第12話

「ほら、着いたぞ」


 湖の上でクラックに拾われた僕らは、赤い戦闘機に乗せてもらい、アイの知り合いが営むという、生活雑貨店まで送ってもらった。


「ここが、《ラッキーセブン》。女神のお店」


 高層ビルの間。三階建ての古びた四角い建物が、彼女とクラックが生活する住居兼お店なのだという。


「ナナ、帰ったぞ!」


 クラックが暖簾のれんをくぐって、中に入っていく。

 僕とアイも、その姿につづき、店の敷居をまたいだ。


「クラック、いつも言ってるでしょ。飛行機はお店の裏に停めてって。 夜中はご近所さんの迷惑になるから、声を抑えてって、て、あれ? もしかして――?」


 レジ台の鼻筋がすっきりとした女性が僕らを見る。


「ええ、私です……」


 アイは嫌そうに、僕の方を向いた。どうやらIアイの予想通りだったらしい。


「やっぱりアイじゃない! 久しぶり!」


 店のカウンターから飛び出し、アイに彼女の白い腕が巻きつく。


「うええ、苦しい」

アイ! 元気にしてた! 私は超元気よ!」

「あなたに絞められる前までは、大変元気でした」

「もう! 照れるな照れるな!」

「顔でゴリゴリするのやめて」


 女神のアイを手中に収める紫色のワンピースを着た彼女もまた、女神らしかった。


「ねえねえ、アイ。この人はだれ?」


 後ろで一つにくくった金糸雀カナリア色の髪が宙を舞う。

 その勢いで、ふわりと広がった髪の束がぺちっとアイの顔面にクリーンヒットする。


「ぎゃあ」


 アイが膝から崩れ落ちた。どうやら目に入ったらしい。


「あら、アイ。どんくさいのも相変わらずね」

「ナナ、誰のせいだと思って」


 その女神の名前は、《ナナ》と言うらしかった。


「なんだ。お前ら知り合いかぁ。ならちょうどいいや。俺はこいつを店の裏に戻すついでに、もう一飛びしてくるから、あとはお前らで好きにやんなぁ」


 うちのソフトクリーム抜群にうめぇから、良かったら食っていくといい、そう言い残して、クラックは夜空の果てに消えていった。

 僕は二人の女神、ナナとアイの間に取り残されてしまった。


「で、このカワイイ坊やがⅠちゃんのお気に入りってわけ」


 地面に倒れたアイに代わって、今度は僕にナナが飛びついてくる。

 柔らかさと、華やかさと、スッキリとした柑橘系の香りが僕を満たす。

 肩に手を回された僕は、彼女がスレンダーなこともあり、背中から伝わる彼女の鼓動と熱に、年頃の男の子らしく、ドキドキしてしまう。


「こら! ナナ、私のレイさんに手をださないで! ていうか、レイさんも、デレデレしないで!」

「あらら、アイ。あなた、随分この子が気に入っているのね」


 二人の女神が火花をちらす。


「そんなにこの子が好きなら、あなたも大人になったらいいのに」

「キー! 私は十分、大人じゃい!」

「じゃあなんで、ずっとロリっ娘のままなのよ」

「あららー、この完璧な御神体がナナには分からないんですかぁー? 女神に必要なのは、心を開きたいと思える親しみ易さ。だから、あなたはおじさんにしか人気が出なくて、すぐに持ち場を取り上げられるんですよー」

「はー? 私だって超人気なんですけど。女性受けは確かに悪かったけれど、私の妖艶さは全世代的に支持を集めていましたー、だ」

邪鬼じゃきが」

「せめて、神様って呼んでよ!」

「あなたのような年増は、文化・宗派によって好みが別れるんですよ! だから、みんな程々に自重しているというのに。この天界の面汚し!」

「ひっどーい! ねえねえ、いまのは流石に辛辣過ぎない? これが私の望む姿なのだから、しょうがないでしょうが!」

「ギャーギャーギャー」

「ブゥーブゥーブゥー」


 アイに責められる度に、ナナの僕へ抱き着く力が強くなっていく。

 ナナの艶やかにくちびるから漏れる吐息は僕の頬をかすめ、巻き付いた四肢はどこもモチモチしていて、思春期を抜け出したとは言え、健康優良男児である僕の自意識を過熱させる。


「マ、マイ」


 僕は姉と過ごした黄金のように輝く日々を回想することにより、賢者の悟りの領域への入門を試みる。

 ただの人間の僕は、この神々しくてくだらない、神々の戯れに、成す術なく、口をはさむ暇もなく、見事、翻弄される他なかったのだった。


「女神様、さすがに近すぎます」

「レイさん、こんな奴に敬語なんて、善意の無駄撃ちですよ」

「そうそう、私のことは気軽に呼び捨てで呼んで。みんなもそう言ってるし」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 僕は女神に懇願した。


「暑苦しいから離れて」

「えっ」

「あははは、ナナのやつ、言われてやんの」


 アイは小さなお腹を抱えて笑う。

 それに連れられてナナもカラカラと笑い、僕の背中から離れてくれた。


「自己紹介が遅れたわね。私の名前はナナ。この世界の女神兼雑貨屋の店主をやっているの」

「僕の名前は令条レイ。そして、こっちが姉のマイです」


 僕は片手でマイを指す。マイはいまもアイの胸の中、白い布に包まれて眠っている。

 ナナは彼女に歩み寄り、長いまつげでその美しい花束を眺めた。


「あなたたちも大変だったみたいね」


 ナナはくるりと回り、長いスカートをたなびかせる。

 布の隙間から白い太ももがちらりと見える。


「いいでしょう。アイ、レイ。あなた達は何をしに来たのか。何を知りたくてここに来たのか。教えてちょうだいな」

 ナナはレジ台の上に三角座りする。

 髪の隙間から見える小さな耳が魅惑的。

 彼女もまた、クラックと同じく、大人の色香をまとわせていた。


「では、まずは――」


 アイはその場から立ち上がり、ナナのすぐそばまで迫る。


「――を貸して」

「え」


 アイは机の上のナナを見下ろし、感情を殺してお願いした。


「シャワーを貸してください」


 もう全身ベタベタで不快極まりないんです!

 アイの悲痛な叫びに、ナナと僕は大笑いした。

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