第14話

 色々あった昨日から夜が明けた、早朝。

 水上都市が白い蒸気を上げて動き出す。

 街をぐるりと何重にも取り囲んで走る四角い路面電車から、続々と屈強な通勤者たちが、黒いくすんだアスファルトに向かって、溢れ出てくる。


「みんなぁ、工場や畑。自分の持ち場へと、出掛けてくんだ」


 誰一人として彼らを誘導する人はいない。

 それなのに、大量の人影が、路上をそれぞれの思い思いに動いても、衝突なく、秩序もって、どこかへ消えていく。

 朝の通勤ラッシュは、どこの世界にもあって、精緻で、どこか人を釘付けにする魅力がある。


「クラック。昨晩は夜遅くにもかかわらず、家に送っていただき、ありがとうございました」

「いいってことよ。レイ、俺たちゃぁ、もう仲間なんだからな」


 昨夜、ナナのお店で、シャワーを借り、洗濯用洗剤とソフトクリームをおごってもらった僕達は、ひと段落ついたところで、再びクラックの赤い戦闘機で、僕らのセーフハウスまで送ってもらった。

 そして、本日の朝。

 水上都市を案内してぇやる、と、僕が作った朝食を摘まみ食べるのもそこそこに、三度、クラックの愛車に揺られ、朝の街へと僕らはやって来たのだった。


「女神様も来りゃよかったのになぁ」

「姉を一人にするわけにはいきませんので」

「姉ちゃんだって、日の光を浴びたいはずだろうぉ?」

「うーん、どうやら、そういう訳でもないらしくて」


 マイは花に変わっている。

 普通なら日の光をたくさん浴びて、すくすく成長して欲しいのだが、今回ばかりは逆効果になるのだと、アイは言った。

 太陽の光なんて、もっての外。すぐに燃えちゃいますよ、とアイは口を酸っぱくして僕に聞かせてくれた。

 僕の姉はいま、非常に儚く、壊れやすい存在に変わってしまっている。 

 命の熱に耐えられないのだ。

 アイがいなければ、僕は一瞬で、何の気なしに、自分の姉を殺してしまっていただろう。

 いつもの如く、少女の女神様に感謝の念が募った。


「クラック。もし街を回って、時間があれば、寄りたい場所があるんだけれど」

「女へのプレゼントか?」

「さすが、伊達男。察しがいい」

「ほんじゃあ、ぶらぶらしながら、良いモノねぇか探すか」


 頭の後ろで腕を組んだクラックは、人混みの中を歩いていく。

 僕はその大きな背中を見つめながら、クラックを慕って挨拶を交わす街の人々に頭を下げて回った。


「よう、クラック。元気か!」

「めっぽう快調よ。とどまるところを知らねぇな」

「そうかい! じゃあ、飛行機ばらすのも手伝ってくれや」

「おいおい、じゃあ、あんたはどうやって嫁さんと子供たちを食わしていくんだぁ」

「こりゃ一本取られた。お前が整備に回っちまったら、俺たちゃ全員、食いぶちを無くしちまう」

「冗談じゃねぇぜ。長生きしろや、じじぃ」

「ガッハッハ。随分と懐かれちまったもんだな。しょうがねぇ、ほら。俺の煙草だ、持ってきな。ナナちゃんには内緒だぞ」

「また、アイツも連れて顔出すよ」

「そいつは待ち遠しいなぁ」

「エロじじぃめ」

「ガッハッハッ」


 町工場の人々とクラックの間柄はすこぶる良好。

 この男は、街中の人間に愛され、少し話すとタバコを貰っていく。

 ナナにタバコを取り上げられているのは、本当だけれど、禁煙なんて、ちっともしていない。

 まるで、町内で人気のマスコットアニマルにファンの人達がお供え物をしていくように、クラックの元にはスルスルとタバコが集まってくる。


「やけに煙臭いわけだ」

「女神たちには内緒だぞ」


 人懐っこく笑うこのクラックの笑顔もまた、街の人々を惹きつける魔法の一つなのだろう。

 僕は工場と雑居ビル。そして、街の中心にそびえ立つシンボルタワーが見守る灰色の都市を、円の外側から、グルグルと線で塗り潰すかのように、しっぽりと探訪した。


「僕の家が建っている大自然とは、様子が随分と違って、面白いよ」

「青空は汚ねぇビルで塞がれちまってる。風も室外機のせいで生ぬるいし、年中じめじめしていて、空気が常に泥くせぇ。ほこりまみれの街だぜぇ?」


 僕らは、湖岸から少し入ったところ。

 街のややひらけた公園のベンチで一息ついた。


「だけれど、なんだか懐かしい」


 この街は血が通っている。

 人の情。

 街ですれ違う人々の顔には、深いシワとともに、どこか楽しげな悦びが滲んでいた。


「そんなに古い街ってわけでねぇんだぁ。潰されて、建て直してを繰り返している。そうやって鋼の刀みてぇに何度も叩かれている内に、人も街もだいぶ丈夫になっちまった」


 クラックがすっと、公園の木の上を指差す。

 リスが木の実を抱えて、トコトコと歩いている。


「森にも同じリスがいた気がする」

「変わらねぇところもある。それがこの街のいいところなのかもな」


 クラックは、よっこらせ、と全身のバネをうまく使い、ベンチから立ち上がる。


「もう少し、タワーの近くまで行ってみるかぁ。そこには粋なペンダントを作ってくれる店がある」


 僕はクラックに続いて、木漏れ日揺れる広場を後にした。


「素敵な街だね、クラック」

「随分気に入ったみてぇじゃねぇか、レイ」

「うん。僕らの故郷にどことなく似ていて」

「へー、どこら辺がぁ?」

「やたらと、コインランドリーとタバコ屋が多いところ」


 なんだ、それ。っとクラックが笑う。

 行き交う人たちも、そんな僕らを見て、随分と楽しそうだな、と笑顔を向けてくれる。


「まぁ、この街の労働者はだいたい独り身だからな。結婚なんてなったら、それこそ、街中大騒ぎになる」


 ビルの隙間なく詰まった街は、まるで電気街のようだ。

 女の人や子供もいるにはいるが、道ですれ違う多くの人は、働き盛りの男たちだった。


「色々あるってことか」

「まぁな」


 僕は昨夜の女神たちの話を思い出す。

 この世界は何者かの侵略を受けている。

 つまりは、戦時中なのだ。

 クラックに家まで送ってもらったとき、山の外側には、何も見えなかった。

 生活の灯がともっていなかった。

 街を歩く所々にポツンと現れる目新しい寺院の数々がこの世界の傷の深さを表していた。


「クラック、あの一番高いビルは何なの」

「見張り台、兼、宝物庫、兼、秘密兵器、かな」

「てんこ盛りだ」


 ティアラが入っているらしい、とクラックは言った。

 年に一度、披露されるパープルの冠が、この世界の匠の技と歴史を紡ぐ象徴として、街の人に愛されているのだとか。


「土地を追われてきた人々が、唯一、守り抜いてきたものさ」


 クラックは、雑居ビルの数十倍の高さを誇るタワーを眩しそうに見上げた。

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