破壊衝動に抱かれて

第10話

「このシミ、ちゃんと落ちるのかな」


 木桶の中が赤く染まる。


「本当に、もう。女神の服を何だと思っているのですか」


 純白のキャミワンピに着替えたアイは小言をこぼす。


「血のシミって、なかなかとれないんですからね」


 僕は、木でできた大きな桶に井戸からくんだ水をはり、広い家の軒先のきさきに、一生懸命二人分の洗濯物を水で洗っていた。

 お湯をすすごうものならタンパク質が変容してシミが落ちなくなる。

 それこそアイの逆鱗に触れてしまう。


「あー、絞るときは、優しく、やさしくですよ」


 バケモノを撃破した僕らは、その代償を払うかのように、勢いよく、そのバケモノの返り血をべったり浴びた。

 アイはその状態があまりにキモチ悪かったらしく、ログハウスの前に着くや否や、井戸の水を桶で掬い上げ、豪快にも、大量の水を頭から被っていた。

 今朝、彼女が着ていたTシャツとジーパン、そして、青いチェックのエプロンと白い三角巾は、今は僕の手の中。真っ赤に染まっている。

 必死に、決死に、丁寧に、手もみ洗いをさせていただいている。


アイ、さすがに水洗いだけじゃ、血の染みを落とすのに、無理があると思うんだけど」

「ならば、貴様の対価で落としてみせるか」

「いえ、がんばらせていただきます」


 白いワンピース姿のⅠは、腕を組み、小さな頬をふくらます。


「元はレイさんが、血しぶきをちゃんと止めてくれていれば、私が濡れることもなかったんですからね」

「そんなこと言われても」


 プリプリに怒っている。

 たとえ水浴びをしたところで、返り血のベタベタがとれるワケもなく。

 ベタつく髪が肌に張り付くのが相当嫌だったのか、いつもは高い位置で二つにくくっている髪を、一つに折りたたんで、後ろに上げている。

 アイがブーブー文句を言うたびに、白いうなじが強調されて少しどきりとしてしまう。


「あんな弱い変わり者にコテンパンにされるなんて、私は情けなくて仕方ありません」


 僕らが対峙した赤いミノタウロス。小心者の小男は、バケモノだった。

 変わり者という名の、人の皮を被った怪物だった。

 僕の力で真っ二つにされた後も、息が続く限りずっと未練たらしく怨念を唱える姿が印象的で、いまも脳裏に焼き付いている。


「どうして、こんなに苦労してぇ、一生懸命に働いてるのによぉ、どおしてぇ、おればっかが酷いめに」


 空気が抜けるように縮んで消えていく、変わり者に、僕はやさしく手を触れた。

 その姿が、あまりにみじめだったから。

 その言葉に、どこか自分と重なるものを感じたから。


「誰もあなたを責めていない。誰もあなたを馬鹿になんかしてない」

「どおしてぇ、誰もおれの話を聞いてくれねぇんだぁ」

「それは、あなたが、相手の話を聞こうと――」


 僕はそこで口をつぐんだ。

 もう、言っても仕方なかった。

 目の前の獣の、元人間の、変わり者の命はつきる。

 無音が彼の身体を包んでいた。

 音が聞こえなくなっていた。

 風船のように小さくしぼんだバケモノは、最終的にはうすくなり、跡形もなく消えていった。

 僕らの手に残されたのは、一枚の、漆黒色に艶めく、大きな鱗、一枚だけだった。


「レイさん、ちゃんと私の話きいてますか!」

「ああ、ごめん」

「私、おこってるんですからね」


 アイは手の甲を腰に添え、前かがみになって、僕へジリジリと迫ってくる。


「どうして、レイさんはあのバケモノの返り血を一滴も浴びずに済んで、私だけがベタベタになるんですか!」

「それは僕がバケモノを拒絶したから」

「私の分も拒絶してよ!」

「いやできたら僕もそうしたかったけど……」


 僕の能力は、僕が望まない結果を、断る能力。

 アイはこの能力を拒絶する力——《絶対拒否権》——と呼んだ。僕が拒んだ、拒否した、という意思を現実に反映する力らしい。


