異世界。
マイに化けたUと一緒に見た夜空を思い出す。
「だから君は、幾千の星々を眺めて、目を細めていたの? 君の世界はもう、どこにもないから」
あら、そんなことを覚えてくれたなんて。とUはおどけた。
わざとらしく首をすくめる彼女の表情は、どこか遠くの地平線を眺めているようで、僕には向かい合って話しているはずなのに、彼女の独り言を聞いている気分になる。
「女神にとっては、世を守り、それを治めるのが生きている意味みたいなものだから」
どこにも興味がないように話す彼女。
その態度に、僕は少し、怒りさえ覚えた。
「君が世界に関心がなくても、僕が生きた街も、クラックが住んでた水上都市も、きっと誰かの大切なもので、突然奪っていい道理にはならないはずだろう」
「そうね、そうだったのかもしれないわね。でも、そうじゃない人も居たかもしれない。この世は二律背反ではないんだから」
グラデーションよ、と彼女が言葉を付け足す。
その、どっちつかずの曖昧な女神特有の態度が、僕は気に喰わなかった。
「そうやって、君たちはすぐにはぐらかす」
「まぁ、毒まんじゅうを、あーん、させようってわけではないのだけれど。職業柄、ぼかしたくなっちゃうのよ」
そう言いながら、平たい陶磁器に並んだクッキーをUが指ですくい上げた。
「ただ、自分の仕事に興味がないだけなのよ。誰にだってあるでしょう? たった一つのことを除いては」
Uは軽く俯いたまま、説明書を読み上げるように話を続けた。
「わたしたち女神は世界の管理・監視を行うために置かれました。女神にとってあなたたち住人が過ごす世界は、分かり易く言うと虫籠や水槽のようなものね。わたし達は俯瞰してあなたたちを眺めているのよ。別の水槽に人の都合で移された魚たちは落ち着かないのに違いないのだから。見るもの全てがしっくりこなくて、まるで別世界に来たみたいだって。最も、転生後にそれらが死のうが増えようが、わたし達女神の関心どころでは無いのだけれど。どう? これで満足かしら? あまりに一方的に話をさせるものだから喉が乾いてしまったわ。お紅茶をいただくわね。いくら女神が話好きだからって、ここまではさすがに疲れちゃうもの」
「いいや。まだ、大切なことを聞けてない」
「あー、対価の話? あなた達も好きね、異能の話。自分のことだから当然なのかしら」
「違うよ、U」
目が合わない。
何にも興味がないように、関心がないように。
「あーあ、カレの世界に置いてきた、Iとマイの話かしら」
Uは自分で注いだ紅い茶の水面を、伏し目がちにただ眺めた。
「そうじゃなくて……!」
たしかに、僕の家族の所在、ここから元の場所ぬ戻れるのかも気掛かりだけれど。
Uの話には大切なことが抜けている。
「なによ、急に大きな声を出して。女神の話も、異世界転生もこれで全部よ?」
「君が好きなものはなに?」
Uがカップを傾けながら、目を丸くする。
「僕は君たちのことが知りたいんだ」
紅い液体が陶器をすべって、茶菓子を濡らす。
「……そうよ。そうなのよ」
Uは顔を上げる。
「そうこなくっちゃ!」
僕の眼に飛び込んできた女神の破顔は、とても生き生きしていて。
それでいて、子供のように無邪気に綻ぶ彼女の花顔は、何よりも温かくて、綺麗だった。
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