第3話

 気が付くと。そこは初めて見る天井だった。


 というか、天から星が降っていた。


「ここは……?」


 身体を起こそうと、両手を下に付ける。


「白い砂……?」


 手のひらからパラリと砂塵が散る。


「気が付きましたか?」


 女の子の声がした。大きな椅子に少女が座っている。


「ゆ――」

「夢でも幻でもありませんよ。だって私は生きていますから」

「ということは」

「ええ、あなたは無事、鬼籍きせきに入られました」


 おめでとうございます。 と微笑む少女の髪は長く、花緑青はなろくしょう色をしていた。


「労働帰り。多分あれは、コンビニエンスストアのアルバイト終わりでしょうか」

「そうだ、僕はバイトをして、家に帰ろうとして」

「ええ。そこまではログ通りですね。その直後で死んでしまうようなトラブルなど、思い当たる節はありませんでしたか」

「道を渡ろうとしたんです。そしたら音もなく、巨大な何かが」

「ああ、はいはい。もう分かりました。夜の自動車って、意外と静かで気が付けないですよね。ご愁傷様です。死因は、交通事故、と」


 少女は手元の黒いファイルの中でペンを走らす。書類に何かを書き込む。

 だけど僕には、気になることがあった。


「意識が遠のく前に何かと目が合ったんです」

「目ですか?」

「黄色くて、僕が両手を広げたぐらい、大きくて。とても冷たい、人間じゃなくて、もっと大きな何かだった」

「ふむ、それは私も初めて聞きますね。死ぬ前に見る走馬灯か何かだと思いますけど」


 念のため、死因は不明ということにしておきましょう。

 そう言って、少女は二つ折りのファイルを、勢い良く閉じた。


「僕はこれからどうなるんですか」

「生き返りますよ。第二の人生として、一から真っ白に、記憶も全て消して」

「何とかなりませんか。今のままで、元通りになる方法はないんですか」

「そうですね。では、今のまま、違う世界に転移するというのは? 向こうの世界で恩赦ももらえますし、悪い魔王を倒すための派遣ですけど、記憶も引き継げるので、若い亡者もうじゃには人気ですよ」

「それじゃ、だめなんです」

「はぁ? 現世に未練でも」

「姉さんが、病気になるまで働いて、僕を学校にやってくれたマイが、ずっと僕の帰りを、部屋で待ってるんです」


 親に見捨てられた僕らは、二人で生きていくしかなかった。

 これからもずっと変わらない。

 今まで頑張ってもらった分、これからは僕が支える番なんだ。



「お願いします、女神さま。どうか僕を現世に生き返らせてください」



 僕は地面にひれ伏した。頭を下げた。

 人生で二度目に行う、父と母が玄関から消える直前以来の、心からの懇願の、姉さんと僕のための、土下座だった。

 しかし少女の態度は変わらない。


「そうは言われましても、あなたは死んでしまったのですよ」

「お願いします」

「私利私欲では無いと、思われているかもしれませんが、あなたのそれは、ただ、唯一の家族とずっとそばに居たいという、身勝手なエゴなのですよ」

「それでも、僕は姉さんのそばに居たいんです」

「困りました。さすがの私も大変困りました。生まれ変わるのは嫌だとしても、大抵の方は喜んで異世界でスローライフを満喫されるというのに」

「それでは、駄目なんです。姉さんは、マイは、僕のたった一人の家族なんだから」

「女神の助言を、神の誘いを、異世界転生を断ると」

「はい。病気の姉を守りたい」



「愚か者!」



 少女が怒鳴る。

 僕は何か大きな衝撃波に弾き飛ばされて、背中から地面に叩きつけられる。



我利我利がりがり坊主が何を言う!」



 少女が僕に覆い被さる。


「自分だけが不幸と思うなよ。私は何人も亡者を見送ってきた。誰も彼もだれもかれも事情があった。自分だけが特別に生き返らせてもらえる? 面の皮が千枚張りとは、このことよ!」


 少女が胸ぐらを掴む。僕は息が吸えず、為されるがままになる。


「万が一、お前を生き返らせたとして、私に何の得がある。お前たちが感謝するのは一瞬だ。生き返った後、お前は姉と楽しく暮らすのだろう。その幸福を誰に与えてもらったのか、全て忘れて。今まで通り、何もかもが昔から、順風満帆に続いてきたと勘違いして」


 暗い髪の中で、淡い瞳が僕を睨む。


尻暗い観音しりくらいかんのんは、もう、十分なのよ!」

「そんなことは……」


 息が詰まる。少女に服の襟を持たれているからではなく、彼女の叫びが僕の心臓を強く打ったから。


「だいたい、自分が死んだら、病気の姉が一人になる。だから生きからせて欲しい。そんな理由が女神に通る訳ないでしょう。私が何年一人で、お前たちを送ってきたか。ここには何もない。砂と夜空の間で、文句は言われど、礼賛なく延々とずっと、三千年間一人ぼっちの孤独に耐えてきたのよ!」


 雲一つない綺麗な夜空から雨が降ってくる。長いまつ毛を涙が伝い、雨粒が僕の頬を繰り返し打つ。

 考えもしなかった。

 つらいのは、僕だけじゃなかったんだ。


「苦しかった……、です、ね」


 僕は小柄な少女の背中に手を回す。


「抵抗したって無駄よ。ただの人間が私のパワーに勝てる訳」

「大変でしたね」

「何を――?」

「僕はあなたを、あなたの全てを承認します」


 人間ごときでは、ましてや高校生の僕では計り知れない重責の載った少女の、その両肩を、力無き僕は、非力にも目一杯に、抱きしめた。


「何なのよ、もう!」


 少女が僕から手を放す。


「うっ」


 砂の上に落とされた僕の胸で、少女は泣いた。

 彼女は延々と涙を流す。

 彼女が過ごした永遠とには到底及ばないけど、少しの間だけ、彼女には孤独を忘れて欲しかった。

 しばらく泣いた後、彼女は僕と額を合わす。


「いいわ、あなたなら。許しましょう」

「それって――」


 彼女は長い指で、僕の口をそっと塞ぐ。


「その代わり、約束して。何が起きても後悔しないって。私を決して忘れないって」


 地面が揺れる。僕の背後に大きな扉が現れる。


「異世界転生を拒否したあなたの対価。そして、あなたを縛る私の対価」


 光が僕らを包む。


「誓いなさい。私はあなたをもと居た世界に戻す。だから、あなたは私のたった一つの願いを――――」


 扉が開かれる。僕は背中から落ちていく。

 遠のく意識の中、離れていく少女に僕は叫ぶ。



「君を一人にしない」



 世界がゆっくり閉じていく。

 何もかも、小さく、暗く、閉ざされていく。


 重い衝突音のあと。


 気が付くと僕は、いつもの部屋に寝そべっていた。

 それはいつもの、見慣れた天井だった。


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