「どうして、いままで、対価の使い方を忘れていたのだろう」

「そんなの知りませんよ!」

「意地悪言わずに、教えてくれよ」

「もー、すぐに女神をたよろうとする。自分で何とかできる範囲のことは、自分でやってもらわないと」


 ブツブツ文句を言いつつも、何だかんだと、教えてくれる。

 うちの女神は大変立派な女神様なのだ。


「差し詰めあれですよ、現実逃避というやつです」

「受け入れがたい現状があったから、僕が力の使い方を忘れたと?」

「ええ、レイさんの能力は、なんでも自分の思い通りになるなんていう、都合の良いものじゃないんですからね。私には、まるで嫌なことから目をそらしたくて駄々をこねる、子供のそれに見えて仕方ありません」

「辛辣だな」

「当然、女神をベタベタにした対価です」

「罰ってこと?」

「すぐそうやって、自分の行いを美化しようとするんだから。目には目を、歯には歯を、ってことですよ」


 それがこの世界の仕組みなのだと教えてくれた。

 今こうやって、血だらけになったⅠの服を洗っているのも、体をベタベタにした不機嫌な女神に怒られているのも、僕の行動の対価だと。


アイ、でも、やっぱり、水洗いだけじゃ汚れは取れないよ。せめて洗剤とか、洗濯機があればいいんだけど」

「そんな便利なものは、この家にはありません!」

「もう、アナログなんだから」

「いいえ、自然派と呼んでください」


 このログハウスには、家電が一つも存在しない。

 照明はランプ。ガスなんて来ていないから、もちろんコンロ類はいちいち使う度に火をつけ直している。

 そういや、勝手のいい薪を拾って来い、って言われてたっけ。

 僕の初めての異世界生活は、暮らしやすい環境に寄せてもらっているとはいえ、ずいぶんスローライフ寄り。

 悪く言えば、非文明的だった。


「水上都市はあんなに栄えてたのになー、って。あっ、そうだ」


 僕はクラックに渡された名刺を思い出す。

 そのシワの入った紙をアイに差し出してみる。 


「女神がいとなむ生活雑貨店ラッキーセブンって、このセンスのない感じ、たぶんアイツだな」


 アイはそこに書かれた文章を見て、軽くひいていた。


「ねえアイ、そのお店に行ってみようよ」

「ええ、そのつもりですが、洗濯は?」

「こんなのいつまでたっても落ちないよ」

「あら、レイさん。もしや言い訳に私の知り合いに会いに行くことを利用していませんか?」

「そうじゃなくて、洗剤。服をキレイにするための洗濯剤を見に行きたいんだよ。それに、もしかしたら、洗濯機だって街にあるかも」

「なるほど、まぁいいでしょう。日もずいぶん落ちたことだし、こそっと、街を探検しに行ってみましょう」

「やった!」


 僕は、水上都市に行けることを喜んだ。


「ただし、条件があります」

「何?」

「迷子にならないように、ずっと私と手をつないでもらいます」

「それが街へ出る僕の対価?」

「そしてあなたを縛る私の対価です」


 あれ、どこかで聞いたことある言葉だな、と思いつつも僕はすぐに首を縦に振る。


「もちろん喜んで」


 差し出された女神の手を取る中で、僕は少しの胸騒ぎを抱えていた。

 僕が手にした異能力絶対拒否権。これを対価と呼ぶのなら、僕は一体何を支払ったというのか。

 僕の故郷が壊れたこと、マイが花に変わったことと関係があるのか。


 それとも。


 ――そして、あなたを縛る私の対価。


 何も思い出せない。

 否、思い出したくなかった。


「さぁ、レイさん。夜は長いですからね」


 それに、今の僕には、この妹みたいな女神に振り回されるので手一杯。

 変に思考を巡らす、余裕も、胆力も、目の前の幸せを味わうことに、注がれていた。

 夕暮れ時の陸風が吹く。

 間違いなく、いまの僕は、幸せだった。

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